ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

バッハの「マタイ受難曲」を紀尾井ホールで聴いて

2013-03-31 09:52:02 | 文化

 昨日は、東京バッハ合唱団の50周年記念コンサートを、紀尾井ホールまで聴きに行きました。 四谷駅で降りて上智大学方面に向かって行きます。 いつも電車の窓から見える大学の運動場の土手の裏側に、キャンパスはあります。

 土手にある桜並木を右側に、キャンパスを左手に見ながら進むと、紀尾井ホールがあります。 指揮者の大村恵美子さんがフランスからの留学を終えるとともに、バッハのカンタータ演奏を志して、東京バッハ合唱団を立ち上げて50年になるといいます。

 最近になって朝の6時から、古典の調べということで、「らじるらじる」から宗教音楽を聴いておりますが、余りに胸に響くものがあるので、朝歩きをやめて昼歩きにしようかとも、考えているところなのです。

 コンサートは1部75分、2部105分と、私としても初めての長い演奏を聴くことになりましたが、指揮者の大村さんが日本語に訳したもので唱うというものでした。 

 合唱を聴いていても音として聴くだけで、言葉としては余りよく聴こえませんので、日本語に訳した大村さんの努力には敬意を払うものの、私にとっては原語(ドイツ語か)でもよいのかなあとも感じました。 ただし、丁寧なことにパンフレットには、唱う言葉が全て記されていました。

 因みに指揮者の大村さんは、81歳にもかかわらず、若く感じました。 ちょっと太り気味の体をしていましたが。

 いずれにしても、オルガン奏者、東京カンタータ室内管弦楽団、東京バッハ児童合唱団、東京バッハ合唱団およびテノール、バス、バリトン、ソプラノ、アルトのソリスト達の長時間にわたる熱演に、改めて心よい疲れを感じました。


深海魚ダイオウグソクムシが4年2ヶ月食事をしないというが

2013-03-30 08:15:53 | 

 鳥羽水族館にいる7匹の深海魚ダイオウグソクムシの内、1匹が4年2ヶ月拒食中だという記事がありました。 4年以上も食事をしないでいられるということは、驚異なことではありますが。

 何年か前に、インドの方が、もう何年も一切食事をしないで生活をしているということの記事もありました。 インドの場合は、その方を隔離して観察し、本当に食事をしないで生きていけてるのかを、調べているとも書いてありました。

 私は、宇宙エネルギーだけでも生きていけるのではないかと、座禅(静功)を通して感じることもあります。 この世に酸素が存在しなかったときには、宇宙の大量に存在するといわれている、宇宙エネルギーを摂取することによって、生物は生息していたと感じるからですが。

 静かに余り動かないでいれば、エネルギーの消費も少なくてすみ、宇宙エネルギーでも生存、生長できるのではないかと思うのです。

 酸素が存在するようになってから、活動的になったのではないかと想像できます。 酸素が存在するようになって、生物もそれなりに適応できるような組織、構造になったのではないかと推察できます。

 私自身、深夜の1時間の座禅を、肺呼吸を伴わない気の呼吸・胎息で、静かに座り続けているからでしょうか。 そんなことを、深海魚ダイオウグソクムシの記事を見て、改めて感じてしまうのです。


南平高校吹奏楽部の演奏を聴いて若さを感じ

2013-03-29 07:21:39 | 文化

 昨夜は、帰り道にあるパルテノン多摩のホールで、都立南平高校の吹奏楽部の定期演奏会があり、期待もせず聴きに行きました。 

 高校生の吹奏楽は、吹奏楽甲子園として有名な東京杉並の普門館でのコンクールの様子を、テレビなどで放映されていますので、関心は持ってはいました。

 期待はしなかったものの、演奏を聴くと指揮者の方と一体になって出てくる音が、なんとも言えず若さがあり、元気があり、とても清々しい感じがしました。

 演奏される高校生たちが、楽しみながら演奏している姿を見るにつけ、私も元気さをもらったような気がしてくるから不思議です。 高校生の方々は、若いというだけで、魅力的に感じるものですが、それを十二分に発揮して、楽しませていただきました。


