生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

心のフィルムに(その3)

2009-10-25 17:18:37 | エッセイ

次に実家に行ったときは「4つの法則」という冊子を見せながら、イエスさまのしてくださったこと、十字架の意味、天国について話しました。父は聞いてくれましたが、そのときは充分理解していないようでした。

9月始め、母が用事で3日間家を空けるので留守番を頼まれました。父と2人で過ごす貴重なときとなりました。父は幼少のころのことや学徒出陣でシベリアに抑留されていたことなど話し、話しながら涙を流しました。このようなことは今までなかったので、死が近いことを思い、動揺しながら聞いていました。

父は「ぼくがこれだけ頑張っていられるのは、お前のおかげなんだ」とも言いました。
「どうして?」と尋ねると、「お前がくれた本にどれだけ力づけられたことか……三浦綾子さんの本には感動したよ。もしあの本を読まなければ、こんな病気になったのだから、落ち込んでいただろうな……」と言ったので感激しました。神様は父の心に働きかけて下さっていたのです。

それから2週間後、父は呼吸困難で救急車で病院に運ばれました。酸素吸入でよくなり、1日で退院し、自宅に戻ったのですが、母の手を借りなければトイレにも行けなくなってしまいました。

「ホスピスに入院する」と父が決心したように言って、9月末に入院することになりました。10月5日が83歳の誕生日なので、10日ほど早めて、父の誕生会をしました。バースデーケーキーにろうそくを立てて祝いました。子どもや孫たちに囲まれて父はとても嬉しそうでした。

9月末に救世軍ブース記念病院に入院しました。そこにはチャプレンの先生がおられました。父は先生に「わたしはべつに仏教を信じているわけではないんですよ。キリスト教はいいなあと思っています。どうも、娘に感化されたようでね……。」と言いました。

入院当初、父は元気で「一時帰宅してもいいですよ」と医師に言われたほどでした。誕生日には病院で盛大に誕生会をしていただいて、とても喜んでいました。
父はチャプレンの先生と担当の医師にそれぞれ2時間もシベリア抑留の話しをしたそうです。忍耐して聞いていただけたことを感謝します。話した後、父は無口になりました。

ホスピスの礼拝に誘われると、父はわたしと一緒に行きたいと言いました。それで礼拝のある日、朝早くからホスピスに行き、父と共に礼拝に出ました。
父は一生懸命話を聞いていました。礼拝のあと、「講習会(礼拝のこと)はいいものだなあ……。意味がよくわからなかったから、あとで説明してくれないか」と言うので、屋上庭園に出てメッセージの解説をしました。屋上なら人目をはばかることなく大声で話せます。(父はかなり耳が遠いのです)

説明が終わると、父は「あ、そういうこと」とひとこと言いました。

翌日は土浦に帰る予定でしたが、何か忘れ物をしたように思い、もう1日実家に泊まって次の日も父のところに行きました。

几帳面な父は見舞いに来る人の名と予定日時を手帳に書いており、病室を出るときはいつもメガネと手帳を持って車椅子に乗っていました。  

わたしが予定外の時間に行ったので「どうして来たんだ?」と驚いたようすでしたが、ニコニコしてとても嬉しそうでした。

                  
つづく

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