昨日は主人と息子一家の5人で葛西臨海公園に行き、帰りに主人の実家に寄ってきました。
臨海公園に行くことにしたのは、ヒックンが去年遊園地で観覧車に乗って以来、一日に何度も「観覧車、観覧車」と言うからです。
渋滞に巻き込まれないことを願いながら朝8時に土浦を出発しました。首都高は少し渋滞していましたが、予定より早く10時時半に着きました。
車中から観覧車が見えたとき、大喜びしてはしゃいでいたヒックンでしたが、いざ観覧車の前まで行くと、その大きさにびっくりしたのか固まってしまいました。
乗るときは、「こわーい」とパパにしがみついていました。
喜んだのは大人たちです。東京湾を臨む景色にうっとりしながら17分の空中散歩を楽しみました。水族館は大混雑で、ゆっくり見られませんでしたが、芝生でお弁当を食べ、ボール遊びをして楽しいひとときを過ごしました。
昼食後、主人の実家に向かいました。道路はすいていて臨海公園から45分ほどで着きました。義父母は、久しぶりにひ孫に会えて大喜びしてくれました。

*写真は91歳の義父と3歳のヒックン
今回、ヒックンは1日から来て、ひとりでお泊りしました。寝るとき、パパとママがいなくても平気でした。
家では2時間もひとり遊びができるようになったそうですが、我が家に来ると甘えて遊んでもらいたがります。主人がお風呂掃除をし、わたしが食事の支度をしていると、「一緒にレーシングカー走らせよう」と言ってやってきました。
「見ながら料理しているから、走らせてごらん」と言うと、「ヒックン、ひとりじゃまぶしくなっちゃう」と言って悲しそうな顔をします。
(まぶしいとはどういうこと?)と思っていたら、「さみしい」という意味でした。さみしいという感情表現をするようになったんだと驚きました。
子どもだけじゃなくて、大人もさみしいことがありますね。人間みんなさみしさを抱えているような気がします。ひとりじゃなくて大勢の人の中にいても、愛する人と一緒にいても、ふとさみしくなることはありませんか?
以前わたしは、よくこのさみしさを感じていました。
さみしさがあるのは、心に空洞があるからだと聞きました。空洞を埋めて下さるのは、創造主である神様だけです。わたしは、神様が一緒にいて下さると確信したとき、さみしさから解放されました。