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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

成長していく力

2017-11-06 16:57:12 | ティーンズ

3日~4日は教会のティーンズ(中高生)のお泊り会でした。お泊り会は釜メシと呼ばれています。釜飯を食べるわけではありません。同じ釜の飯をいただいて親交を深めるという意味かな(?)
わたしは体力がないので泊らず、通いで奉仕しました。

3日は貝塚公園の広場でフリスビーを使ったスポーツ、アルティメットをしました。フリスビーは飛ばして遊ぶことしか知らなかったのですが、アルティメットという競技があることを教えてもらいました。バスケットとアメリカンフットボールを合わせたような競技です。

フリスビーの飛ばし方や、受け取り方を練習すると、チームに分かれて試合が始まりました。子どもたちは、回数を重ねるほど上達していきました。アルティメットは、ほとんどの子どもが初めてだったので、飛びぬけて上手な子はいませんでした。チームで助け合わなくてはならなかったので、とてもいい試合になりました。子どもたちはチームプレーの大切さを学んだようです
ちなみにティーインズ奉仕者最高齢のわたしは、芝生に座って見学していました。たいしたことをしていないのに、今日は腰痛で半日寝ていました。

教会に戻ると、夕食の準備です。メニューは鶏肉の甘辛焼きとけんちん汁、豆腐入り白玉デザートです。3つのグループに分かれてイオンで買い物しました。

教会のすぐ近くにイオンがあるので助かります。
(イオンやニトリが教会の敷地内にあると勘違いしている人がいるほど……)
家ではほとんど料理をしてない子どもたちなのですが、ちょっとコツを教えると、すぐに覚えました。おいしくいただきました。

翌朝の礼拝では、聖書通読の恵みが語られ、聖書全体像についてレクチャーを受けました。前日遅くまで起きていたのでしょう、居眠りをしている子どもたちが多かったです。そのあと、グループワークです。

私の担当したグループには1時間半で聖書の創世記を調べ、主な出来事を箇条書きにするという課題が出ました。チャペル・ピスガの芝生に場所を移動したら、皆、芝生で寝てしまいました。すぐに声をかけず、待つことにしました。このまま一時間半ずっと寝てしまったらどうしよう……とあせる気持ちを押さえて待ちました。待つこと8分、ひとり、ふたりと起き出し、全員めざめたのでほっとしました。

少し眠ったことが良かったのか、課題への取り組みは男子も女子も意欲的でした。
教師がすべて教えてしまってはダメですが、助言をしないと時間内に終わりません。
でも、子どもたちはわたしが思っていた以上に「聖書を知りたい」という思いが強く、生き生きとして課題に取り組み、発表していました。

ティーンズの教師をさせていただいて8か月になります。小学科が長かったので、つい中高生なのに小学生扱いをしてしまうこともありましたが……。子どもたちの成長していく力を現在進行形で見て、驚きと喜びが与えられています。


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自分の生まれた日をのろった人

2017-09-06 16:39:42 | ティーンズ
前回の記事に9月1日前後は自殺者が多いと書きましたが、今年も高校生、中学生が自らの命を絶ったニュースが流れてきました。

3日のTEENS礼拝では「いのちはどうして大切なの?」と問いかけがありました。
その後、旧約聖書のヨブ記が紹介されました。

ヨブは神様を信じる正しい人でした。子どもや孫たちに恵まれ、たくさんの財産を持ち、裕福で幸せな生活を送っていました。
ところが、ヨブの息子、娘たちが集まっていると、突然シェバ人が襲ってきて若い人たちが剣で殺されてしまいました。その報告がなされているうちにに天から火が下り、羊と若い者たちが焼き尽くされたという知らせが届きました。その間にカルデヤ人がらくだを奪い、若い者たちを打ち殺したという知らせがありました。その間に大風が吹いてきて家が倒れ、息子娘たちが全員死んでしまうという知らせが届きます。

次から次へと信じられないような災難に見舞われますが、ヨブはそれを聞いて、「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。(ヨブ記1:21)」と言って、神様を恨まず、かえって主をほめたたえています。

その後、ヨブ自身にも禍が降りかかります。ヨブは病気(重い皮膚病)になって、土器のかけらで身をかきながら灰の中に座っていました。
そのとき、ヨブは「自分の生まれた日をのろった」のです。

