風邪をひいて熱を出し、昨日は一日伏せっていました。今日は熱が下がったので感謝です。まだ体が少しだるいですが、病院へ行くほどではありません。
土曜日は子供家庭集会。日曜日はCSメッセージなので、早く元気にならなくては……。
昨日横になりながら児童書「まぼろしの小さい犬(フィリパ・ピアス作、猪熊葉子訳)岩波書店」を読みました。
久々に質の高い児童文学作品にめぐりあったという気がします。フィリパ・ピアスといえばイギリスのファンタジーの古典ともいわれている
「トムは真夜中の庭で」を思い出しますが、この小説はリアリズム作品です。
犬を欲しがっている少年の心の動きがよく描かれています。大勢の兄弟姉妹の中で孤立している少年ベン。誕生日に犬をあげるといったおじいさんの言葉を信じて待つのですが、送られてきたのは犬の絵でした。ロンドンでは犬が飼えないこともわかり、あきらめるのですが、目を閉じると絵の中の小さな犬が見えるようになります。犬への渇望から想像の犬を作り出してしまうのです。ベンはその犬をチキチトと名づけました。
最終的にベンの家族は犬が飼える環境の郊外に引越し、ベンはおじいさんの家で飼っている犬の子を一匹もらってくるのですが、物語はそこで終っていません。
実際の犬は臆病で、想像の犬と反対の性格でした。ベンは犬が手に入ったのにあまりうれしくありません。公園に放した犬がどこかへ行ってしまおうとするとき、ベンがはっと気づいた場面を書き写してみました。
「ぼやけた風景のなかでそのときとつぜん、ベンは、はっきりとあることをさとった。それは、手に入れることのできないものは、どんなにほしがってもむりなのだ、ということだった。ましてや、手にとどくものを手にしないなら、それこそなにも手にいれることはできないということに。同時にベンは、チキチトとは大きさも色も、似ても似つかないこのおくびょう犬にだって、ほかの一面があるのだということを思いだした。抱いて運んでやったとき、自分の体にあずけられた犬の暖かさ、呼吸するときのからだの動き、くすぐったい巻き毛・・・・・・」
想像の犬を自分で捨てないかぎりベンは救われないことを悟るのです。現実の犬の名、「ブラウン」と言って犬を呼びもどすところで物語は終っています。
「フィリパ・ピアスは人間心理のすぐれた洞察者である」と訳者があとがきで書いています。
小学生が読んでも大人が読んでもおもしろく読み応えのある作品です。この小説の中で目の悪いおばあさんにベンが聖書を読み聞かせる場面があります。(ハイジにもありますね)
大嵐の日にノアの洪水のところを読ませたりして、聖書が生活に密着していることが示されています。ノアが600歳と聞いておばあさんが「じょうだんじゃないよ、まったく!」と怒るところを読んで笑みがこぼれました。
このような良い本が図書館では片隅においやられ、あまり読まれてない現実に心を痛めます。ぜひ今を生きる子供たちに読んで欲しい作品だと思いました。