生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

背中を押されて(その1)

2011-10-30 21:05:01 | 教会
昨日は日本クリスチャン・ペンクラブの童話エッセイの会でお茶の水へ行きました。一昨日はルーテル学院大学の図書室で本を閲覧させてもらい、それから三鷹の実家に向かいました。

童話エッセイの会では、毎回テーマを設けて各々がテーマにそってエッセイや童話を書いています。今回のテーマは「目」でした。「目は口ほどにものを言う」という諺がありますが、力作が集まりました。

前回のテーマは「旅」でした。わたしは魂の旅として、幼少期から何かを求めてさまよっていた魂について書きました。原稿用紙5枚で書いたので充分なことが書けませんでした。もう少し詳しく書きたいという思いが与えられています。

今日の礼拝メッセージはI先生がⅡ列王記7:3-9から「行きて告げよ」という題で語ってくださいました。
一部を紹介させていただきます。


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そのとき、北イスラエルはアラムに兵糧攻めにあっていました。人々は戦いに疲れ切っていました。食料は底をつき、水もあとわずかになって、町のあちこちから子どもたちの泣き声、婦人たちのすすり泣きの声が聞こえていました。

城壁の外にはツァラアトに冒された4人の男がいました。ツァラアトとは、重い皮膚病です。伝染するので、その病気にかかった人は、城壁の外にいなければなりませんでした。
4人は何日も食べていなくて、弱り果てていました。このままここにいても、城壁を越えて町に入っても死ぬことになります。アラムに投降すれば、もしかして助かるかもしれないと考えて、アラムの陣営に行きました。

すると、アラムの陣営は、もぬけのからでした。神様が、戦車の響き、馬のいななき、大軍勢の騒ぎを聞かせたのでアラム軍は恐れ、陣営をそのままにして逃げ去ったからでした。

4人は、食物をいただき、置き去りにされた衣類や宝を手に入れました。
そのあとで彼らは言いました。「私たちのしていることは正しくない。きょうは、良い知らせの日なのに、私たちはためらっている。もし明け方まで待っていたら、私たちは罰を受けるだろう。さあ、行って、王の家に知らせよう。(Ⅱ列王記7:9)」

北イスラエルの人たちは、アラムの軍勢がいなくなっていることを知らずに飢えに苦しんでいました。知っていたのは4人のツァラアトにかかった人だけでした。彼らは良い知らせをするために出て行きました。
神様は、わたしたちにも出て行きなさいと語っておられます。
彼らが出て行く動機は

①よきものを与えられていた(生きるのに必要なものを満たすために食事をした。このとき、彼らが食事をしたのは正しいことだった)

②人々の必要を知っていた(同胞イスラエルの人たちが飢えに苦しんでいることを知っていた)
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「あなたは誰のために出て行くのですか?」

と牧師先生に問いかけられ、ドキッとしました。

出て行かなくてはならないと背中を押された気がしたからです。

つづく


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