すべてを失ったのに神を恨むことなかった信仰深いヨブがなぜ? と思いますが、神を呪って当然のような状態です。

生まれなければ、こんなひどい目にあうこともなかったのに……と思ったことでしょう。
ヨブの災難を聞いて慰めに来た三人の友人は、あまりにもひどいヨブの様子をみて、しばらく誰も言葉を発しませんでした。
こんなときは、どんな慰めも励ましもかえって痛みになります。

かゆい、激痛がある、呼吸が苦しいときなどは一刻も早くこの苦しみを取り去ってほしいとしか祈れません。
苦しみは、肉体的苦痛だけではありません。なぜ、自分だけがこのような目にあうのかと精神的苦しみが加わります。

正直に生きていれば、幸せになり、悪いことをしたり欲深い人は不幸せになるという考えを持っている人は現代にもいますが、紀元前1500年頃にもそのように考えていた人たちがいたようです。
慰めるつもりで見舞いに来た友人たちが、ヨブに罪があるからそうなったのだと言い始め、ヨブはそれに答えていくうちに意固地になっていきます。

ここまでは、わたしのヨブ記理解です


以下はメッセージの一部です。
人は自分に与えられているものによって支えられています。それをすべて失ったとき、生きる力が与えられるのでしょうか? 

生まれた日をのろったヨブを他人事のようには思えません。いろいろなことを投げやりになったり、自分の環境をのろったり、自分の容姿がいやだ、もっと能力があったらよかったのにとのろうことがあります。

いのちに対していい加減な気持ちを持っているからのろうのです。
生まれた日をのろうということは、自分なんかいなくてもいい、存在しなくてもいいと思ってしまうことです。
「いのちはあなただけのものです」と言った人がいますが、それは違います。いのちはあなたのものではなく、いのちを与えてくださった神様のものなのです。
いのちを与えることができるのは神様だけです。与えられたいのちを生かしてくださるのは神様です。人間の価値を決定するのは神様です。


簡単に「死にたい」なんて言えないですね。


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「もうダメだ」と言わないで

2017-08-22 16:54:35 | ティーンズ
先週、ソークンは一か月検診を無事クリアして、娘たちは横浜の自宅に帰っていきました。
6月から来ていたので3か月近くいたことになります。夜中に目が覚めると、ソウクンがまだいるような気がします。
疲れましたが、無事役目を果たせてほっとしています。

TEENS礼拝では、職業人シリーズとして、福祉関係で働いているクリスチャンの証しを聞いています。
先日は、ケアマネージャーとして働いておられるOさんのお話でした。一部紹介させていただきます。

風邪をひいて自宅で転倒し、ひとりでトイレに行けなくなってしまった高齢者のFさんの事例が挙げられました。Fさんは「こんな身体になってしまって、もうダメだ」と言ったそうです。
言葉がけ次第で、その後がずいぶん変わることがわかりました。

①「もうダメだなんて言わないでください。大丈夫ですよ」
②「頑張らなくていいのですよ。ゆっくりしてください。今までずっと頑張って来たではありませんか」
③「これまでのようにお仕事ができなくなって、つらいでしょう。それでも、以前のように何か役目を果たしたいとお考えなのでしょう」

①~③、どれもよい言葉がけですね。でも、意欲的になるのは、③のように言われたときだと教えていただいて、確かにそうだと思いました。
Fさんは、「もうダメだ」と絶望しています。①や②のように言われると、治る見込みがないかもしれないと思い、リハビリをしようという意欲がなくなってしまいます。
③のように言われると、ダメじゃないかもしれない。以前と同じようにはできなくても、何か役に立つことができるようになるかもしれないと思うのです。

ここで、ケアマネージャーは方向性を考え、ケアプランをたてたり、トイレに手すりをつけたりします。

新約聖書のエペソ2:10には「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。」と書かれています。

わたしもそのうち高齢者と呼ばれるようになります。最近、高齢者の心境がわかってきました。

昨日と今日は同じようですが、だんだんと体のあちこちが痛くなり、頭がぼんやりとし、今まで普通にできていたことができなくなってきます。
あせってもゆっくりとしか行動できず、物忘れをし、人の名前がわからず、言葉が出てこないこともあります。怪我や病気をするとたちまち弱ってしまい、回復が遅れ、自分は「もうダメだ」と思ってしまうことがあるでしょう。

そのような方たちに言いたいです。
あなたは、ダメなんかじゃありません。生きている限り使命があるのです。
60代には60代の、70代には70代の、80代には80代の、90代には90代の使命があるのです。

