教会学校小学科でピアノの奏楽奉仕をしています。19日に新しい曲を賛美することになったので、練習に励んでいます。曲名は「約束の地へ」。すごくいい曲なのですが、とても難しくて弾くのに苦労しています。
練習といっても、主人が退職して家にいるので、なかなかピアノが弾けません。主人はずっとリビングでテレビを見ていて、ピアノはテレビの横にあるからです。
主人が昼間出かけないときは、夕方お風呂に入っている間の10分~15分が勝負です。夕食の支度を中断して練習します。
今まで弾いたことのある曲なら短時間の練習で大丈夫ですが、弾いたことのない曲だと、そうはいきません。
練習時間がどうしても足りないので、この前は水曜礼拝の後、1時間ほど教会で練習させてもらいました。
練習してもつかえてばかりなので、弾けるようになるか不安でした。ピアノを弾いていないときも録音したものを聞きながら指を動かし、必死に祈っていました。
どうしても弾けなかったら、曲を変更してもらおうと思っていたら、昨日からなんとか弾けるようになってきました。リズムがあっているかどうか心配で娘に聴いてもらうと、OKサインが出ました。しみじみ歌詞を味わいながら弾く余裕も出てきました。神様が助けてくださったのです。
「約束の地へ」はアブラハムのことを書いた歌ですが、自分の歩む道にも重ね合わせ、心ふるわせながら弾いています。
ブックマークにある土浦めぐみ教会の「めぐみミュージック」をクリックすると聞けます。楽譜もダウンロードできます。
わたしは今日で56歳になりました。体の弱いわたしが56歳まで元気で生かされていることは不思議です。現在治療を受けている婦人科の病も、治療する必要がないほどよくなってきました。
敬愛する姉妹から
「神様からいただいた記念日ですから大いに喜び感謝してください。
新しい一年がますます祝福され、使命に向かって大きく羽ばたいてください。」というメールをいただきました。
今日はいつもの通りOBIの通信の学びをして、創作をしました。いつも通りのことができる喜びをかみしめています。
いつもと違ったこともしました。昔書いた童話の原稿の大半を捨てました。データー化してあるものでも、書き直しのあとを残しておきたくて印刷したものをとっていたのですが、最新版を除いてすべて捨てました。
最初は、こんなに無駄をしたんだなあと思っていました。でも、そうではないことに気づきました。これはみんな習作なんだと思ったのです。
これから完成させる作品を書くための習作だったと。生涯習作で終わってしまうかもしれませんが、それはそれでいいのです。
どこへいくのか知らないで、神さまからの約束だけをたよりに旅立ったアブラハムのようにわたしも新たな旅立ちのときを迎えたのかもしれません。
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練習といっても、主人が退職して家にいるので、なかなかピアノが弾けません。主人はずっとリビングでテレビを見ていて、ピアノはテレビの横にあるからです。
主人が昼間出かけないときは、夕方お風呂に入っている間の10分~15分が勝負です。夕食の支度を中断して練習します。
今まで弾いたことのある曲なら短時間の練習で大丈夫ですが、弾いたことのない曲だと、そうはいきません。
練習時間がどうしても足りないので、この前は水曜礼拝の後、1時間ほど教会で練習させてもらいました。
練習してもつかえてばかりなので、弾けるようになるか不安でした。ピアノを弾いていないときも録音したものを聞きながら指を動かし、必死に祈っていました。
どうしても弾けなかったら、曲を変更してもらおうと思っていたら、昨日からなんとか弾けるようになってきました。リズムがあっているかどうか心配で娘に聴いてもらうと、OKサインが出ました。しみじみ歌詞を味わいながら弾く余裕も出てきました。神様が助けてくださったのです。
「約束の地へ」はアブラハムのことを書いた歌ですが、自分の歩む道にも重ね合わせ、心ふるわせながら弾いています。
ブックマークにある土浦めぐみ教会の「めぐみミュージック」をクリックすると聞けます。楽譜もダウンロードできます。
わたしは今日で56歳になりました。体の弱いわたしが56歳まで元気で生かされていることは不思議です。現在治療を受けている婦人科の病も、治療する必要がないほどよくなってきました。
敬愛する姉妹から
「神様からいただいた記念日ですから大いに喜び感謝してください。
新しい一年がますます祝福され、使命に向かって大きく羽ばたいてください。」というメールをいただきました。
今日はいつもの通りOBIの通信の学びをして、創作をしました。いつも通りのことができる喜びをかみしめています。
いつもと違ったこともしました。昔書いた童話の原稿の大半を捨てました。データー化してあるものでも、書き直しのあとを残しておきたくて印刷したものをとっていたのですが、最新版を除いてすべて捨てました。
最初は、こんなに無駄をしたんだなあと思っていました。でも、そうではないことに気づきました。これはみんな習作なんだと思ったのです。
これから完成させる作品を書くための習作だったと。生涯習作で終わってしまうかもしれませんが、それはそれでいいのです。
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