真っ暗闇の中での座禅では余計なことは考えないが

2013-03-28 07:23:22 | 座禅

 私は、座禅をはじめてからは、殆ど夜か夜中に行なって来ました。 当初は夜に行なって眠くなるようなことがあれば、さっさと寝てしまい、朝早く行なっていました。 従って、いつも暗い中で行なっていたことになります。

 10年近く、外へ出て行うことはなかったのですが、あるときに、こんな素晴らしい座禅を、毎日行っているようなお寺はあるだろうかと、ネットで検索してみました。

 近隣市で行なっているお寺があり、どのような和尚さんが行なっているのだろうかと、お顔を見に行き、行きがかり上、しばらく月に1回ぐらいの日曜日に、参禅させていただきました。

 その時に、はじめて和尚さんから、胡座の組み方と半眼について、注意を受けました。 それまでは、私は普通の胡座の組み方でした。 右膝を高校時代のクラブ活動で不完全骨折をして、十分な治療をしないままに置いた結果、星座も出来ないのです。 注意を受け、中途半端な形での半跏趺坐で座禅を、行うことになりました。

 半眼にしなさいと注意を受け,なぜ半眼にするのかを、坐禅をしながら考えて見ました。 お釈迦さまが、半眼の状態で瞑想している姿を見て、お弟子さんたちが半眼で行うものと思ったという説もあるようです。

 私は、改めて半眼の意味を考え、力が抜けた状態になると、半眼になるのではないかと感じたのです。 「半眼にする」のではなく、「半眼になる」のです。

 座禅を続けているうちに、いわゆる無我の境地に達したときに、目は半眼になるのだとも感じたのです。

 真っ暗闇の中で座禅を行いながら、改めて半眼の意味を考え直す日々です。


気の微妙な動きを楽しみながらも無心になる

2013-03-27 08:44:30 | 座禅

 長く吐く呼吸をしながら座禅を行なっていますと、いずれの時に体の中を循環する気の存在を感得することになります。 

 吐く息を出来るだけ長く吐き、吐く息を体の中の下腹部分にある臍下丹田に向けて吐くことにより、気の通る路である経絡を刺激するからです。 私たちの誰もが、生来持っていた機能である気感を、取り戻すことになるのです。

 私は、自身の坐禅や逆腹式呼吸の実践から、そのことを強く感じます。 お母さんのお腹の中にいたときには、気の呼吸を行いながら生長し、胎外の出来事を気を通して感じているのです。

 自分が体験したことではなく、胎内にいた時の出来事を、生まれてから自分が体験したかのように話す子供がいるといいます。 そのことは、上記のようなことを表しているのでしょう。

 生まれ出た瞬間から、気の呼吸から肺呼吸に変化します。 この時に発するのが、オギャーという泣き声だと感じています。このことも、自身の初めて胎息が出来るかどうかの実験をしてみた時に、息を長く止めてから、息を吸う時に苦しさを感じたことから、言えるのではないかと思われたのです。

 私は静かに吐く息を長く吐きながらも、早期に体の中の気の動きを感じたために(特に頭部ですが)、脳を刺激するその強さ、堅さ、流れるような優しさなどを楽しみながら、いつも1時間座っています。

 その感じ方は、いつも同じということはなく、一日一日が違っています。 ただその楽しさも感じながらも、無心の状態になると、また一段と違う雰囲気になってくるのです。 また、それはそれで楽しいのです。


作為を持たず只管長く吐く息だけに意識を集中する

2013-03-26 07:27:32 | 座禅

 私は、10数年前に生まれて初めて座禅(静功)を行なった時には、何も考えず、ただひたすら真っ暗闇の中で,出来るだけゆっくりと長く息を吐くことだけに、意識を集中していました。

 勿論、始めた動機は、当時、胸のあたりの異常を感じたので、それを克服できればいいなあと思ったのですが、座っている時には無我夢中で、長く息を吐くことだけしか、考えていませんでした。