人は、良いことをするために神様によって造られた作品だからです。もし寝たきりになったとしても、「祈る」という仕事ができるので、使命を果たせます。


カテゴリーに『ティーンズ』を加えました。


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選択の自由

2017-08-08 16:05:23 | ティーンズ
暑さの中にあって、ソークン(娘の赤ちゃん)は元気です。大きすぎると思った産着が小さく感じられるほどになりました。まだ起きている時間より眠っている時間が長いですが、顔を見ていると、寝ていても起きていても、実に様々な表情をします。しかめつらもすれば、微笑んだり、口をすぼめたり、いきんで真っ赤になったり、くしゃみをしたり……。泣くときは全身で大声を上げます。生命力の強さに圧倒される毎日です。

日曜日にはソークンを見に妹と姪が都内からやってきました。息子一家も来て次々顔を見せたので、ソークンは興奮してその夜はなかなか寝付けなかったそうです。新生児でもわかるのですね。

今日は6日のTEENS(中高生)礼拝のメッセージから考えたことを書かせていただきます。

最初の人間は、アダムとエバです。アダムとエバはお母さんのおなかから生まれたのではなく、神様によって直接造られました。

ふたりは神様と共にエデンの園に住んでいました。神様は、アダムとエバに園の木に実っているどの果物でも食べてよいが、善悪の知識の木から取って食べてはならないと言われました。

アダムとエバがエデンの園で過ごしていた日々がどれくらいの期間だったのかわかりませんが、ありとあらゆる木の実を自由に食べられて、幸せだったのではないでしょうか。
ふたりはいつも神様と一緒で、隠しごともなく、どんな小さなことでも神様に話していたのだと思います。
「今日の夕食は何を食べたらよいでしょう。バナナですか? ブドウですか?」
と尋ねたかもしれません。

でも、神様はどの果物を食べたらよいか指定しませんでした。自分たちで選ぶようにされたのです。

神様のみこころに従って生きたいと願うとき、選択肢があるとどれを選んだらよいか迷います。神様がはっきり示してくださればよいのにと思います。
聖書を読んで、あるいは祈っていて示されることもありますが、わからないときの方が多いです。
そんなとき、神様が「何を食べてもよいのです。善悪の知識の木の実以外は」とアダムとエバに言ったことを思い出すようにと教えられました。

神様は人間をロボットのようになってほしいとは思っておられません。何から何まで命じてその通りにさせようとするのではなく、選択の自由を与えてくださっています。

自由があるからこそ、個性を生かすことができるのです。
神様が悲しまれるような道を選んでしまって、罪を犯してしまうこともあります。でも、罪を犯したからといってそれで終わりではありません。

エバは蛇にそそのかされて、唯一食べることを禁止されている木の実を食べてしまいます。そして、アダムにも食べるようにすすめ、アダムも食べてしまいます。その直後、ふたりは神様から身を隠します。

神様に見つけられたとき、ふたりは自分以外のもののせいにしてあやまりませんでした。それでエデンの園から追い出されてしまいました。神様はどれだけ心痛めたことでしょう。
神様はアダムとエバに皮の衣を作って着せてくれます。
それは、後にキリストによって人類を救うことを表しているのだそうです。
神様は罰を与えるとともに、人類の救済計画をこのときから考えてくださっていたのだと思うと、心が震えます。

人生は選択の連続だと言われているそうですが、選択をするとき迷います。間違ったらどうしよう。この道を進んだら大変なことになってしまうかもしれない。
決断力のないわたしは、どうしよう、どうしよう……と思ってばかりでした。

けれども、神様が禁止されている道でなければ、どれを選んでもよいのだと気づかされました。

聖書には次のように書かれています。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)」

どの道を選んでも、神様は益としてくださいます。益となったことがずっと後になってわかることもあります。だから、恐れずに選んでいきたいです。



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キャンプの下見

2017-06-21 16:32:55 | ティーンズ
娘が出産のため家に来ています。予定日は7月半ばです。塩分、糖分控えめ献立を一緒に考え、スーパーに買い物に出かけています。

とても不思議な気持ちです。娘が結婚前は、一緒に食料品売り場に行って買い物をするということがほとんどありませんでした。少しでも安くて質の良い物を選ぼうとしている娘を見て、変わったなと思いました。
週末には婿さんが来ます。長男の子どもたち、ヒックンとナルクンも来るので賑やかになりそうです。

