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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

微笑みながら振り返りたい

2008-10-17 11:46:09 | エッセイ

先日、父の三回忌の折、親戚の人にお渡ししたエッセイを紹介します。 これは、教会の月報10月号に載せていただいたものです。

先月『心に残る説教』というテーマで原稿を依頼されたので書きました。聞いたことが右から左に抜けていく私の頭ですから、もしブログを書いていなければ提出できなかったでしょう。過去にメッセージを書いたブログ記事の中からいちばん心に残ったものを選び、少し書き変えて提出しました。

最初から三回忌で配ろうと思っていたわけではありません。月報が今月5日に発行され、自分の文章が載っているのをみて、「これを親戚の人たちにも読んでもらおう」と思いついたのです。


微笑みながら振り返りたい


昨年11月の召天者記念礼拝は忘れられないものになりました。父を天に送ってちょうど1年たっていましたが、まだ悲しみは癒されていませんでした。父の写真がスクリーンに映し出されると涙が止まらなくなりました。

 天国で再会できるという希望があるものの、地上では2度と会うことができません。声も聞けないのです。

 牧師先生は「神の約束を再確認して勇気を得ることが召天者記念礼拝の目的です」と言われました。

 パウロ先生は迫害され、自らの死が迫っていることを自覚しながら、テモテへ手紙を書き送っています。
『私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは義の栄冠が私のために用意されているのです。(Ⅱテモテ4:7.8)』

 この聖書の言葉を読んだとき、パウロ先生は自信に満ちた人なのだなあと思いました。わたしだったら死を前にしてこんなことは言えません。おそらく悔恨の気持ちでいっぱいになるでしょう。そして、自分はとても義の栄冠を神さまから戴くことができないと思っていました。

 ところが牧師先生は、「義の栄冠は、主を慕い信頼している者にはだれにでも与えられます」と言われました。それを聞いてわたしは嬉しくなりました。
 長寿をまっとうした人はいいとして、突然召されてしまった人、病と闘って若くして召された人、志半ばで亡くなった人……本人も、周囲の人も納得のいかない死だったとしても、『走るべき道のりを走り終えた』と言えるのだそうです。

 もっと生きたいとどんなに願っても、人は自分の命を一秒も延ばすことができません。命は神さまの御手に握られているのですから。死が訪れたとき、それが突然のように感じても神さまの側からすれば、ご計画であったわけです。

 牧師先生は、故人の写真を見て悲しみに浸っている人たちに向かって言われました。
「わたしたちは、今生きているという事実のゆえに感謝しましょう。走り続けられます。成長できます。赦すこと、愛することができます。わたしたちの前には走るべき道のりがあります。それは、たった一度だけの道のりです。人生の最後に振り返ったとき、どのような思いが沸いてくるでしょうか? 微笑みながら振り返れたら幸いです」

 父の死により、傷ついていた心が癒されていくのを感じました。人生の最後に微笑みながら振り返りたいと願いました。

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