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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

なぜ理不尽なことがあるのでしょう?

2011-10-25 12:07:15 | 教会
「誠実に生きている人が苦しい目にあい、悪い事をしている人が幸せに生きているのはなぜですか。神様は不公平です」と友人が言いました。

わたしもかつてはそう思っていました。人を傷つけ、いじめる人が幸せになって、いじめられる自分には辛いことばかり起こる……理不尽だと思いました。

理不尽だと思うことはたくさんありますよね。勧善懲悪だったらどんなにいいでしょう。でも、世の中は決してそうではありません。なぜ理不尽なことがあるのでしょう。
一昨日の聖餐礼拝のメッセージにはその疑問に対する答えが示されていました。

メッセージの一部を紹介させていただきます。
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今年の聖餐式ではキリストの役割について語ってきましたが、今日は『王であるキリスト』について話します。
イエス・キリストは主の主、王の王です。イエス様が王であるとは、どういう意味があるのでしょうか。

旧約聖書(イザヤ書9:7)には「(キリストが)ダビデの王座に着いて、その王国を治め・・・」「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる」と書かれています。

イエス様ご自身は「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています(マタイ28:18)」と言われています。

王様は何をする人でしょう……ケアする人です。高齢者ケアを考えると、傷があれば手当をし、爪を切り、お風呂に入れ、そばにいて支えます。子どもには食事を与え、よい人間関係をつくり、人格全体に配慮します。

本当に良い王様は国民をケアします。
肉体の弱さに嘆いたり、行き詰まったり、困惑したり、罪深さに嘆くとき、王なるキリストがケアしてくださいます。キリストによって悲しみは喜びに変わります。

王なる方は、勝利を約束して下さいます。
「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。(ヨハネ16:33)」
王なるキリストはすでに世に勝っておられるからです。

キリストは最後の敵である死も滅ぼして下さいます。(Ⅰコリント15:26)

その日、理不尽な悲しみの中にある人には慰めを与えられます。
その日、地上の苦しみ、嘆きはすべて消えてなくなります。
その日、悔いきれない過去の出来事もあふれれ出る赦しの中ですべて溶け去ります。
その日、どんな理不尽なことも神に完全に知られていたと発見して納得します。
その日、すべての痛みが癒され、この世のすべての不正や悪が燃え尽きます。
その日、感謝と喜びで輝きます。
その日、全世界が主の御名をほめたたえます。

その日を心に留めながら王の王、主の主がすべてを完成して下さると信じて待ちましょう。

聖餐式は、最後の完成の祝宴があるというしるしです。


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どんなに理不尽だと思うことがあっても、これらのことが理不尽でなかったと思える日がくるというメッセージに深くうなずきました。

いまの時、置かれている場所で考えると理不尽であっても、神様の視点、永遠の視点から見ると理不尽ではないのだと思いました。神様は不公平な方ではなく、またすべてのことを知っておられる方だからです。

その日とはいつでしょう? 
この世界は滅びると聖書に書いてあります。その日にはイエス様が再び来られて新しい天と新しい地が作られることが約束されています。その日は、涙がすっかりぬぐわれる日です。その日は、今までのいっさいの苦しみが消え去り、感謝と喜びで輝く日です。

「彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。(黙示録21:4)」
このみ言葉を読むと涙が出ます。

肉体の弱さに嘆き、友の嘆きに共感して涙するとき、どうしようもない悲しみに襲われることがありますが、それらがすべて消え去り、喜びと感謝にあふれるようになる日がくると信じます。
すでに世に勝利した、主の主、王の王キリストを待ち望つつ……。



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