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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

自死について

2008-10-18 12:04:07 | 日記

自殺は神様のご計画なのですか?と質問がありましたので、自殺についてわたしの考えていることを書きます。あくまでもわたし個人的な考えなので、すべてのクリスチャンが同じ考えとはかぎりません。


旧約聖書の出エジプト記20章に書かれている十戒の6番目には「殺してはならない。」と書いてあります。命はその人自身のものではなく、神様のものですから自分の命を自ら奪うことは殺人であり、罪を犯すことです。そのような理由で昔は多くのキリスト教会で自殺者は犯罪者として排除されてきました。

でも、自殺は殺人とはいえない場合が多いのではないでしょうか。
殺人とは、『不法的にあらかじめ計画を持って他人の命を奪うこと』です。そう考えると自殺という言葉自体が問題になってきますね。

自殺というと殺人と結びついて考えてしまうので、今は自殺という言葉より自死という言葉が多く使われています。わたしも自死という言葉を使いたいと思います。

自死は、精神的な病気や、追い詰められて正常な思考ができなくなってしまったとき、あるいは自分の存在を確かめたくてリストカットを繰り返している人が誤って深く切りすぎて死に至った場合などさまざまです。クリスチャンでも自死するかたは少なくありません。

今年の8月に行われた教会の修養会で自死について牧師先生は「自死をした人をキリスト者の交わりから排除しないように」と言われました。

それでは、自死は神様のご計画なのでしょうか? それは違うと思います。ひとりひとりを愛され、その命を大切にされている神様は、自死することを計画されるはずがありません。でも、すべての出来事が神様のみ手の中で起きていることを考えると、神様は心を痛めながらそのできごとが起きるのを許可されたのだと思います。


二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。(マタイ 10:29)


遺された者たちは、深く傷つき、何故あの人は死んだのだろう?と理由を求めます。
また、自死ではなく、事故や病で死んでしまった方のことを思うと、神様に何故あの方がこんなに早く召されなくてはいけないのですか?と問いかけたくなります。

ヨブは息子娘を失い、ひどい病気にかかってその苦難の意味を神様に問いかけます。でも神様はそれに対して理由を説明されません。「知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くする者はだれか。(ヨブ38:2)」とヨブをたしなめてから、

「わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。(38:4)」と言われ、ご自身が天地を造られた全知全能の神であることを示されます。ヨブは神様の語りかけを聞き、神様の偉大さに圧倒されて完敗するのです。

何故と問うのではなく、遺された者がこれからどう生きたらよいのか神様に問いかけることが大切なのだと思っています。



HP「生かされて…土筆文香」エッセイの部屋更新しました。

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