3歳の孫、ヒックンが11日に熱を出して、昨日まで預かりました。熱は上がったり下がったりで、咳もひどかったのですが、昨日になってようやく平熱になりました。
小さい子どもは熱に強いのでしょうか・・・38度出ていても横にならず歩き回って遊んでいました。機嫌がよかったのでそれほど心配しませんでしたが・・・。今日はわたしが疲れて、ぼおっとしています。
12日にわたしのHPのほうからメールをいただきました。
乳癌と診断されてから乳癌関係のサイトをめぐり、わたしのHPにたどりついたそうです。明日入院して明後日手術と書かれていましたので、一生懸命お祈りしました。もう手術が無事終わったことでしょう。術後の回復のために祈ります。
「その後の放射線治療等、とても参考になります」と書かれていたので、このブログも読んで下さったのでしょう。嬉しく思いました。
術後の不安といえば、がんの場合は手術の傷よりも再発転移の不安が大きいのではないでしょうか。
わたしは最初、手術してがんを切り取ってもらえばそれで終わりだと思っていました。
ところが、術後は、放射線治療に加えて化学療法があり、それに伴う副作用、定期的な検査・・・長い道のりです。
やっと5年クリアーしましたが、わたしの場合はその後もまだ治療が続いています。
検査は、最初は3か月に一度でした。それが、半年に一度、年に一度になって、7年目の現在は転移に対する検査は受けなくてもよいと言われ、再発の検査だけになりました。
血液検査はこれからも定期的にしていきます。
放射線治療と同じように、エコー検査も怖かったです。モニターに映し出された画面を患者から見ることができません。(見ても素人にはわからないのでしょうけれど・・・)転移がんがたくさん映っているのではないかと不安になり、「大丈夫でしょうか?」と看護師さんに尋ねたくなります。
検査する看護師は、そのときには答えてはいけないことになっているらしいです。横目で看護師の顔色をみて、穏やかな顔をしていれば安心します。
そして、一週間後、検査結果を聞きに行きます。順番を待っている時間の緊張と不安はたとえようもありません。(予約していても2~3時間待たされます)
わたしは、本を読んで気を紛らしていますが、本の内容が全然頭に入ってこないときもありました。
そんなときは暗唱している聖書の言葉を思い出します。そうすると不安が遠のいていきます。
「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネ14:27)」
わたしというのはイエス・キリストのことです。平和の神であるイエス様が平安を与えるとおっしゃってくださるのですから、どんな結果が出ても心を騒がしたり、恐れたりする必要はないのだと思ってほっとします。
名前が呼ばれると、緊張は頂点に達します。医師の表情とレントゲンの映像を交互に見ながら、判決を待つ被告人のようにじっと医師の言葉を待ちます。
「異状なしです」と言われたときの安堵感。「ハレルヤ、神様、ありがとうざいます!」と心の中で叫びます。
亡き父の愛読書だった「永遠の言葉(三浦綾子著)」には次のような文章が書かれていました。
「人間は絶望的な状態であっても一筋の光が見えたら、ぐーっと顔が変わっていくんですね。
治すのは何か別のもの、(医療の)諸技術も大事でしょうし、薬も大事でしょうけど、希望を与える言葉とか、希望を与える情景とか、何かわれを忘れさせるということがすごく大事なのではないでしょうか。」
つづく
*写真は、我が家のベランダでやっと咲いたチューリップ。花が開いてヒックンが大喜びしました。