ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

腰部の脊柱が複雑に折れ曲がっているとのお医者さんの判断でした

2021-05-19 01:32:42 | 
昨日は昭和大学藤が丘病院の整形外科の瀬上和之先生の診察がありました。 普通に歩けない、立っているだけでふらつき、辛いなどの症状があり、2つの整形外科に通いましたが、簡単なレントゲン検査の上で、湿布薬や痛み止めの薬を服用するだけで、後はストレッチをやって下さいとの医師の話で、一向に体は改善されないままで時が過ぎていました。

そんな時、事務所の側で出会う人から立ち話で、私の症状を伝えたところ、当該の整形外科の股関節担当の渡邉実先生を紹介して頂きました。 かかりつけ医の先生の所に行って、これこれしかじかと症状を説明して、紹介状を持ってはせさんじました。

渡邉先生は横になった体を動かしながら痛いかどうかを確認しました。 痛いところは何もなく結果的には股関節は異常がないと云う診察でした。 とりあえずレントゲン写真を撮ってから、改めて診察しますとのことで、写真を撮りました。 びっくりしたのが対位を変えながら6枚の写真を撮ったことでした。

思わず渡邉先生に丁寧ですねと話しました。 問診も含めて脊柱管狭窄症のようですので、改めてMRIの検査を行ってから、担当医師の予約を入れておきますと云うことで、瀬上先生の診察が行われたのです。

結果は、腰部の脊柱が複雑に折れ曲がっていますので、改めて造影剤を注入したMRIを撮りましょう。 神経を和らげる薬を服用して、出来るだけ静かに過ごして下さい。 これまでリハビリになると思って出来るだけ歩くように心がけていたのですが、まるっきり正反対のお話です。 人によっては静かに過ごすことによって、また普通に歩けるようになる方もおられると云う。 勿論 横になって体の一部を押さえて、痛くないかどうかの確認をしております。

1ヶ月後の診察の上で、今後の対応を考えましょうと云うことで帰宅しました。 

実は黒門小学校のクラスで瀬上姓の友人がおりましたので、もしかしたら関係ありませんかと瀬上先生に訊きました。 するとなんと先生のお祖父さんの弟の子供が、私の級友であったので、二度びっくりしました。 何か縁を感じました。

ワクチン第1回目の接種を受けましたが

2021-05-16 03:27:11 | 
第1回目のワクチン接種を15日に受けました。 多摩市は市営のホールを2カ所とKDDIの施設の3箇所を、ワクチン接種会場と設定されました。 私は連合いの付添で永山ベルブホールと、自分の聖蹟桜ヶ丘のビータホールの2箇所を経験しました。

30分単位で予約した人が13人いるようで、各会場とも多くのスタッフが接種者の整理と受付、確認作業を行なっていて、スムーズな流れを感じました。 事前の書類の確認が2人にされた上で受付が行われて、医師の問診が行われ、看護師によるワクチンの接種が行われます。 受付前の整理や問診前の準備のための待つ体勢などが、余裕を持って整えられていました。

接種後は15分間、椅子に座って静かに待ちます。 15分後に第2回目のワクチン接種の予約をして帰ります。

ワクチン接種そのものは、とてもスムーズで気持ちの良いものでした。 第1回目には問題が出ないようですが、第2回目の接種は、体内に抗体が出来ているので、副反応が出るようです。

連合いも私も、娘がネットで予約を取ってくれました。 私の友人も電話とネットで、予約をしましたが予約出来ずにいるので、娘に依頼して取ってもらいました。 75歳以上の者にとっては、ワクチン予約は大変な作業であったようです。 親しくしている友人は、未だ右往左往をしていて予約は出来ていません。

私もネットで予約しようとしましたが、娘が先に予約してしまいました。 娘はライブ等のチケットを購入することが多く、ネットでの取り扱いに慣れているのです。 

先日 建物の清掃をされているご婦人からコーヒーとビールを差入れして頂いて

2021-05-08 03:26:46 | 友人
朝、事務所に行く途中に出会う建物の清掃を行うご婦人と会うと、何時も立ち話をします。 話をする様になったのは、ご主人と二人で清掃を行うのに、ある日ひとりで行っているのを見た時でした。 それまでは特に話しかけることもなく、通り過ぎるだけでした。 聞けばご主人がガンで永眠されたとか。 当該の建物管理をされている会社が、知人の会社であったことで話が弾みました。

2週間に1度の建物周りのせいそうです。 事務所に行く時間も一定時間ではありませんので、滅多に会うこともありませんでしたが、会えば一言二言声を交わす関係です。 その建物には、たまたま会えば座って話をする様になった方がおられます。

北海道の幌内高校で担任の先生に勧められて、3年間相撲部で過ごした方がいます。 数年前に永眠した弟と生年月日が同じ方です。 しめ縄姿で全員の前で激励されて恥ずかしかったことや、先輩からしごかれたことなどを話してくれました。 また合宿で料理をする腕前を見込まれて、卒業後、京都の料理屋、久保田で2年間過ごしたことも話してくれました。

京都では1週間は何かとお客さんのように扱ってくれたのですが次週からは、ピンタやゲンコツをもらってしごかれたと云うのです。 又お客として来られた山口組の組長の田岡一雄さんが、全員に2万円の心付けを渡されたと云うことも話してくれました。 今ではピンタやゲンコツがあれば許されないことですが、昔はそれが当たり前の世界であったのでしょうか。

2年で耐えられずに京都から東京へ行って、そこで出会いがあり四谷の七福運送へお世話になることになりました。 そこの常務さんが映画 人義なき戦い の主人公と学校の級友と云うことで、ヤクザの方々の出会いや右翼の方の護衛をすることになります。 常務も本人も決して曲がったことはしなかったとも云います。 両人とも板前修行があるものの、お酒は吞めない体質だったようです。

そんな本人と久しぶりで温かい陽だまりの階段で話していたら、清掃が終わって手を振って別れたと思ったら、また戻って来て近所のコンビニでわざわざ買ったコーヒーと缶ビールを、2個ずつ持って来てくれたのです。 聞けば手伝いに来ていた娘さんが、買って持っていったらと、アドバイスされたようでした。

何となく嬉しい気分になりました。