ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

伊倉を訪ねて の文章の深化を続ける伊倉雅晴さんとお茶を飲んで

2018-04-30 04:07:25 | 友人

新宿の淀橋生まれの淀橋育ちの伊倉雅晴さんは、千葉大学の建築学科を卒業して住宅公団に就職し、住宅行政に長く関わった方です。 後年は立川北側での開発計画にも携わって、元地主さんたちとも様々な形で関係したと話を聞いたことがあります。

仕事の関係で日本全国に出張することが多く、いつの日にかJR線の全国制覇をしようと考えたとのこと。 何処でそうなったかは不思議なのですが、最後の駅は熊本県の肥後伊倉駅に降り立ち、歩きながら神社にたどり着き、神主の方と名刺をお渡ししながら、話を始めました。

名刺の名前を見た神主の方はびっくりするように、この神社は昔住んでおられた伊倉性の方を祀る神社ですと話すではありませんか。 大昔、菊地一族の家来として後醍醐天皇派として参戦した伊倉氏は、最終的に御殿場地域での戦いに破れ、残された妻子は別姓を名乗るようになり、伊倉性は絶えて、現在はこの地に伊倉性を名乗る人はいないという。

雅晴はその時点からライフワークのように、伊倉を訪ねて の執筆が始まりました。 伊倉性を名乗る人々は、最後の戦いの地である御殿場に多く住んでいることを確認し、自分のお父さんの出身地である新潟県にもいることを確認し、自ら率先して肥後伊倉駅のある熊本県玉名市で、伊倉サミットを開いて交流を計りました。

私のブログを通して、伊倉雅晴さんのことや、伊倉を訪ねての文章の存在を知った御殿場に住む伊倉性の方が、雅晴さんと連絡を取られて交流が始まったことも聞きました。

雅晴さんは第1、第2稿と進み、更に現在、最終稿となるべく文章の作成を行なっているという。 


座禅の姿勢は上半身を直立させながら如何に力を抜くかが大切

2018-04-29 02:56:30 | 座禅

座禅を行う時の姿勢は、肩の力を抜き上半身を頭のてっぺんを天から引っ張られているような感じで維持し、胡座を組む膝はあくまでも転倒しないように、床に接するだけで良いのです。

これは上半身が直立し、重心が体の垂直状にあると、上半身を支える床からの反力によって、上半身には力がかからないー力が抜けた状態になるからです。

禅宗のHPを見ると、お尻と両膝の3点で上半身を維持しなさいとの記述があります。 残念ながら上記の力学的な視点が欠落しております。

お尻と両膝の3点で上半身を維持すると、重心は上半身の直立軸から移動して、じょうはんしんにも力がかかってしまうのです。 座禅の姿勢で大切なことは、如何に力が抜ける状態で長い間、維持出来るかなのです。

これは眼を半眼にしなさいということにもつながります。 眼は半眼にするのではなく、力が抜けた状態になると、眼は自然と半眼になるのです。 眼を半眼しようとすれば、多少なりとも筋力は働いてしまうのです。

お釈迦さまが菩提樹の下で瞑想する姿を、お弟子さんが見られて、お釈迦さまの眼が半眼になっておられた姿を見て、ただ単に眼を半眼にすべきと説いたのです。

私は座禅の時に、ふと浮かぶ雑念の中で、眼を半眼にしなさいというあるお寺の和尚さんの言葉を考えて見たのです。 私たちの誰でもが、天に還る時には眼は半眼になるのです。 究極的に力が抜けてくれば、眼は自然と半眼になるのです。


M君の尽力で長年会えなかった級友と会える予感が出て来たようです 黒門小のクラス会

2018-04-28 04:09:09 | 友人

6年間一緒だった黒門小学校のクラス会 柿の実会で、長年会えることが出来なかった級友と、下町のご隠居さんと云われているM君が、直接、文学座に電話をして、所属する新橋耐子さんと話をすることになって、5月に開かれる後楽園のかん徳亭で開かれるクラス会に出席しますとの返事をもらったと、私に電話が入りました。

私が幹事になった時には、所在不明の方を探すべく、ネットに名前を入れて検索しました。 T.静枝さんと結婚前の名前で検索したところ、大阪に在住されキリスト教会に関係していることが分かり、直接電話をして、その方とお話をしましたが、残念ながら別人でした。

そのT.静枝さんと新橋耐子さんが今でも交流していて、連絡が取れそうで、今回出席出来る雰囲気が出て来ました。 M君の尽力で長年会えなかった級友と久しぶりで、会えることになりました。