昨日は、教会のA先生の運転でTEENSの夏のキャンプの下見と説明会に行ってきました。一時間ぐらいで行けるのかと思ったら、途中でちょっと迷ったので一時間半かかりました。

説明会にはぎりぎり間に合いました。
同じ日に6団体が泊るので、講座室や体育館、食堂、お風呂、キャンプファイヤー場など、重ならないように話し合いながら使用する場所と時間を決めました。

昨日は7月末からお盆前までのスケジュールを決めるということでした。48団体の代表者が集まったので、会場は満員でした。
わたしはA先生の後ろに控えていただけですが、説明と合わせて3時間もかかり、ふらふらになってしまいました。

施設は北浦の湖畔にあり、緑豊かで広々としています。(写真)
北浦の向こうは太平洋です。車で30分ほどで海岸へ行けるので、2日目は早朝、海岸へ行ってデボーションをするというプログラムが予定されています。

わたしはキャンプには参加できませんが、準備の段階で手伝うことができてうれしく思いました。
車中では、たくさんおしゃべりして楽しかったです。天気もよかったことを感謝しました。


日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。
ここをクリックしてごらんください。


                                       

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存在価値がわからなくて(その3)最終回

2017-06-14 16:14:24 | ティーンズ
存在価値がわからなくて③

卒業後は幼稚園に勤めました。キリスト教の幼稚園が多かった中、わたしはクリスチャンでないのに子どもたちの前でお祈りできないと思い、キリスト教でない幼稚園に勤めました。 

保育の現場では、毎日予想もつかないことが起こり、あたふたしていました。また、先生の中でいじめがあったり、心傷つくことがあって心身ともに疲れていました。

また、母とも折り合いが悪く、家に帰ると母が今日あったことを根掘り葉掘り聞くので、それが煩わしくてたまりませんでした。それで帰りに本屋さんで時間をつぶしたり、ひとりで外食をして、なるたけ遅く帰るようにしていました。

本屋で時間をつぶしていたとき、クリスチャン作家、三浦綾子の「あさっての風」という本が目に留まりました。坪井栄の童話で「明日の風」というのがあったので、童話だと思って買ったのです。幼稚園では毎日子どもたちにお話をしていました。
「あさっての風」は童話ではありませんでした。若い人向けのエッセイでした。惹かれて読んでいくうちにキリスト教のことが出てきましたが、違和感はありませんでした。むしろ、文章が自分の心に寄り添ってくれるので、親しみを感じました。

次に三浦綾子の小説を読んだとき、はっとして自分の間違えに気づきました。いままで、いつも自分は正しいと思っていました。
同僚と園長や先輩の悪口を言っていたのですが、もしかして自分の方が悪いのではないかと思えてきました。また、母を避けていましたが、もしかして母は寂しかったのかもしれない。わたしと話すのを楽しみに待っていたのかもしれないと思いました。

自分の罪に気づいて日毎に苦しくなり、このままではいけない。教会にいかなくてはという思いがつのってきました。
 それで電話帳を調べて近くの教会へひとりで行きました。その日から約半年後のクリスマスに洗礼を受けました。二十二歳のときでした。

洗礼を受ける前に何の学びもなく、面接もありませんでした。クリスマスの前の週に牧師先生から「来週洗礼式があるから受けませんか」と言われて受けたのですが、実は意味がよくわかっていなかったのです。洗礼を受ければ聖(きよ)い心になって、罪を犯さない人になると誤解していました。ところが、洗礼を受けた後でも相変わらず罪を犯してしまう自分に失望しました。クリスチャンの先輩や牧師先生に相談すればよかったのですが、その勇気がなくて相談できず、受洗二年後に教会を離れてしまいました。

その後、結婚して子どもが与えられてから、埼玉の教会へ通うようになり、はじめて神様の愛、十字架の意味がわかりました。
神さまが自分のことをどんなに愛しておられるか、そのことがわかったとき、とび上がりたいほどうれしくなりました。ずっと抱いていたむなしさも、イエス様によって埋められました。

お話の中でこれまで「存在」という言葉を何度か出てきたと思いますが、わたしは劣等感が強く、存在価値のない人間だと思っていました。でも、それは間違えでした。
聖書には次のように書かれています。

イザヤ43:4
「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」


「わたし」というのは天地万物を作られた神様です。あなたというのはひとりひとりの人間です。ほかの人が何と言おうと、神様はあなたを高価で尊いと言ってくださり、愛していると言ってくださっています。

その愛は、ひとり子のイエス様を十字架につけていのちを差し出すほどの愛です。
どんな人間でも神様により造られました。だから、はかり知れないほどの価値があるのです。そして愛されているのです。そのことを忘れないで下さい。

                      おわり

礼拝の後、各グループで次の3つのことについて話し合いました。

・感想や質問はありますか?

