生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

なぜ病気はなくならないのでしょう(その1)

2018-07-23 17:12:34 | ティーンズ
昨日はTEENS礼拝でお話をさせていただきました。
前半を紹介します。

おはようございます。ちょうど一年前に「私の人生劇場」というテーマお話ししましたが、今日のお話はそのとき話したことも一部含まれていますが、視点を変えて話しますので最後まで聞いてください。

身体が丈夫な人と弱い人がいます。病気になりやすい人とほとんど病気をしたことがない人がいます。疲れると病気になる人と、どんなに疲れても一晩寝れば元気になる人がいます。人それぞれ与えられた体力が違います。

わたしは疲れやすく、ちょっと無理をすると病気になります。
2歳のとき肺炎になって、熱が出なかったので病院へ行くのが遅れ、生死をさまよったそうです。命は助かりましたが、肺炎がきっかけで小児喘息になってしまいました。

わたしが子どものころは、予防薬がなく、発作が起きたら薬を飲み、その薬の副作用で喘息になりやすくなり、また発作が起きる……という、悪循環を繰り返していました。大きな発作が起きると薬が効かず、呼吸がしにくくなり、死ぬほどの苦しみをがまんしなければなりませんでした。水槽から出た金魚が苦しがっているのと同じようです。

今は予防薬があるので、喘息になっても病院に通って治療していれば、それほど苦しむことはありません。
わたしの喘息は、毎年秋になるとひどくなり、よく学校を休みました。

中学生の時、ちょうどテスト前に喘息で休んだら、「ずる休みしてテスト勉強やっていたんでしょう」と言われました。
傷つきましたが、気も弱いので何も答えられませんでした。

高校生になって初めての定期テストの時、頑張って試験勉強を夜中の12時までやりました。それは、わたしにとって体力の限界を超えていたことでした。
明け方から喘息が出て、学校を欠席するしかありませんでした。学校からは病院へ行って診断書を提出するように言われました。たいていの先生は期末テストの点だけで成績をつけてくれましたが、生物だけは、休んだ中間を0点とされたので、期末が半分の40点(赤点)になってしまい、補習を受けたのを覚えています。
頑張りたくても頑張れないこと。誰にも理解してもらえないことで心には怒りと悲しみでいっぱいでした。
また、ほかの人と比べて、自分だけ病気ばかりしていると思い、丈夫な人がうらやましく、悔しくてなりませんでした。

そのころ天地を造られた神様のこともイエス様のことも知りませんでした。
それでも漢方薬を飲んだらそれが効いて、高校を卒業するころには喘息の発作がほとんど起きなくなりました。

その後、幼稚園の先生の資格がとれる神戸の短大に入りました。その短大はキリスト教の学校で、教科書と一緒に聖書を買うように言われました。そのとき生まれて初めて聖書を手にしました。
学校の夏休みの宿題で教会の礼拝に出て週報をもらってくるというのがあり、しぶしぶ礼拝に出たのを覚えています。

幼稚園で働き始めると、『こんなはずじゃなかった』と思うようなことが続きました。行事の前は幼稚園に遅くまで残って準備をしたので、家に帰るとふらふらになっていました。
喘息は出ませんでしたが、倒れる一歩手前でした。

悩み傷ついて心も体もボロボロになっていたとき一冊の本「あさっての風」に出合いました。それはクリスチャン作家三浦綾子の書いたエッセーです。
その本を読んで、自分の罪が示され、教会に行かなければ……という気持ちになりました。短大の宿題で教会に行ったときのことを思い出して、神戸の教会に通い始めました。

