生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

くびき

2010-06-22 12:13:03 | 聖書から

今日は1時間近く探し物をしていたので時間のロスをしてしまいました。でも、見つかったので感謝です。
だんだん探し物が多くなってきます。大切なものは置き場所をメモに書いて机の上に置いておくことにしているのですが、そのメモもなくなるのです。


一昨日は聖餐式でした。今年の聖餐式は、イエスさまが最後の晩餐でなさった4つの行為からメッセージをいただいています。今回はパンを裂くという行為からのメッセージでした。


わたしたちの心は苦しみ、悲しみによって裂かれ、傷を負っています。自分の過失を悔いたり、罪に嘆いたり・・・。

ヘンリーナーゥエンは「大事なことは、悲しみや苦しみから逃げずに正面から向き合うこと」と言ったそうです。

「傷ついた心を正直に見つめると、主イエスさまの招きの声を聞くことができます」と牧師先生が言われました。


ついこの間、わたしは“傷を見つめる”ということをしました(それで6/17のブログに「ディープ」と言う詩を書いたのです。)
見つめることは辛いことです。ますます傷が深くなるような気がします。でも、それは一時的で、見つめたときから癒しが始まるのです。


「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ11-28)」


この聖書箇所が読まれたとき、涙があふれました。疲れ果てたとき、重荷にあえいでいるとき、行くところがある。(そこで休ませていただける。疲れを癒していただける。重荷を軽くしていただける。)
そう思うと、どんなに辛いことがあっても大丈夫という平安が与えられます。

さらにイエスさまはいわれました。

「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。(マタイ11-29)」


くびきというのは、2頭の牛の首をつなぐもので、2頭に荷物を分担して運ばせるためのものです。

イエスさまはこんなふうに言っておられるのですね。
あなたとわたしはくびきでつながれています。
わたしの十字架の苦しみ、痛みを思ってください。わたしは、あなたの傷ついた心を思い、いっしょにあなたの重荷を負ってあげましょう。わたしのくびきは負いやすく軽いですよ。


イエスさまが一緒にわたしの重荷を担って下さる! なんと嬉しいことでしょう!

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