・劣等感、または優越感を抱いている人はいますか?

・存在価値について考えたことがありますか? 自分の存在価値はどれくらいだと思いますか?




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存在価値がわからなくて(その2)

2017-06-13 20:29:43 | ティーンズ
「存在価値がわからなくて②」

そのころ喘息が悪化して、よく学校を休んでいました。当時はいい薬や予防薬がなかったので、発作が起きると、苦しくて横になることもできなくなります。発作は昼ではなく夜中に起きることが多く、夜中に病院の救急外来で注射をしてもらっていました。病院は坂の下にあって、歩いて五分のところでしたが、行くのに三十分以上かかっていました。

ある夜、ひどい発作が起きたとき、父親が会社の人に車に乗せてもらって帰ってきました。家に車がなかったので、母が会社の人に病院まで乗せていってほしいと言うと、会社の人は快く承知してくれました。わたしは、発作が起きているところを人に見られるのがいやで、行かないと言って柱にしがみついていましたが、父親によって無理やり車に乗せられてしまいました。

病院では時間がかかるからと、会社の人には帰ってもらいました。注射を打ってもらうと、息が楽になったので母に抱えられて歩いて家に帰ることにしました。

ところが、坂道を登っていると、また発作が起き、道で倒れてしまいました。
母はわたしを背負うことができないので、「お父さん呼んでくるから待っていて」と言うと走って坂を上って行ってしまいました。家は
坂の上にありました。

坂道には街灯もなく、真っ暗でした。道の脇には堰(せき)があって、水が音をたてて流れていました。堰の向こうに茂みがあり、そこから猛獣が飛び出してくるように思えました。

恐ろしくて、坂道をはっていくのですが、なかなか進みません。涙が道にしみこんでいきました。

「こんな苦しい目にあって、なぜ生きていなくてはならないの?」とつぶやいたとき、ふと誰かに見られている気がして空を見上げました。星がキラキラ光っているだけで、誰もいませんでしたが、このとき、天におられる神様を感じたのです。
その日は、父に背負われて無事家にもどりました。

喘息で一週間欠席して久しぶりに学校へ行っても、誰も声をかけてくません。先生もです。自分は、いてもいなくてもいい存在なんだ。自分には価値がないんだと思いました。朝、学校へ行ってから誰とも一言も話さず帰ることの多かった日々。このような日が永遠に続くように思いました。

あるとき、自分のお墓に家族や従兄弟たちが来ていて笑っている絵を描きました。それを祖母にみつかってしまいました。「なしてそんな絵を描く?」(祖母は秋田弁)と聞かれ、「わたしがいなくなれば、みんなせいせいしたって喜ぶでしょ」と言うと、「そんなごと、あるわけねえべ!」と強く言って祖母は泣きました

わたしははっと胸を突かれました。祖母の涙を見て、少なくともおばあちゃんだけは悲しんでくれる。年老いたおばあちゃんを悲しませてはいけないと思い、自殺を思いとどまりました。不思議に両親が悲しむことは想定していませんでした。

自分の存在価値がわからず、何のために生まれてきたかわからず、自分はダメな人間だという大きな劣等感を抱きながら悶々としていた中二の一年間は、十年にも感じられる長い時間でした。

そのころ家で毎日中学生新聞をとっていました。中学生新聞のコラムを読んだとき、心打たれたので、その記事を書いたA先生に手紙を出してみました。別の中学の先生だったのでお返事はこないと思っていたのですが、一週間後にお返事が届きました。それは、温かく励ましてくださるような内容の手紙で、手紙を読んで声を上げて泣いてしまいました。

何を書いたか忘れましたが、会ったこともない人に手紙を書かなければならないほど、心に切羽詰まった思いがあったのです。その後も悩みや考えていることを手紙に書くと、丁寧にお返事をいただき、A先生とは高校三年の終わりまで文通が続きました。
今から思うと、A先生は、担任のクラスの生徒たちでとても忙しい日々を過ごされていたのに、自分の学校ではないひとりの中学生に手紙を書き続けてくださいました。このことは、すごいことです。