 然しながら、胡座を組んだ初日に、頭の上の百会が活性化して、電子の輪の帽子をかぶったような状態になったので、興味半分で続けたこともあります。

 始めは足の痺れもありましたが、座禅に慣れるに従い、痺れも感じなくなっていきました。 私の場合、体の微妙な変化が先にあり、その変化を楽しみながら続けられたことも、あるかもしれません。

 深呼吸の要領で,出来るだけ大きく吸って、ゆっくり長く吐くことだけを、意識して行なって来ました。 呼吸法には種々あるようですが、幸いなことに私は全くの我流で、ごく自然にラジオ体操の深呼吸の延長みたいなものでした。

 私たちは、これまでの生活の中で、呼吸を意識したことはありません。 ましてや、わざわざ息を止めるということも、特別なとき以外は行うこともありません。 私の呼吸の仕方の考え方は、流れるような自然の呼吸です。

 出来るだけ極限に近い形で息を吐き切る寸前まで吐きながらも、あくまでも吸う、吐くの呼吸のリズムは、流れるように自然であることが大切なのです。

 息を吐き切る寸前で軽く息を止め、また大きく息を吸います。 この流れるような感覚が感得できれば、大きく前に前進するのではないかと思っております。

 

 

事務所北側を流れる乞田川の桜 遠くに見えるとんがり帽子の建物には柔ちゃんがお母さんと4年間住んでいました

 


当初は半身浴で入浴後に座禅を行なっていました

2013-03-25 06:25:08 | 座禅

 今では、夜は早くに寝て深夜に起きて、1時間の座禅を行い、その後、半身浴で入浴しますが、当初は半身浴で入浴後に座禅を行なっていました。

 後で反芻しますと、半身浴を行なって十分に下腹を温めていたことが、早期に下腹の臍下丹田が活性化したのかもしれません。

 生まれて初めて座禅を行う1年ぐらい前に、知人から半身浴で入浴すると、上半身が汗でいっぱいになりますよと聞き、すぐにその夜から半身浴で入浴しました。

 それ以来、半身浴を行なってから、寝るようになりました。 座禅を行うようになっても、生活スタイルは変わらず、夜食を食べ、しばらくしてから半身浴で入浴し、出てから部屋の照明を消して、真っ暗闇の中で1時間の座禅を行いました。

 隣室では家族がテレビを見ており、その音が聞こえる中での座禅でした。 当時、レスリングのオリンピック選手たちが、八田イズムのもとに、寝るときにもランプをつけて寝るという、意識を集中すれば何でもないという記事を見ておりましたので、私もそれに習って、隣室の音を気にすることもなかったのです。

 出来るだけ長く吐く息に、体の中へ吐く息に、体の中へ入っていく息だけに、意識を集中したのでした。 長く吐く息だけに意識を集中していると1時間は、あっという間に過ぎていきます。

 半身浴で下腹が十分に温められてから、吐く息を下腹の臍下丹田に向けて吐いていましたので、自然とその丹田が充実するようなことが、現実に行われていたのでしょうか、結果的に生まれて初めて座禅を、呼吸法を行ったにもかかわらず、1ヶ月半で臍下丹田が、自発動(気が勝手に動くこと)を伴いながら。活性化し心臓のように、鼓動を始めたのでした。


座っているだけの座禅が楽しいので全てのことが楽しい

2013-03-24 15:38:41 | 座禅

 座禅を行い始めて大きく変わったのは、ただひたすら静かに1時間座っているだけの座禅が楽しくできるので、ほかの日常的な全てのことを、楽しくできる、楽しもうとする気持ちを、いつも持っていられるようになったことです。

 

 日常的には、いいことばかりではなく、嫌なこともありますが、それ自身を素直に受け止めて、嫌なことを、どうやっていいことに繋げていかれるかなどを、考えることによって、意外と局面が打開できることがあるのです。

 

 また全てのことを楽しもうとして、いつも微笑みを持てるようになった気がいたします。 自分の顔を鏡でいつも見ているわけではありませんが、全てのものに(動物や植物も含めて)、優しく接する気持ちに、なってきているような気もいたします。

