私は、座禅をはじめてからは、殆ど夜か夜中に行なって来ました。 当初は夜に行なって眠くなるようなことがあれば、さっさと寝てしまい、朝早く行なっていました。 従って、いつも暗い中で行なっていたことになります。
10年近く、外へ出て行うことはなかったのですが、あるときに、こんな素晴らしい座禅を、毎日行っているようなお寺はあるだろうかと、ネットで検索してみました。
近隣市で行なっているお寺があり、どのような和尚さんが行なっているのだろうかと、お顔を見に行き、行きがかり上、しばらく月に1回ぐらいの日曜日に、参禅させていただきました。
その時に、はじめて和尚さんから、胡座の組み方と半眼について、注意を受けました。 それまでは、私は普通の胡座の組み方でした。 右膝を高校時代のクラブ活動で不完全骨折をして、十分な治療をしないままに置いた結果、星座も出来ないのです。 注意を受け、中途半端な形での半跏趺坐で座禅を、行うことになりました。
半眼にしなさいと注意を受け,なぜ半眼にするのかを、坐禅をしながら考えて見ました。 お釈迦さまが、半眼の状態で瞑想している姿を見て、お弟子さんたちが半眼で行うものと思ったという説もあるようです。
私は、改めて半眼の意味を考え、力が抜けた状態になると、半眼になるのではないかと感じたのです。 「半眼にする」のではなく、「半眼になる」のです。
座禅を続けているうちに、いわゆる無我の境地に達したときに、目は半眼になるのだとも感じたのです。
真っ暗闇の中で座禅を行いながら、改めて半眼の意味を考え直す日々です。
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