A先生とは直接お会いしたことはないのですが、文通のおかげで生きる意欲が与えられました。また、国語の先生だったので、中学生向きの本をたくさん紹介していただき、本をよく読むようになりました。A先生は、この本をぜひ読んでみてください。あなたの感想が聞きたいのですと手紙に書いてくださいました。

小説を書き始めたのはそのころです。作文は苦手だったのですが、空想したことを文章にすると、書いているうちに勝手に物語が動きだし、どんどん書けるのです。原稿用紙136枚の小説を書いたとき、少し自信がつきました。わたしは何をやってもだめな人間だけど、136枚もの小説を書けるのはこのクラスで自分だけだと思い、劣等感から解放され、代わりに優越感を抱くようになりました。

長い中二がやっと終わり、中学三年になったとき、クラスに(芋ちゃんと米ちゃんという)二人の友達ができました。こちらから声をかけたのか、声をかけられたのか覚えていませんが、学校生活が一変しました。
中三のクラスはみんなニックネームで呼び合っていて、わたしにも名前が付きました。グリムです。グリム童話の魔法使いのおばあさんに似ているということで、グリムばあさんとも呼ばれました。十五歳でおばあさんです。それでもニックネームがついたのがうれしくて、このクラスでは受け入れられているんだなあと思いました。

高校生になるころには喘息の発作を起こすことがほとんどなくなっていました。
子どもが好きだったので幼稚園教諭の資格が取れる学校を受験しました。ところが結果は補欠の十番。ぎりぎり繰り上げ合格になりました。

入学してからその学校がキリスト教の学校だと知りました。教科書と共に聖書を買うようにいわれました。そのときが聖書を手にした最初でした。
学校では毎日礼拝がありました。夏休みに教会へ行って週報をもらってくることという宿題が出て、しぶしぶ行きました。


                      つづく


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存在価値がわからなくて(その1)

2017-06-12 17:19:19 | ティーンズ
昨日はTEENS礼拝で中高生たちにメッセージをさせていただきました。
『わたしの人生劇場』と題して語ってくださいと依頼されたとき、ちょっと驚きました。
ちょうど日本クリスチャン・ペンクラブで「自分史」を書く課題に取り組んでいた時だったからです。

これまでエッセイを書いてHPにも掲載しているので、それとも重複するところがありますが、今回は中高生向けに語るということで新たに書きました。全文を数回に分けて紹介します。題は「存在価値がわからなくて」です。
                  
       「存在価値がわからなくて①」

わたしは東京で生まれ、中学一年の一学期まで東京都武蔵野市に住んでいました。家族は両親と祖母と妹の五人です。家族にも親戚にもクリスチャンはいませんでした。
 子どものころはとても体が弱かったです。よく熱を出したり、喘息の発作を起こしていました。
また臆病で、いつもびくびくしていました。風船が割れること、犬に吠えられること、蜘蛛とダンゴ虫、雷など、この世界は怖いものだらけなので、誰かに守ってもらいたいと思っていました。
 家族以外の人はもっと怖かったので、外に出ると必要なこともいえない無口な子どもでした。
中学一年の時、父親が関西に転勤することになり、家族で神戸に引っ越しました。新しい家は高台にあり、わたしの2階の部屋の窓から海が見えました。「なんて素敵な部屋!」と喜んだのですが、どこへ行くにも坂道を降りなくてはならず、帰りは坂道を登るのに苦労しました。
9月の新学期に神戸市の中学に転校しました。
「新しい学校では誰もあなたが無口で消極的だと知らないんだから、自分を変えるいいチャンスよ。積極的のふるまってみたら」と、母から言われ、新しい学校では明るく積極的にふるまおうと張り切っていました。
ところが、担任の先生から紹介されると、いきなり「東京から来たんやて。生意気やな」という声が聞こえてきました。  
わたしが話すと関西弁とイントネーションが違うので笑われ、積極的になどとてもなれませんでした。
新しいクラスではいじめられました。「それ、東京で買(こ)うたんやろ」と言って筆箱を捨てられたり、座ろうとしたら椅子を後ろにひかれ、口を開けば、「話し方があかん」と言われました。それで、もともと無口だった私がなおさら無口になりました。中には親切にしてくれる生徒もいて、英語クラブにさそってくれたので、入部しました。
中学二年でクラス替えがあり(当時9クラスもありました)、女子の中で知っている顔がひとりもいないことに気づきました。自分から話しかけることができないでいると、誰からも声をかけられず、一年間友達ができませんでした。

