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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

復興と再生

2011-09-28 21:03:06 | 教会
先日も書いたように教会では25日に13人もの方が洗礼を受けました。第Ⅱ礼拝のとき7名が、第Ⅲ礼拝のとき6名が礼拝の中で受洗されました。
洗礼式は1階ホールで行われ、そのようすが同時中継で2階の礼拝堂のスクリーンに映し出されます。(音声も聞こえます)1階にいる人たちと2階にいる人たちが同時に祈り、拍手し、賛美します。

以前、洗礼式はⅢ礼拝の後行われ、2階にいた人たちが1階ホールに移動して洗礼式を見ていました。
大勢の人がいるので移動するだけで時間がかかります。また、ホールの椅子には一部の人しか座れませんでした。

数年前から放送技術を駆使して礼拝の中で洗礼式が同時中継で行われるようになりました。場所が離れていても感動が伝わってきて、すぐそばで見ているのと同じ気持ちになります。

メッセージは旧約聖書エゼキエル書のテーマ『復興』と『再生』についてでした。
一部を紹介させていただきます。


イスラエルは北イスラエルと南ユダに分かれていましたが、どちらも滅ぼされてしまいます。エゼキエルは捕囚の民と一緒にバビロンへ連れて行かれます。その中で祭司としてたてられました。

イスラエルの国が滅びたのは、イスラエルの民が神の言葉に聞き従わず、罪を犯したのに悔い改めなかったためです。
エゼキエルは復興の幻を見ました。それは政治的、社会的復興ではありません。

「この川が流れていく所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入る所では、すべてのものが生きる。(エゼキエル47:9)」と聖書に書かれています。
神様は、死んだも同然のものが活き活きしてくることを示されたのです。

「神様はご自分の啓示を人類にわかりやすくするために水を造られたのではないかと思う」とH先生は言われました。

また、エゼキエルは水が神殿から流れている幻を見ましたが、これは神殿の回復を意味します。神殿は礼拝する所であり、その回復は、礼拝、つまり神と人との関係の回復を意味しています。

イエス様は「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。(ヨハネ7:38)」と言われました。キリストを信じることによってのみ人は潤されるのです。

世の中では経済復興が最大の関心事です。しかし、生けるまことの水であるイエス・キリストを信じて歩むことがもっとも大切なことであり、そのことが復興の礎になります。


復興、再生と聞いて東日本大震災のことを思いました。地震と津波で壊滅的になった町も少しずつ復興しています。でも、原発近くの町は、復興しようにも放射能汚染のため住むことができません。

「この水が入ると、そこの水が良くなるからである。」
という聖書の言葉のように、放射能で汚染された場所に特殊の水を注いだら、放射能がなくなるということが可能になるかもしれない……ふと、そんな気がしました。

どんなに絶望的状況に陥っても、目の前が真っ暗で先が見えなくても、魂が死んだような状態になっても、神様から生ける水をいただければ再生、復興させていただけるのですね。



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