今からどんな姿に変容しておられるか、今から楽しみにしております。


座っても立っても上半身はリラックスし、頭のてっぺんが天から引っ張られているように

2018-04-27 03:48:28 | 健康づくり

私は我が家では床に座布団を敷いて、胡座を組んで座る生活が当たり前になっております。 肩の力を抜いて上半身を、頭のてっぺんを天から引っ張られているような感覚で座ります。

時折、目を瞑り体の中を流れる気の循環を楽しみながら過ごします。 この上半身の維持の仕方は、椅子に座っている時でも、立っている時でも同じように維持します。 いわゆる自然体の姿勢です。

何時もこのような姿勢に心がけていれば、どんな時でも自然体で接することが出来ます。 

深呼吸の要領で大きく息を吸ってから、出来るだけ長く吐く呼吸も行いますが、日中は軽く目を閉じて肺呼吸を伴わない気の呼吸だけで、ゆったり動く気の動きを楽しみます。

私たちの目には見えないが、私たちの誰もが胎児の時から感じていた気感を、この世に生まれ出た瞬間から気の呼吸から、空気を吸う肺呼吸に切り替えてしまった結果、次第にその気感も忘れ去られて行ったのですが。

口を閉じて鼻だけで呼吸する長く吐く呼吸を、継続的に行うことによって、気感を取り戻せることが出来ます。 イメージで吐く息を体の中へ吐く事を心がければ、無料で自己免疫力を高めることが出来ます。


黒門小のクラス会に出席出来ない人たちの理由様々な病に罹っていて

2018-04-25 03:40:43 | 友人

90数歳になられた柿沼正悦先生も、高齢者の施設に入られて出席出来ないと娘さんからの連絡でしたが、5月に後楽園の涵養邸で開くことになりました。

前幹事として新幹事をサポートする関係から、ネットで出席者の数や出席出来ない方々の理由が分かります。 改めて今年は自分も含めて体のあちらこちらに不具合が出るようになっているなあと感じます。

抗がん剤の治療を定期的に行っていても、毎日明るく元気に過ごしている方がいると思えば、肺がんの恐れがあると云われて精密検査を受け、その結果次第では出席できるかどうかは分からないという心配性の方もいます。

週に3回の透析を行なっている方や、大腸ガンの手術をされたばかりの人や、スポーツマンだった方が心臓にペースメーカーを入れての生活をされていたり、交換をされる予定の方や、昭和18年生まれぐらいの年齢になると、なにかとドクターのお世話になることを、表しております。

かくいう私も1週間に一度ぐらいは、検診や診察を受けております。 眼科、外科、泌尿器科、循環器内科、脳神経外科のお世話になっております。 そのほか整形外科もありますが、歩くのに普通に歩けず、負荷がかかるような状態ですが、それ以外は至って元気に過ごさせて頂いております。

何れにしても自分のことはさておき、そのような歳周りになったということでしょうか。 昨日は鉄人と云われた広島カープで活躍されて衣笠選手が、天に還られたというネットの記事をみて、改めて何歳かを確認してしまいました。 71歳でした。


ブナの盆栽を始めて40年を超えるという友人の話を聞いて

2018-04-23 07:27:49 | 友人

友人は舞台製作の仕事を行なっていて現在は引退したものの、40年ぐらい前には忙しくて、毎日のように都内から深夜にタクシーで帰る日が続いていたようです。

そんな忙しい日々を送りながらも、ブナの盆栽に興味を持ち、山梨でブナの盆栽を行なっている人がいると云うのを伝え聞いて、大月の駅を降りて河口湖まで歩きながら、探し歩いたようです。

大月から二つ目ぐらいの駅に着いた頃に、ブナの盆栽を行なっていた近藤農園(現在は後継者が花の栽培に切り替えたようですが)に辿り着きました。 その方の盆栽のやり方は、砂地で育てて河川の側に植え替えたりして育てたようです。

これが縁で近藤さんから10株ほどもらって、宅内に飢えて育てたようです。 現在は宅内にその姿が見えますが、枯れ始めてしまった盆栽を近藤さんに持ち込んで、数年後にはまた元気を取り戻していたという話をされていました。

ブナの盆栽については天才というか、名人という名に恥じない方であったということです。 その方から御殿場にもブナの盆栽を行なっているということを聞いて、直ぐに御殿場に行かれたそうです。

広い御殿場の何処だか分からないままに、駅を降りて探し始めました。 すると間もなくブナの盆栽が並べてある家が見つかり、盆栽をじっと眺めておりました。 すると家の中から出て来られた方が、興味があるなら入りなさいと招き入れてくれたそうです。

