生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

高一殺害事件・・・どうして人を殺してはいけないの?

2014-07-30 11:21:10 | 社会

ブログ更新が滞ってしまいましたが、元気です。しなければならないことが山積で、それが夏休みのためすすまないのでブログを書けませんでした。

また佐世保で痛ましい事件が起こりました。2004年に小学生が同級生を殺すという事件が起きて驚愕しましたが、こんどは高校生が同級生を殺し、しかも遺体を切断したというのです。

学校ではいのちの尊さを教えているはずなのに……なぜこんな事件が起こるのかと悲しくなります。
どうして人を殺してはいけないのかについて、教会学校でも語られ、また何度かブログに書いてきました。
その文章を今回書き直しましたので、お読みください。



すべての人は、神さまによって造られたのです。だから、どんな人も殺してはいけません。人間は他の動物とは違う特別な存在として……神さまと話したり、賛美したりできる存在として造られました。
「神はこのように、人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女に彼らを創造された。(創世記1:27)」と聖書にあります。

神さまは、すべての人を……ぼくも、わたしも、君も、あなたも、この人も、世界中すべての人をいちばん良くできた尊い存在として見て下さっています。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している(イザヤ43-4)」と神さまは言っておられます。

わたしたち人間を造られた神さまは、ひとりひとりをとても愛しておられます。
だから、このような(神さまに特別に造られ、特別に愛されている)人間を(自分も他人も)殺してはいけないのです。

イエス・キリストは、心の中でも人を殺してはいけないといわれました。それは、すべての殺人は、憎むこと、嫌いになること、腹をたてること、赦せないという感情から起こるからです。

人を殺したら神さまはとても悲しまれます。死んでしまった人の家族や多くの人が悲しみます。自分の一生を苦しめます。
殺してしまった人にどんなにあやまっても、その人は生き返りません。でも、殺人者を赦すことのできるお方(神さま)がおられることを忘れないでください。
人を殺さない(心の中でも実際にも)ためにはどうしたらいいでしょう?

1)赦すこと、愛することをイエスさまから学ぶ。
2)友達の悪いところばかり見るのではなく、いいところを見つける。
3)暴力的なビデオや漫画、ゲームなど見ない、やらない。
4)友達に対して思いやりの心、優しい心を持つ。etc……。

これらのことを心がけることが大切です。

「どうして人を殺してはいけないか?」ということを聖書を用いずに話そうとすると、子どもたちが納得する答えを出すのは難しいです。
人殺しは殺人罪だからダメだと言うだけでは納得しないでしょう。法で裁かれなければ悪いことではないと考えると、(極端な例ですが)殺人を犯しても誰にも知られなければ悪くないということになってしまいます。

殺人犯に対して、「あの人は人間じゃない」と言う人がいます。少なくとも自分と同じ人間だとは思えないからそう言うのでしょう。
でも、殺人犯の心理を書いた物を読むと、その人が特別冷酷な人なのではなく、追いつめられて人を殺してしまった。ほんの小さな憎しみ、ほんのささいなきっかけから殺人という行為に至ったという例が多いことに気づきます。
もちろん例外はありますが……。

自分が殺人罪を犯していないのは、環境が整えられ、守られているからだけで、心理的には殺人犯に近いときがあると思うことがあります。

「あの人なんかいなくなればいいのに」と心の中で思うことは、心の中で人を抹殺していることで、実際に殺さなくても殺人と同じ罪なのだと聖書はいっています。

小さな憎しみの芽がいつの間にかぐんぐん育って、心の中は憎しみでいっぱいになることがあります。憎しみを抱くと、その人自身の心も蝕まれていきます。

「自分の敵を愛し迫害する者のために祈りなさい(マタイ5:44)」と聖書に書いてあります。ひとりひとりが憎しみの代わりに愛を持つことができたら、戦争もなくなり、殺人事件もなくなるでしょうね。そうなってほしいと心から願います。




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