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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

傍観者

2010-04-02 11:32:43 | 乳癌

やっと暖かくなりました。
昨日は外科受診の日でした。いつも3時間以上待たされるのに1時間で呼ばれました。1週間前に受けた骨塩量の検査結果は、良好でした。(薬の副作用が出ていないこと、感謝)腹部注射はまだ打たなくてはなりませんが、転移の有無を調べる検査はもう受けなくてもよいと言われました。

再発を調べる胸部エコー(超音波)とマンモグラフィーは年に一度受けなくてはなりませんが、腹部エコーは受けなくてよいと言われ、嬉しくなりました。転移の可能性が低くなったからだと思います。乳癌手術から7年目になって、ようやくです。腹部注射は子宮筋腫が依然として大きいために受けていますが、それも早く終わりになってほしいです。


今日は受難日です。キリストが十字架にかかって死なれた金曜日で、明後日の日曜はキリストがよみがえられた日を記念するイースター(復活祭)です。

先日の水曜礼拝では、「聖書に十字架の痛みについて何も書かれてないのはなぜでしょう?」という質問がありました。

十字架刑は刑罰の中でも最も苦痛を伴うものです。ギロチンは残酷に見えますが、一瞬のうちに命が奪われるので、苦痛も一瞬です。でも、十字架は急所をはずして釘を打ち、時間をかけて死に至らしめる刑罰です。十字架につけられた人の大半は、あまりの苦痛に数時間で気が狂ってしまうそうです。

「聖書が十字架の痛みについて記述していないのは、わたしたちに痛みに対する同情ではなく、十字架の意味に目を向けてほしいと思ったからではないか」と牧師先生が言われました。

聖書には、十字架の痛みについてではなく、十字架に対する人々の態度が記述されています。ルカの福音書23章では、兵士たちがくじでイエスの着物を分けたこと、ののしる人たちのこと。同じく十字架につけられていた2人の犯罪人のことが書かれています。

イエス様に向かって「自分を救ってみろ」と言った人たちがいました。イエス様を救い主と認めているのに、「わたしを救ってください」と言っていません。傍観者として十字架のイエス様を見ています。

イエス様は、天地を創造された力あるお方です。ですから十字架につけた人たちを滅ぼしてしまうこともできました。また、十字架から降りて助かることもできました。でも、わたしたちを救うためにじっと苦しみに耐えておられました。


イエス様が十字架で苦しんでいた時、わたしの態度はどうだったのでしょう? 
わたしは救われてからも十字架のイエス様に対して傍観者でいた時があったことを思い出して心が痛んでいます。
常に自分のことを第一に考えて、イエス様が苦しむ姿を見ないようにしていた時がありました。
でも、イエス様はこんな不信仰なわたしのためにじっと苦しみに耐えてくださいました。
そして、わたしのために命を捨てて下さったのです。


「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません(ヨハネ45:13)」


*写真は我が家のベランダで咲いたクロッカス。チューリップはもう少しで咲きそうです。

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