その方は御殿場高校の先生ながら、自宅内でブナの盆栽を行っていた河合英夫さんでした。 ブナの盆栽の本も出版されている方でもありました。 その本も頂いて来られたとのこと。

ブナの盆栽の話は未だ未だ続きましたが、楽しいひと時を過ごさせて頂きました。 ブナの話から階下に住んでおられた、日本のコンピュターの母と言われている高橋徹さんの交流の話も出て来ました。

高橋さんは東北大学の文学部哲学科の美学美術史専攻の方ですが、何故コンピューターにかんけいがあるのか分からないと話しておりました。 頚椎の病で病院にお見舞いに行った時には、外人の見舞い客が多かったのも、びっくりしたという話でした。


日常のちょっとした時間を利用して長く吐く呼吸のリズムを掴む

2018-04-21 01:59:55 | 逆腹式呼吸

ここでの長く吐く呼吸は、深呼吸の要領で行う呼吸です。 いわゆる一般的に云われている、初めに息を吐き出す腹式呼吸ではありません。

よく考えてみれば、長く吐く呼吸を行おうとする時には、はじめに大きく息を吸うのが自然です。 ここでは私たちの体の自然な生理から、出来るだけ長く吐くと云う無理をしながらも、吸う、吐くの自然な流れのリズムを大切にしながらの呼吸を、改めて行ってみます。

私たちはこの世に生まれ出て以来、呼吸を意識したことはありません。 そこで日常的なちょっとした時間を利用して、長く吐く呼吸を行い、そのコツを覚えてしまえばシメたものです。

出来れば軽く目を閉じて、深呼吸の要領で大きく息を吸ってから、出来るだけ長く息を吐きます。 吐く時にはイメージで息を体の中へ吐きます。 ここでは口を閉じて鼻だけで呼吸を行います。 吸った息が少し口の中に残っていますが(吸った息が鼻を通して口の中にもはいりこみますので)、その息が気管支を通って胸を通り下腹に入って行くのを追うようにして、息を吐き入れます。

実際に息が体の中に入っていくのを実感するために、息音を立てながら息を吐き入れます。 出来るだけ長く極限に近い程に、吐き入れます。 実際に息を吐き切ってしまうと苦しくなって、後が続かなくなってしまいます。

ここでは吸う、吐くのリズムは、自然の流れのようなリズムが大切です。 従って全部吐き切る寸前で軽く息を止め、流れるように今度は大きく息を吸います。 この呼吸法をちょっとした時間、立ちながらも、座りながらも、寝ながらも行なって、自然の流れのリズムを掴んでしまいます。

私は家族から、何かウンとかスンとか息音がうるさいと云われるようになりました。 こうなればシメたものです。 この長く吐く呼吸を行ないながら、胡座を組んでの座禅を行なって見ます。 多分、早期に自分の体に微妙な変化を感じることになります。 座禅が楽しくなって来るはずです。


2人のお子さんを育てるご婦人の話を聞いて改めて自分たちはどうであったかと

2018-04-19 02:01:29 | 家族

私が多摩ニュータウンに引っ越して来たのは、昭和47年だったと記憶しております。 清瀬市で生まれた長女が、丁度、1歳になったばかりの時でした。

私は虎ノ門にある建築設計事務所に勤めており、連れ合いも清瀬にいた時の不動産屋さんを辞めました。 私1人の給料での親子3人での生活です。 その1年後に長男が生まれました。

子供たちが小学校に通うようになってから、私自身は事務所を8年で退職し、自立することにしました。 ゼロからのスタートでしたので、取り敢えず先輩の事務所から手伝ってくれないかという話で、高田の馬場まで手伝いに行っておりました。

手元に入るお金が少ないので、学費補助を頂く生活を数年続けることにもなりました。 先輩事務所のお手伝いをするようになって1年目に、人のお手伝いをするために事務所を辞めた訳ではないはずだと考え、全くゼロからのスタートをすることにしました。

少ない貯金も底をつき、母から当面の生活資金として300万円を借りました。 多摩ニュータウンは民有地を区画整理されて、有効利用は未だ手付かずの状態でした。 虎ノ門に通っていた時には、駅まで通う通りにある空き地を見ても、何も感じなかったのですが、土地の所有者を調べ、公図を取得して建築計画の提案をすることになりました。

1週間ぐらいかけて作った計画案と、収支計画表を持って飛び込みで説明に上がりました。 公団の住宅の設計を手掛けていた経緯から、民有地を利用しての賃貸住宅や、先輩事務所が手がけていたスポーツクラブのピープルの誘致を勧めました。

