今日は我が家での家庭集会でした。仕事が休みだった娘が久しぶりに家庭集会に参加できてよかったです。
学びは、マタイ26:30-35から、ペテロの否認の予告についてでした。
賛美にあふれた過ぎ越しの祭りの期間、イエス様と弟子達は最後の晩餐のときを持ちました。その後オリーブ山に出かけました。
そのとき、イエス様は「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる。』と書いてあるからです。(マタイ26:31)」と言われます。
『』の中の言葉は旧約聖書のゼカリヤ書に書かれている言葉です。イエス様(羊飼い)が殺されると弟子たち(羊の群れ)は散り散りになるという意味です。十字架の預言ですが、
「それを聞いた弟子たちはどう思ったでしょう?」
と問いかけがあって、各々が感じたことを話しました。
弟子たちにとってイエス様が死ぬということは、起こりうるはずのないものでした。なので、この言葉を聞いたときは、イエス様が何を言っているのか理解できなかったでしょう。
でも、イエス様はその後、希望の言葉も語っています。
「しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行きます。(26:32)」
この言葉を聞いても弟子たちは何のことかよくわからなかったでしょうね。
でも、よみがえったイエス様に出会ったとき、弟子たちはこの言葉の本当の意味を理解することができたでしょう。
「神様は、わたしたちにときには厳しい言葉を投げかけることがあります。でも、同時に希望がなくならないように励ましの言葉を語られます。」と牧師先生が言われるのを聞いて、癌の宣告を受けた時のことを思いました。
つづく
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学びは、マタイ26:30-35から、ペテロの否認の予告についてでした。
賛美にあふれた過ぎ越しの祭りの期間、イエス様と弟子達は最後の晩餐のときを持ちました。その後オリーブ山に出かけました。
そのとき、イエス様は「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる。』と書いてあるからです。(マタイ26:31)」と言われます。
『』の中の言葉は旧約聖書のゼカリヤ書に書かれている言葉です。イエス様(羊飼い)が殺されると弟子たち(羊の群れ)は散り散りになるという意味です。十字架の預言ですが、
「それを聞いた弟子たちはどう思ったでしょう?」
と問いかけがあって、各々が感じたことを話しました。
弟子たちにとってイエス様が死ぬということは、起こりうるはずのないものでした。なので、この言葉を聞いたときは、イエス様が何を言っているのか理解できなかったでしょう。
でも、イエス様はその後、希望の言葉も語っています。
「しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行きます。(26:32)」
この言葉を聞いても弟子たちは何のことかよくわからなかったでしょうね。
でも、よみがえったイエス様に出会ったとき、弟子たちはこの言葉の本当の意味を理解することができたでしょう。
「神様は、わたしたちにときには厳しい言葉を投げかけることがあります。でも、同時に希望がなくならないように励ましの言葉を語られます。」と牧師先生が言われるのを聞いて、癌の宣告を受けた時のことを思いました。
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