そのころ中学では、昼休みは教室にいてはいけないという決まりがありました。健康のため、休み時間は外に出て体を動かすようにという理由です。  
二十分の昼休みが苦痛でした。ひとりでいるところを誰にもみられたくなかったのですが、それは無理なことでした。図書室に行って本を読んでいても落ち着かず、校舎のまわりをうろうろ歩き回っていました。すると、三人組といわれた同じクラスの女子が、三人で仲良く肩を組みながら歩き回っていて、何度かすれ違いました。「わたしも仲間に入れて」とひとこと言えればよかったのですが、断られるのが怖くて言えませんでした。
あるとき担任の先生に呼び出されて、関西弁でこんなふうに言われました。
「なあ、みなと。(みなととはわたしの旧姓です)お前はひとりで校舎のまわりを歩き回っているんやて? 友達作らなあかんでぇ」
きっと三人組から聞いたのでしょう。
わたしは叱られたと思って、「はい。すみません」としか言えませんでした。『友達作らなあかんと言われても、どうやったら作れるのですか。わたしは友達が欲しいのです』と、本当はそう言いたかったのです。
それから、休み時間歩き回ることができなくなってトイレに籠ることにしました。
トイレしか安心していられる居場所がなかったのです。今のようなきれいなトイレではなく、和式で汲み取り式のトイレです。くさいのを我慢してチャイムのなるのを待ちました。
あるとき、トイレに籠っていたら外から声が聞こえてきました。
「誰か入っているみたいやけど、出てけーへんねん。」
「だれやろ。だれが出てくるんやろ。待っとこ」
(えっ、入っていること知られてたんだ、どうしよう。)
わたしは真っ青になりました。そうしたらチャイムが鳴って、バタバタ駆け出す足音が聞こえました。人の気配がなくなると、そっと出てきて大急ぎで教室へ走りました。先生はまだ来ていなくて後ろの席にすべりこんで、誰にも気づかれないですみました。ほっとしました。

そのあとは、三人組が喧嘩して解体し、校舎のまわりを歩かなくなったので、わたしはまた歩き始めました。
孤独になったせいか色々なことを考えました。家には仏壇と神棚があったのですが、神様と仏様どっちが偉いの? 罰が当たるって本当? 人の運命って決まっているの?
たくさんの疑問を両親にぶつけましたが、「そんなこと考える暇があったら勉強しなさい」と叱られてしまいました。

また、むなしさも感じていました。時間をかけ一生懸命描いた絵を壁に貼っていたら日に当たって変色し、ボロボロになっていました。それを見て、人間が作ったものはどんな物でも古くなって使えなくなってしまうのだ。人間も、どんなに長生きしたっていずれは死んでしまうんだ。一生懸命努力しても何も残らない。勉強がなんの役に立つのだろう……と考え、死を願うようになりました。

                         つづく


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どうすることもできる今日

2017-06-06 16:09:13 | ティーンズ
4月から一週間に3回の礼拝メッセージを聴いています。第一礼拝(日曜8:30~)、ティーンズ礼拝(日曜10:00~)、水曜礼拝(水曜10:30~)の3回です。
何と恵まれているのでしょう!

4日のティーンズ礼拝では、イエス様の弟子シリーズで、アンデレが取り上げられました。
アンデレはペテロの兄弟です。ペテロに比べてアンデレに関する記述は少ないです。

アンデレは最初バプテスマのヨハネの弟子でした。ヨハネはイエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の小羊」と言いました。(ヨハネ1:36より)神の小羊というのは、救い主であるという意味です。

バプテスマのヨハネの言葉を聞くと、アンデレはもうひとりの弟子と共に、イエスについていきました。アンデレは、ヨハネの言葉を素直に受け止め、信じてついていったのです。

「見逃し三振より、空振り三振の人生を」という言葉があります。バットを振りもせず見逃して後悔する人生ではなく、たとい空振りになっても、行動するように勧めています。

アンデレは、本当に救い主だろうかと疑いの気持ちもあったかもしれませんが、一歩踏み出したのです。
アンデレはその日、イエス様と語らい、宿を共にしました。そのあと兄弟ペテロにイエス様のことを紹介したのです。
イエス様の弟子となったアンデレについてはもう一か所、(ヨハネ6:5-14)にも書かれています。

