生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

なぜ苦みがあるのでしょう?(その3)

2008-03-20 10:50:57 | エッセイ

一昨日夜からまた熱が出て、昨日まで熱がありました。37.8℃なので高熱ではありませんが、平熱が低いので、7度を超えると体がだるくてしかたありません。今朝はようやく下がりましたが、まだ用心していなければ……。
横になっている間に新しい小説のストーリーが考えられたので、大きな収穫だと思っています。赤毛のアンのようにわたしの心は空想の翼を広げて飛んでいました。

受難週なので苦難について書こうとしていたのでした。


わたしはお産のときを除くと、結婚してから27年の間に2回入院しています。体が弱い割には少ないでしょう。1回目と2回目では、随分心境が変化したので、そのときのことを書きます。

1回目の入院は21年前、里帰り出産で娘が生まれた10日後でした。出産後、産院から実家に戻ったとき喘息の発作が起こりました。
そのときすぐ内科を受診すればよかったのですが、治療の吸入薬を持っていたこと、両親に心配かけたくないので内緒にしていたこと、すぐ治ると思っていたこと、産後間もないので出歩いてはいけないと思っていたことの理由で病院に行きませんでした。

吸入薬は一時的に呼吸を楽にするものであって、喘息を治す薬ではないことを充分知っていたのにもかかわらず、吸入薬で治そうとしていました。
その吸入薬は、『1回2吸入まで。1日4回まで。それ以上使うと心臓に負担がかかり危険です』という注意書きがありました。でも、子供の頃も使っていた薬なので多少回数が多くなっても大丈夫という気持ちがありました。

ところが恐ろしいことに、吸入薬は使っているうちに効き目がなくなってくるのです。最初一回吸入すれば2.3時間発作がおさまっていたのに、1時間、30分、10分……効いている時間が短くなってきます。

最初のうちは両親と顔を会わせる前に吸入していたので、元気そうにふるまっていたのですが、とうとう効き目が一瞬だけになってしまって、食事もできず、両親に気づかれてしまいました。

気管支が狭くなっているので一呼吸するたびに全身の力をふりしぼらなければならず、それは言葉では説明のしようがない苦しさです。時計ばかり見ていました。1分がこんなに長いと思いませんでした。酸欠で正常な思考力もなくなっていたので、1分がまんすれば吸入していいと自分に言い聞かせ、たった一瞬呼吸が楽になることのために吸入をしていたのです。1日4回までという薬を1日に何百回も使っていたのですから、今考えると恐ろしくなります。よく死ななかったです。(実際、その薬で亡くなった方は大勢います)

話はそれますが、このまえの家庭集会の時、十字架刑でいちばんつらいのは呼吸困難になることだと聞きました。両手を釘付けされていると肺がつぶれたような状態になっています。息を吸うためには体を持ち上げなければいけない。支えが何もなくて持ち上げるので、全体重が釘付けされたところにかかるのです。そのうち衰弱して体を持ち上げる力がなくなって呼吸困難で死ぬのだと教えられたとき、ほんの少し(何百分の1くらい?)ではありますが十字架の苦しみを味わえたのかなあと思いました。

わたしが苦しそうにしていると、両親は驚いてすぐ病院に連れていきました。祝日でしたが、幸いなことに近くの病院で看てもらえました。
入院ですといわれたとき、生まれたばかりの赤ん坊と離れなければならないという悲しさはありましたが、これで呼吸が楽になるとほっとしたのです。

そのときのわたしの状態は、油汗をにじませ、爪は紫色で、何日も眠っていなかったので憔悴しきっていたそうです。酸素吸入をし、点滴を受けましたが少ししか改善せず、発作は続いていました。

ベッドに備え付けられたテーブルに点滴の針のささった左腕を伸ばし、右腕の上に頭を乗せてうずくまるような格好で一晩過ごしました。睡眠薬を求めてもいただけませんでした。睡眠薬を飲んだら呼吸が止まってしまう危険があったのです。

入院中泣いてばかりいました。娘を抱くことも母乳を飲ませることもできません。
主人の実家に預けた3歳の長男ともうすぐ会えるはずだったのに、この入院で延びてしまいました。
また、まわりにクリスチャンがひとりもいなかったことが辛かったのです。そのころ久喜の教会に通っていましたが、教会には娘が無事生まれたとき連絡を入れただけで、喘息で入院したことを伝えていません。なんとか祈ってもらいたいと思い、母に教会に電話を頼むと、「何が神さまよ。こんなひどい目にあわせて、あんたの神さまは何をやっているの!」とすごい剣幕で怒りだしたので、深く傷つきました。

そしてわたし自身も「神さま、どうしてこんなひどい目にあわせるのですか?」と祈っていました。神さまの存在は信じていましたが、神さまの善意が信じられなかったのです。

                  
つづく

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