生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

なぜ苦しみがあるのでしょう?(その1)

2008-03-14 17:39:46 | エッセイ

今日は我が家での家庭集会でした。牧師先生と6人の方が来て下さいました。
「キリストの受難と私たちの苦しみ」という題で学びました。キリストの受難とは、十字架の苦しみのことです。イースター(復活祭)の前の一週間を受難週といいます。今年は3/23がイースターなので、明後日から受難週に入ります。


神であるキリストがなぜ十字架上で苦しまなければならなかったのか? それは、神さまに人類の罪を赦していただくため、キリストが私たちの身代わりとなって罰を受けて下さったからです。
それでは、わたしたちはなぜ苦しみにあうのでしょう?

レジメには、神戸ひよどり台教会の大嶋博道牧師が書かれた人生における苦難の意味が記されています。一部紹介します

私たちは一生の間、平穏無事で何の苦難もない幸いな、楽しいことばかりが続いたらいいなあと願いますが、現実はその反対で、私たちの人生には様々な苦しみが伴います。(中略)

苦しみは確かに、私たちがより豊かに生きることを困難にさせ、しばしば希望を奪い、迷路に入り込ませ、肉体的精神的苦痛やストレスを与え、結果、不利益をもたらします。一刻も早く除去したいと願うのは当然のことです。
しかしながら苦しみには必ず「意味」があります。神さまの私たちへのご計画には寸分の狂いも、無意味なこともないと信じるからです。

1)苦しみは私たちが人生の目的や意味を問う絶好の機会になります。
2)苦しみは私たちの生き方・あり方を見つめ直す機会になります。
3)苦しみは人間存在の本質を教えてくれる機会になります。
4)苦しみは本当の幸いや喜びが何であるかに気づく機会になります。
5)そして、苦しみは私たちが神に向かい、神に近づく機会になります。


ルカ23:32-43には十字架につけられたイエスさまと、同じく十字架につけられた2人の犯罪人の会話が書かれています。ひとりの犯罪人はイエスさまに罵声を浴びせ続けますが、もうひとりの犯罪人はそれをたしなめます。イエスさまが本当の救い主だと信じたからです。その犯罪人は「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出して下さい」と頼みます。
イエスさまは「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」と答えます。
ふたりとも、十字架の苦しみで息も絶え絶えになりながら話しています。イエスさまはその犯罪人を助けることもできたのになぜ十字架から降ろさなかったのでしょう。

苦しみのなかでこの犯罪人は平安が与えられていたと聞いて、はっとしました。犯罪人は極度の肉体的苦痛があるのにもかかわらず、メシア(救い主)から一緒にパラダイスにいると言ってもらえたことで幸せを感じ、平安をいただいていたのです。

神さま(イエスさま)が望んでおられることは、苦しみの中で平安を見つけることである。苦しみの中で神さまに与えられた命を喜ぶことが大切である。と聞いて、目が開かれた気がしました。
     

         つづく 

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