心の痛みを抱えている人とかかわっています。自分には愛が欠けていると思うことがよくあります。
かえって傷を深くしてしまうのではないかと恐れたり、自分自身の傷が痛んだりします。
「神様、わたしに愛を下さい」と祈らずにはいられません。石井錦一さんの詩に共感しました。紹介します。
痛みのわかる愛を
神さま、私は、ここで生まれました
あの町で育ちました
この学校で勉強しました
いままで、あの仕事も
この仕事もしてきました
いまどこに住んでいます・・・・・と
はじめて会った人にも
だれにでも話すことができます
自分が話せることは
だれでもあたりまえのことだと
思っていました
差別されてきた人
過去にいやしがたい心の傷を負った人
心にも、身体にも障害を負ってきた人
このような人たちと出会って
共に語り、共に重荷を負い合うことが
できるようになったときに
生まれた地名を苦しみなしに言えない人
学歴という言葉に黙ってしまう人
何の仕事をしてきたかを言えない人
どこに住み、何をしているかを
はっきりと言えないさまざまな痛みに
耐えてきた人のいることを知りました
自分の愚かさと
私たちのなんでもない言葉や言動が
どんなに深く差別された人たちを
苦しめてきたかを知りました
私の言動と行動に、となり人の痛みと
苦しみのわかる愛をあたえてください
石井錦一 : 著 : 「祈れない日のために」 : 日本基督教団出版局

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