教会を訪れて半年後に洗礼を受けました。何の学びもなく、あかしをすることもなかったのですが、知っていたことはイエス様の十字架で罪が赦されるということだけでした。
聖書をろくに読まなかったので、洗礼を受けたらもう罪を犯さなくなるのだと勘違いしていました。
ところが、洗礼を受けても人の悪口を言ったり、意地悪な気持ちになったりするので、苦しくなって2年で教会を離れてしまいました。
教会から離れて2年後、結婚して埼玉県に住みました。男の赤ちゃんが与えられ、喜んだのも束の間、出産後、治ったと思っていた喘息が再び出てきました。そのときはすぐ治ったのですが、毎年秋になると喘息の発作が起きるようになりまた。

長男が9か月のとき、住んでいた団地から歩いて15分のところに新しく教会が建ちました。 
新しい教会を見たとき、どうしても行かなくては……と思いました。自分が喘息で苦しむ意味がわかるかもしれないと思ったのです。
なかなか教会に入れなくて、自転車で教会の周りを三周もしてしまいました。
牧師先生が気づいて、中に入るように言われ、一番端の席にすわってうなだれていました。
こんなに罪だらけのわたしは、礼拝堂に入る資格がないんじゃないかなと思いました。
すると、「よくもどってきたね。ここにいていいんだよ」というイエス様の声が聞こえたように感じました。

教会に通うようになって、いままで誤解していたことが正されました。
聖書には「こういうわけで、今は、キリストイエスにあるものは、罪に定められることは決してありません。(ローマ8:1)」と書かれています。
洗礼を受けた後に犯した罪も、イエス様の十字架によってすでに赦されていたのです。聖書の学びを通して、神様がわたしをどれだけ愛しているかに気づき、感謝と感動の毎日でした。

その後、ふたり目の子どもが与えられました。無事生まれましたが、出産後また喘息の発作が起きました。それは初めての子の時よりひどく、赤ちゃんが生まれて10日目で入院してしまいました。
幸い父と母のいる実家に帰っていたので、赤ん坊は両親が世話をしてくれました。

子どもたちが小学生になっても喘息は治りませんでした。ある夜、大きな発作が起きました。どんな薬を飲んでも効かなくなっていました。
夫は仕事でまだ帰ってきていません。子どもたちに留守番させて、夜間診療所に這うようにして行き、注射を打ってもらいました。注射で発作がおさまったので、ゆっくり歩いて家に戻ると、しばらくしてまた発作が起きました。
もう診療所に行く力がありません。このまま一晩中呼吸困難と闘うなんて、もう耐えられないと思いました。
「神様、わたしの命を取ってください」と祈りました。夫とふたりの子どもたちがいるのにそんなふうに思ったのです。

そのとき十字架につけられたイエス様の姿が瞼の裏に映し出されました。イエス様は十字架にはりつけにされて苦しそうでした。
そのとき、思ったのです。(イエス様も一緒に苦しんでくださっている!) 手も足も釘で刺されてイエス様の方がずっと苦しいでしょうに……。

聖書の言葉が頭に浮かびました。
あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。(1コリント10:13)

                           
(神様は、耐えられない試練にはあわあせないんだ)と思うと、ふっと肩の力が抜けてふとんにもたれると、いつの間にか眠っていました。
それ以来ひどい発作は一度も起きていません。
                          つづく



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2 コメント

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Unknown (サムサム)
2018-07-24 16:32:55
大変な苦しみにあわれたのですね。そして、「神様、わたしの命を取ってください」との祈りをしている最中に、十字架上で一緒に苦しんで下さっているイエス様のお姿がまぶたに浮かび、続いて、1コリント10章13節の『神様は耐えられない試練にはあわあせない』とのみ言葉が浮かんできて、肩の力がふっと抜け、いつの間にか眠りにつくことができたというのですからほんとにすごいですね。しかもそれ以来ひどい発作は一度も起きていないというのですから。
 素晴らしい「証し」をありがとうございました。
返信する
サムサムさんへ (文香)
2018-07-24 17:09:23
サムサムさん、コメントありがとうございました。これには続きがあります。
これから更新しますので(その2)をお読みくださるとうれしいです。
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