たまたまピープルの副社長さんが、富士銀行の聖蹟桜ヶ丘支店の初代の支店長さんであったことも幸いし、ぜひ多摩市でピープルの施設を造りたいとの意思が強く、結果的に始めた計画した施設が、多摩センターに造られることになりました。

丁度その頃、経済的に豊かでなくても精神的に豊かになれるはずと思って、仕事もないのに朝の6時から9時過ぎまで、テニスをすることになったのです。 テニスはコートの改修工事が始まる前まで、雨が降らない限り毎日3年間続けました。

ピープルの建設以降、皆さんから応援を頂くようになり、次から次へと建設計画が実施されることになりました。 母から借り入れたお金も返済し、生活資金も少なからず送金出来るようになりました。

子供たちが通った塾等は、お絵描き教室、エレクトーン音楽教室、そしてピープルでの水泳教室でした。 泳ぐ姉弟の姿を頼もしく見ていたのは言うまでもありません。

督促状をもらっていた奨学金の返還も、何とか遅ればせながら返せた記憶が、ぼんやりと残っておりますが。


先ず深呼吸の要領で大きく息を吸ってから出来るだけ長く息を吐いて見る

2018-04-18 02:48:39 | 逆腹式呼吸

ここでの呼吸法は、一般的に云われている初めに息を吐き出す腹式呼吸とは違います。 私は幸いなことに生まれて初めて、胡座を組んで静かに真っ暗闇の中で、1時間座り続けた時には一般的な腹式呼吸法を知りませんでした。

一般的な腹式呼吸は、はじめに息を吐き出しますが同時に、下腹の丹田からも吐き出します。 私は我流の呼吸法を実践する中で、肺の動きと下腹の丹田の動きは同期しないと感じております。

私たちが子供の頃から行っていたラジオ体操の時の深呼吸を思い出してみます。 大きく息を吸った時には胸は拡がり、下腹は凹むのです。 これは息を吸った時には、下腹の丹田からは気が出て行きます。

息を吐き出す時には、胸は元の大きさに戻り、下腹も元の大きさに戻るのです。 息を吐き出す時には、下腹の丹田は気を吸うのです。 これが私たちの体の自然な生理的な動きなのです。

私は生まれて初めて胡座を組んで静かに、深呼吸の要領で大きく息を吸ってから、出来るだけ長く吐く呼吸を行いながら、1時間座り続けました。  すると体に微妙な変化が現れました。

そんな微妙な変化に興味を持ち、日常的に時々、大きく息を吸ってから、出来るだけ長く吐く呼吸を、流れるような自然の動きになるように、行っておりました。 その動きの中で吐く息をイメージで体の中へ吐くようになっていました。

何も分からずに毎晩、1時間、隣の部屋で家族がテレビを観ている音が聴こえて来る中で、部屋を真っ暗にしてあぐらを組んで、静かに1時間、長く吐く呼吸を行なっておりました。

出来るだけ長く吐く呼吸を行うときも、あくまで自然の流れを大切にするように、心がけます。 例えば息を全部出し切ってしまうと、苦しくなって息を吸う時には、自然のような流れにはなりません。

そこで全部息を吐き切る寸前に、軽く息を止め、また大きく息を吸います。 ただこの呼吸を続けるだけで良いのです。 ただし1時間は続ける必要があります。 また出来れば毎日、続けて欲しいものです。

すると何時の日にか、私たちが生来持っていた機能ー気感を取り戻すことが出来るのです。 


恥の上塗りをする財務省事務次官のセクハラ疑惑の麻生大臣の対応

2018-04-17 11:08:16 | 社会・経済

森友・加計問題で子供でも分かる嘘のつき方を、取り巻きも含めて行う安倍首相の映像を見ていて、不愉快な気分になっているのに、今度は森友問題の公文書改ざんを行った財務省の事務次官が、日常的に女性記者にセクハラ発言を繰り返したということが、週刊新潮にとり上げられました。 しかもネットで音声データまで公開されました。

 

それに対する財務省の対応は、時代錯誤な該当する女性記者は指定する弁護士事務所に名乗り出てほしいと云う。 しかも弁護士事務所は財務省と顧問契約しているというのですから、あきれてものが言えません。

 

セクハラ問題を取り上げた週刊新潮は、事実の詳細を4月19日発売の週刊新潮で公表するといいます。 今の安倍政権になってから、全ての事柄に可笑しなことが続いておりますが、麻生さんも財務大臣を同じように長く続けております。

 

何か不快なことが続く世の中になってしまっていますが。