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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

あなたが幸せになるために

2012-08-10 15:30:53 | 教会
自分のことを侮辱した相手を赦すというストーリーで童話を書いたら、児童文学の仲間から「どうして赦さなくてはならないのか? 仕返しはしないのか?」と問われました。
主人公がいとも簡単に赦しているので、納得できなかったのだと思います。

実際、赦すことはそう簡単にはできませんね。赦すにしても悶々としながら、長い時間かかってようやく赦せるというのが現実です。

この前の日曜礼拝で「赦し」についてのメッセージを聞きました。(青字がメッセージ、緑字が聖書の言葉、茶色字がわたしの感想です)


日本文化の中では、人に迷惑をかけたらあやまるように教えられますが、赦すことは教えていません。
主の祈りの中で、「私は、私に罪を犯した人を赦しました」と言っています。自分の心を正直に見つめている人は、その祈りができないと思います。赦せていないのが現実だからです。

人を赦さないと私たちの罪は赦されないのではないかと思う人もいるようですが、それは誤解です。赦さないと赦されないのなら、十字架の意味がなくなってしまいます。

聖書は「赦し」を大切なものとして考えています。十字架上でイエス様が語った言葉の第一声が「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。(ルカ23:34)」でした。
これは、十字架につけたローマ兵をとりなして祈っているのです。

神様の「赦し」は、ご自身のひとり子のいのちをかけた特別なものです。もし神様が人間を赦さなかったら、人間は滅んでいました。

神様は、御自分がお造りになった人間が滅びるのをよしとされませんでした。それで、ひとり子イエスのいのちを人間の身代わりとして差し出されたのです。
そのことを思うと、赦せないといっている自分が恥ずかしくなります。


相手があやまっても、補償してくれても、相手への憎しみが消えないことがあります。
でも、赦せないことでいちばん苦しむのは本人です。

確かにそうです。過去にひどいことをされて、そのことを赦すことができずに憎しみを抱き続けていたとしたら、精神も肉体もむしばまれていきます。

自分を傷つけた人を怨み続けて、鬱病になった人を知っています。赦せない心は、過去に受けた傷よりももっとひどいダメージを与えるのだと思います。
とはいえ、赦すことは簡単ではありません。


神様は、赦すことに、どれだけ憤りと怒りと苦しみが伴うかわかっておられます。

あなたが幸せになるために「赦しなさい」と神さまは言われるのです。


日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。ぜひご覧ください。



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