前回の続きです
真夜中ごろ、エジプトで悲しい叫び声や泣き声が響きわたりました。最初に生まれた子どもがみんな死んでしまったからです。でも、イスラエル人の子どもは守られました。神様が血を見て、過ぎ越して下さったからです。
パロはモーセとアロンを呼びつけて言いました。
「出て行ってくれ。もうごめんだ。これ以上お前たちがここにいたら何が起こるかわかったもんじゃない。早く、出ていけ!」
さすがのパロも自分の子どもを失ってショックを受けたのでしょう。とうとうイスラエル人がエジプトを出るのを許してくれました。
神様は、エジプト人にイスラエル人のことを良く思う心を与えてくださったので、エジプト人は金や銀、着物などをイスラエル人にくれました。これから荒野を旅するのに金銀が何の役に立つかと思うかもしれません。でも、これらは後になって、旅の間に神様を礼拝する幕屋を作るのに役立ちました。
イスラエルの人たちは荷物をまとめると、モーセを先頭に神様が約束して下さった土地、カナンを目指してエジプトを出発しました。
このときのイスラエル人の人数は男だけで60万人いたといわれます。全部で200万人以上いたでしょう。神様は最後の一人がエジプトを出るまで寝ずの番をされました。
神様が過ぎ越されたと言いましたが、このことを記念してイスラエルの人たちは毎年、過ぎ越しの祭りを行っています。およそ1550年後のイエス様の時代でも行われていましたね。そして約3550年後の今でも行われているそうです。
門につけた血は、イエス様が十字架で流された血を意味しています。血のついた家の子どものいのちが守らました。
わたしたちは、イエス様を信じただけで罪が赦され、永遠のいのちをいただけます。神様は、イエス様が来られるずっと前からこのようにイエス様のしてくださることを示してくださっていたのですね。
このお話しを準備していて教えられたことがあります。
なぜ神様がたくさんの災いをエジプトに下されたのか……パロが頑なな心を持っていたから、それを懲らしめるためと思っていたのですが、実はパロを含めエジプト人が悔い改めてイスラエル人の信じている神様が本物だと認め、信じるようになるためだと教えられました。
エジプト人も神様によって造られた人間です。神様はエジプト人のことも愛しておられたのです。だからこそ、どんな災いを起こされてもすべてのエジプト人を滅ぼしたりはなさいませんでした。
出エジプト記を読むと、奇跡の大きさや目を見張るような出来事に心を奪われてしまいますが、そうではなく、出来事の背後にある神様の意図を知ることが大切だと思いました。
また、門につけられた血がイエス様の十字架で流された血を表すとは気づきませんでした。
このように旧約聖書には、イエス様のなさったことのひな型がたくさん書かれています。
書いていたモーセ自身も知らないことだったのではないでしょうか。聖書は人類の救済史と言われる訳がわかったような気がしました。
聖書の言葉 「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。(Ⅰヨハネ1:7)」
CS成長教案誌を参考にお話しの原稿を書きました。エジプト人が金、銀、着物をイスラエル人に渡すことは教案誌に書かれていないことです。視覚教材として手作りのパネルシアターを使いました。
おわり
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