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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

涙の谷を過ぎるときも

2012-08-27 16:12:38 | 教会
昨夕は、年に一度の教会のお祭り、めぐみ祭りが行われました。去年は用事で行けなかったのですが、今年はヒックンとママも一緒に参加できることが嬉しくて数日前からわくわくしていました。
ヒックンママの運転する車で4:30に教会に着くと、お店やゲームの準備がすっかり整っていました。暑い中、昼過ぎから準備して下さった方々に感謝!

めぐみ祭りは、礼拝から始まりました。バンドの奏楽で賛美が始まると、ヒックンはママにしがみついてずっと後ろを向いていました。
そういえばヒックンが教会へ来たのは一年以上前のことです。慣れない雰囲気の中、知らない人に声をかけられて恥ずかしくてたまらなかったようです。

礼拝の後、つくば大生によるジャグリングのショーを見てから、輪投げやダーツ、ボーリングなどのゲームを楽しみました。わたしは輪投げ屋さんの店員にもなりました。

出店では焼きそばやたこ焼き、焼きトウモロコシ、チジミなどがあって、おいしそうな匂いがたちこめていました。めぐみ祭りに参加しない主人や仕事で参加できない息子と娘のために夕飯の用意をしてから来たので、教会ではあまり食べないつもりでしたが、3人はおなかいっぱい食べてしまいました。

ヒックンはだんだん慣れてきて、帰るころは元気いっぱいでした。
家に帰ると、「めぐみを、めぐみを、めぐみを」と教会で賛美していた「花も」という
曲の一部を口ずさんでいたのでびっくりしました。今日初めて聞いた曲だったのです。後ろ向いて歌っていなくてもちゃんと聞いて覚えていたのですね。


「花も」の歌詞を紹介します。

ここに泉はわく
涙を過ぎるとき
やがて実を結び 
笑い声に満ちる

*花も 雲も 風も 大海も
奏でよ 奏でよ イエスを
空に響け 歌えたましいよ
めぐみを めぐみを めぐみを

あおげ天は開き
ぼくらは見るだろう
やがて花が咲き
栄光の主が来られる

*折り返し


これは詩篇84編6節「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします」のみ言葉から作られています。

この箇所は、悲しいことがあって、それをただ嘆くのではなく、また逃避するのでもなく、涙を流しながら悲しみの谷を通って、そこにも神様がおられることに気づき、悲しみの谷が喜びの泉に変えられるという意味だと思います。


ヒックンへ
人生の中で悲しみにくれることもあるでしょう。でも、必ず悲しみは喜びに変わります。どんなに辛くても、過ぎ去る時がきます。笑い声に満ちるときがきます。神様が恵みをくださっているからです。



「花も」のYouTubeが見つかりました!ぜひお聞きください。
花も With Flower (MEBIG)




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