 

 自分自身は、まだまだ我欲を捨てきれずにいますが、半身浴を行いながら90歳になってから書き始めたという、芹沢光治良さんの「神のシリーズ」を読みながら、心身ともに洗い清められ、またパソコンに向かいながらも、クラッシック音楽を聴きながら、胸の中心部になる心を痛く刺激し、なおかつ、深夜の清新なエネルギーが満ち溢れている中での1時間の座禅が、日常的なストレスから解放され、崇高な至福感を感得することによって、徐々に変わってきているのかもしれません。

 

 いずれにしても、座禅が楽しく感じられるのは、幸せなことに違いありません。

 

 今日は、朝早くから家族4人で、秩父まで両親のお墓参りをしてきました。

お墓を掃除してからお花をあげ、父が好きだったお酒(日本酒の武甲)とお饅頭をおいて、お線香が消えるまで、お墓の前で過ごします。 お線香が消えたらば、掃除をしてから帰ります。 もう既に36年以上が経とうとしています。

子供たちには、お墓参りをするのが当たり前だという意識を、知らず知らずのうちに身につけているはずでしょう。


1時間の座禅を続けて来て何が変わってきただろうか

2013-03-23 08:46:21 | 座禅

 私は、いつも深夜に起きて、真っ暗闇の中で1時間、座禅を行なってきていますが、ふと何が自分自身の変化があっただろうかと、考えて見ました。

 日常的な問題が生じたときに、深夜の静かな状態の中で、ひたすら意識を長く吐く呼吸、体の中へ吐く呼吸に集中しているとき、ふとその問題が頭に浮かびます。

 その時に、雑念だといって片付けることなく、その問題を考えることにしていました。 すると宇宙の叡智が、このように考えたらどうですかと、サジェスチョンを与えてくれるのです。

 そのような過程を通して、深夜の座禅で、日常的な問題解決をしなければならないようなことを、考えるようになりました。

 また、何の変哲もなく、ただひたすら1時間座っていますので、普段はちゃらんぽらんなのですが、いざという時には集中力を発揮して、意外と早くに事を処理してしまうと、いうことが自覚できます。 自分でも後から驚くほどなのですが。

 更に座禅を通して、いつも宇宙を意識するようになりました。 日常的に体の中を流れる気の循環を感じながら(血液の循環は感じないのですが)、生活をしています。 頭部は特に、その流れを強く感じるところなので、顔の皮膚のすぐ裏側にも経絡があるため、顔色はどちらかというと、いい色をしていると、よく人から言われます。 

 経絡は神経の腺に絡み合うように流れていると云われていますが、同時に血管とも絡み合うように流れているためでしょうか。

 あとは胸の中心にある感情に関わる心を、いつも刺激を受けているせいでしょうか、クラッシック音楽をはじめとした音楽を聴くと、胸を痛く感じることが多くなってきました。

 最後にもう一つ、我慢強くなったことでしょうか。


ちょっと温かくなった途端に満開に・乞田川の桜

2013-03-22 07:34:58 | 座禅

 乞田川沿いの両側にある桜並木は、花の蕾はあったものの、なかなか咲く機会を失っていましたが、ここにきて温かくなる日にちが多くなるにつれ、一気に咲き始めました。

 例年、桜並木を歩かれる人々で、ちょっぴり賑やかになるのですが、桜の花は満開に近くなっているにもかかわらず、まだ人出のほうはイマイチです。

 駅前の事務所の北側の桜は、少し日陰になっているはずなのに、一番先に咲き始め、いまや満開です。 桜が乞田川に向かって、枝を伸びていますので、橋の中心から見ると、桜のトンネルのように見えるのです。

 多摩センター商店街のさくら祭りは4月7日ということですが、既に桜も散ってのお祭りになるのでしょうか。 

 今や宝野公園の桜も、綺麗に咲いている頃でしょうか。 ちょっと朝歩きをサボっているので、分かりませんが。