苦難が自分の罪のせいではないかと思い、罰を受けなければならないのかと思い悩んでおられるU子さんへ。
人には言えない苦しみを抱え込んでいるU子さん。どのような苦しみか具体的にはわかりませんが、とてもつらい状況に置かれていることを察し、案じています。この苦しみが自分の罪に対する罰かもしれないと思っておられるようですが、決して罰ではありません。なぜなら、神さまはわたしたちに罰を与えるお方ではないからです。
わたしが乳癌になったこと、父が末期癌であること。とてもつらい事実ですが、これらのことは決して神さまの罰ではありません。
「ミルカとティナ」を読んで下さいましたか?ミルカの手足が動かなく、また口もきけなくなってしまったのは、ミルカの罪に対する罰ではありません。ティナに生まれつき障害があるのは、ティナの罪に対する罰ではありません。
聖書には、生まれつきの盲人をみて、弟子達がイエスさまに質問したという箇所があります。「先生、彼が盲目に生まれついたのは、誰が罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神の業(わざ)がこの人に現れるためです」(ヨハネ9-3.4)
あなたのことを造ってくださった神さまは、あなたのことをとても大切に思っておられます。あなたが神さまを知らなくても、神さまはあなたのことすべて(髪の毛の数まで)を知っており、あなたの流している涙をご覧になっておられます。
本当は、罪に対して罰を与えなければならないのですが、神さまはあなたやわたしに罰を与えなくていいようにひとり子のイエスさまを十字架につけて、イエスさまに罰を与えられました。イエスさまはわたしたちの身代わりになって罰を受けて下さったのです。それが十字架の意味です。
ですから、あなたやわたしたちは、罪を犯してもイエスさまを見上げて、ごめんなさいと言うだけで赦していただけます。
聖書にはこう書かれています。「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。(Ⅰヨハネ1-9)」
あなたはすでに自分の罪に気づいておられますから、神さまは赦して下さいます。あなたの苦難には、必ず終わりがあります。どんなに暗くても、それはトンネルの暗さです。トンネルの出口は、今は見えなくても必ず外の明るいところへ出られます。だから、どうか絶望しないでください。暗いトンネルを通り過ぎたとき、「苦しみにあったことは幸いでした」と言えるときが必ず来ます。
神さまは「「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と言って下さっていますよ。祈っています。
人には言えない苦しみを抱え込んでいるU子さん。どのような苦しみか具体的にはわかりませんが、とてもつらい状況に置かれていることを察し、案じています。この苦しみが自分の罪に対する罰かもしれないと思っておられるようですが、決して罰ではありません。なぜなら、神さまはわたしたちに罰を与えるお方ではないからです。
わたしが乳癌になったこと、父が末期癌であること。とてもつらい事実ですが、これらのことは決して神さまの罰ではありません。
「ミルカとティナ」を読んで下さいましたか?ミルカの手足が動かなく、また口もきけなくなってしまったのは、ミルカの罪に対する罰ではありません。ティナに生まれつき障害があるのは、ティナの罪に対する罰ではありません。
聖書には、生まれつきの盲人をみて、弟子達がイエスさまに質問したという箇所があります。「先生、彼が盲目に生まれついたのは、誰が罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神の業(わざ)がこの人に現れるためです」(ヨハネ9-3.4)
あなたのことを造ってくださった神さまは、あなたのことをとても大切に思っておられます。あなたが神さまを知らなくても、神さまはあなたのことすべて(髪の毛の数まで)を知っており、あなたの流している涙をご覧になっておられます。
本当は、罪に対して罰を与えなければならないのですが、神さまはあなたやわたしに罰を与えなくていいようにひとり子のイエスさまを十字架につけて、イエスさまに罰を与えられました。イエスさまはわたしたちの身代わりになって罰を受けて下さったのです。それが十字架の意味です。
ですから、あなたやわたしたちは、罪を犯してもイエスさまを見上げて、ごめんなさいと言うだけで赦していただけます。
聖書にはこう書かれています。「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。(Ⅰヨハネ1-9)」
あなたはすでに自分の罪に気づいておられますから、神さまは赦して下さいます。あなたの苦難には、必ず終わりがあります。どんなに暗くても、それはトンネルの暗さです。トンネルの出口は、今は見えなくても必ず外の明るいところへ出られます。だから、どうか絶望しないでください。暗いトンネルを通り過ぎたとき、「苦しみにあったことは幸いでした」と言えるときが必ず来ます。
神さまは「「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と言って下さっていますよ。祈っています。