大ぜいの群衆がイエス様につき従っていたとのこと。食べ物がなく、群衆はおなかがすいていました。イエス様はピリポに「どこからパンを買ってきて、この人たちに食べさせようか」と言われました。

ピリポは計算して200デナリあっても足りないと言いました。そのとき、アンデレは少年が5つのパンと2匹の魚を持っていることを伝えました。伝えた後で「しかし、こんなに大ぜいの人々ではそれが何になりましょう。(ヨハネ6:9)」と言っています。

アンデレは少年が持っている物をイエス様に伝えても何にもならないことは分かっていました。それでも、あえて伝えました。

そのことによって、イエス様はすばらしい奇跡を起こされました。群衆は男だけで5千人いたといいます。女子どもを入れれば1万人近くになったかもしれません。その人たちが腹いっぱい食べても残るくらいにパンと魚を増やしてくださったのです。

アンデレは計算ではなく、信仰によって行動し、用いられました。アンデレは、5つのパンと2匹の魚ではどうしようもないと思っていましたが、それをイエス様に差出し、イエス様に頼りました。

自分の力だけで何とかしようとするのではなく、イエス様に頼ることが大切だと教えられました。


過去はどうすることもできません。でも、今日という日はどうすることもできるのです。


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私が私の羊飼いだったら

2017-04-03 15:53:49 | ティーンズ
風は冷たいけれど、桜川の桜の蕾がふくらみ、花弁が今にもはじけそうです。

昨日はCS(教会学校)教師任命式でした。教会では1-2歳クラス、幼稚科、小学科、TEENS(中高科)、成人科、そのほか学びのクラスの教師は、任命式に与ります。(総勢59名の方が任命されました)

わたしは小学科ではなく、TEENS(中高科)教師の列に立っています。
そのことがとても不思議です。去年まで23回も小学科教師として任命されてきました。昨年は、当然、次も小学科教師の場所に立つのだろうと思っていました。

でも、今年はTEENS教師の場所に立っています。神様がそこに置いてくださったのです。いつまで続けられるかわかりませんが、はっきりしていることは、今、健康が与えられているから奉仕できるということです。
このことがどんなに貴重でどんなに喜びなのか、TEEMNSを辞めるときにわかるのでしょう。

TEENSに来ている子どもたちは40人近くいます。
その中で半分以上は小学生の時わたしが受け持った子どもたちです。すっかり大きくなって、名前を聞くまでわからなかった子どももいました。一緒に分級を受け持つ先生もかつて受け持っていた人でした。感慨深いです。
TEENSは大人とは別に礼拝をしています。場所は礼拝堂から少し離れたチャペルピスガです。メッセージは大人の礼拝と同じぐらいの長さですが、中高生でもわかりやすい内容になっています。

昨日は詩編23篇から語られました。
   詩編23篇1~8
主は私の羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、
それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、
私の頭に油をそそいでくださいます。
私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと
恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。


人を羊にたとえています。羊は①臆病②迷いやすい(目が悪いので迷ったら自分ではもどれない)③すごく頑固という性質を持っています。
主である神様が羊飼いだったら正しく導いてくださるので「わたしは乏しいことがありません」と言えます。新共同訳では「私は何も欠けることがない」と書かれています。
もし、私が私の羊飼いだったら、人と比べ自分が欠けた者だと思い、不平や寂しさの中に置かれてしまうでしょう。
でも、神である主が私の羊飼いなら、試練の中にあっても、心に余裕が与えられることでしょう。


礼拝の後、小グループに分かれて30分ぐらい話し合いをしました。礼拝で聞いたお話しについての感想や近況報告などです。わたしの担当は中学生女子グループです。子どもたちが心を開いてよく話してくれたのでうれしく思いました。

わたしがTEENSでした挨拶を紹介します。

小学科から来ました。小学科の先生を23年もやっていたので、みなさんの中には小学生の時に分級を受け持った人がいます。校長先生も受け持ちました。みなさんが大きく成長しているので、びっくりしています。
わたしはちょうど60歳ですが、心の年は今13~15歳です。3歳から15歳までの子どもの気持ちになれるというのが私の特技です。子どものころ、子どもの心を忘れない大人になりたいと願っていました。その願いはかなえられました。
小学科ではおもに教えていましたが、TEENSではみなさんから色々なことを教えてもらいたいと思っています。よろしくお願いします。



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