生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

がん患者としての心境(その7)

2010-05-11 19:44:32 | 乳癌
ここ数日PCでの作業が続いていました。やっと一段落してホッとしています。
22日に持って行くJCPのエッセイがまだ書けていないので気になりつつ、ブログを書いています。

がん患者としての心境についての続きを書きます。


がんを克服したということがよく言われますが、わたしは疑問に思います。がんを自分の力で克服できる人がいるのでしょうか? 術後の治療のつらい副作用に耐えて元気になった人を克服したというのでしょうけれど、治療を受けても効果のない場合や、体力がなくて治療が受けられない場合もありますから、がんは自分の力で克服できるものではないと思います。

どんなに生きたいと願って、気力があっても生きられない場合があります。すべては、いのちを握っておられる神様におまかせするしかありません。
わたしは、リンパ転移について調べたとき、自分は5年以内に死んでしまうのだと思いました。

どうしても死にたくないと思っていたとき、苦しくてたまりませんでした。でも、いのちを神さまにゆだねたとき、心から安らぐことができました。
「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。(ピリピ1:21)」
と聖書に書かれていますが、そのような心境になったとき、恐れから解放されました。

なぜ「死ぬことも益」と思えるの?
と疑問に思われる方もおられるでしょう。ちょうど先日の礼拝メッセージで語られたことがその答えになると思います。メッセージの一部を紹介します。


最初のアダムは土から造られたので、人間の肉体は死んだら土に帰ります。
わたしたちの体は朽ちていきます。肉体は弱く、病と闘っている人は常に悩みがあります。
最後のアダム(イエス・キリスト)は、人をよみがえらせる者となりました。
キリストを信じる者には永遠の命が与えられる。朽ちない体に変えられる。という約束が与えられています。
ローマ8:18には、「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。」
と書かれています。


子どものころから病に苦しんでいたわたしは、この体が別のものに変えられたらいいのに・・・と願いました。そんなことできるはずがないと思いましたが、将来朽ちない体、痛まない体、苦しくない体に変えられると約束されていることを知りました。なんと嬉しいことでしょう!

今、肉体的につらいことがあっても、新しい体をいただいたときには、この苦しみをすっかり忘れてしまうことでしょう。取るに足らない苦しみなのです。

もし、いま死が訪れたとしても、肉体の死であって、魂は死にません。新しい体をいただけるのですから「死ぬことも益」といえるのです。


つづく

*日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のHP更新しました。




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