ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

眼光鋭いダルマ大師の目よりも慈愛に満ちた優しい目の方が良いが

2016-12-31 04:50:49 | 座禅

座禅と云うと眼光鋭い目をしたダルマ大師の絵を思い出します。 つい最近まで、何の疑問も抱いたことは、ありませんでした。

先日、黒門小学校の級友たちと、千駄木町の隠れ家で5時間もの会食をした時に、初めて会った方から、私のことを、優しい眼をされていますねと云われて、改めて人の目のことを考えるようになりました。

級友の奥さんが作ってくれたツマミと、八海山をロックにして飲みながら、自然と会話が弾み時間が経つのを、忘れるほどでした。 

目立ちはしませんが、お釈迦さまや観音さまの像を思い浮かべてみれば、優しく慈愛に満ちた眼をされているのです。 

私の近くに眼光鋭い方が2人おりますが、よくよくその方達を観察すると、鋭さの中にも優しさが見受けられるのです。

眼を見ると、その方がどのような方か、よく分かると云いますが、常日頃の心持ちが現れてしまうのでしょうか。


禅宗の和尚さんとの出会いは難しいと感じますが

2016-12-30 04:45:06 | 座禅

私は長い間、自宅でひとり座禅を毎日1時間、行って来ましたが、こんな素晴らしい座禅を毎日、座禅会を行っている禅宗のお寺があるかを、ネットで調べてみました。

近隣市で行っている臨済宗のお寺がありましたので、どのような和尚さんが座禅会を行っているか、お顔を見るために参禅して、しばらく1年間、月に1回に行くことになりました。

地域に密着した活動をされて、人格的には素敵な方でしたが、こと座禅に関しては、苦しい修行時代の思いから一歩も前進が見られない雰囲気でした。 例えば参禅者の問いかけに、結跏趺坐を行って座禅を行うのは、逃げられないためと答えたのです。

私が参禅した時のことを、ブログで記述したところ、それを見た和尚さんは、もう参禅しないで下さいと、三下り半のメールを頂きました。 普く門を開くと云うお寺の名称を持つ禅寺でしたが。

その後、都内で座禅会を開いている龍源寺に一度、参禅しました。 知人が倫理法人会の集まりで、龍源寺の松原哲明さんの講話を聴いたと云う話を聞いたからです。

参禅すると大きなお寺で、幾つもの部屋に分かれて座禅を行っておりました。 私の部屋では松原哲明師が指導されておりました。 30人ぐらい入る部屋で、座禅が始まるや否や、直ぐにお辞儀をして肩に棒を打たれている音が聴こえて来ます。

座禅がファッション化しているような雰囲気でした。 私は静かに息音が聴こえるように長く吐く呼吸を行いながら、座禅を行っていましたが、松原師は私の前で暫くの間、立っておられたようでした。

休憩時間を挟んで20分間ぐらいの座禅を行った後は、大きな本堂で松原哲明師の講話がありました。 残念ながら師は、若くして天に還って行かれました。 もう少し、師の話を聴きたかったのですが。 こころの時代の番組で、師のお話を聴く機会が、その前後にあった記憶があります。


狛江の級友に雨漏りの立会いに呼ばれ奥さん共々と会話を楽しむ

2016-12-29 04:36:18 | 友人

おもちゃドクターをしている大学の級友から電話があり、雨漏りの立会いをして欲しいとの要請があり、狛江まで行って来ました。

10月に地元の工務店に依頼しても、なかなか来てもらえず、やっと昨日、職人さんが見に来てくれると云うので、立会いを頼まれたのです。 北側の天窓の周辺のシール材が、10月の積雪で劣化して隙間が出来て、水が浸水したようです。

友人は、四谷にあるおもちゃ美術館や、彼方此方のトイザラスに、15キロのおもちゃを治す小道具を、キャリーバックを引いて出かけています。 車は事故を起こす前に売却してしまったとのこと。

漏水対応は年明けに施工してもらう約束をして、職人さんは帰って行きました。 その後、久しぶりで奥さんを交えてカフェイン抜きのコーヒーを飲みながら、会話を楽しみました。

級友は、栄養短大出身の奥さんの影響で、飲食は決して無理をせず、かつては朝食にビフテキを食べる食生活をしており、その話を聞いた時にはびっくりしました。

また私のように暴飲暴食はせず、マイペースの生活を行っていて、未だ若い雰囲気を持っておられます。 思い返せば、住宅の建築中のトラブルで呼ばれたり、その後も何かあれば直ぐ電話があります。

従って級友だけでなく、奥さんともざっくばらんに話が出来る関係になっています。 美味しいケーキも食べながら、ひと時の時間を過ごすことが出来ました。帰りがけに、どうも今日は楽しいひと時をありがとうございました、と挨拶をして後にしました。


何事も実践する中でしか真実は分からないものではないかと思うのですが

2016-12-28 07:52:46 | 健康づくり

私は今までの自分を反芻してみると、何かをはじめる前には、先ず実践してしまうのです。 行動を起こすかどうかを判断する基準は、その時の必要とされる条件が、整っている場合が多いのですが。

子供の頃は、親が青年時に長距離を走っていた遺伝子のせいでしょうか、走ることには抵抗はありませんでした。 坂道を駆け上がる時には誰もが苦しく感じるものでしょうが、そう云う時こそ頑張って走っていました。

高校時代にバスケットボールで関東大会前夜に、右膝の関節を不完全骨折をして以来、無理をすると直ぐに、水が溜まってしまうので、30数歳で始めたテニスのシングルの戦いでは、無理をする右膝の反対側の右足のふくろはぎが、よく攣ってしまったものです。

静功−座禅をはじめた時も、大学の級友からの呼びかけで、参加費も高くて躊躇したのですが、その時も心臓周辺で違和感を感じていた時で、気功は体には良いと云う気持ちをもって、思い切って参加することにしました。

幸いなことに、禅宗の座禅の作法や呼吸法も知らず、ましてや静功の会の指導者の

云うことは余り聞かずに、ただ何となく夢中で深呼吸の要領で、長く吐く呼吸を行っていました。 結果的に、そのことが体に微妙な変化を与えてくれ、その後に様々なことを感得することになりました。

参考になる本を読み、一冊の本の数行に、その本質があることを感じとって来ました。 私は先ず第一歩の歩みを始めることからしか、真実は分からないのではないかとも思うのです。

私の親しくしている友人は、第一歩を歩む前に不確かな情報を基にして、踏み出すかどうかを躊躇してしまっているような気がいたします。 友人には先ず何もかんがえずに、第一歩を踏み出してもらいたいと、何時も感じてはいるのですが。


雨天雷鳴の中で尾瀬沼散策中に落雷を受けて体質改善した友人がいます

2016-12-27 03:52:03 | 友人

昨日40年来の友人の畔田俊紀さんと、ひと仕事を終えて駅前の居酒屋で会食をしました。 先日の私の先生の葬儀のことを話していたら、友人は自分は既に3回も死んでもおかしくない体験をしていると云うのです。

その中の一つが24,5歳の頃、今の奥さんと尾瀬沼を、雨天雷鳴のなか、傘を差しながら歩いていたら、突然、傘に落雷し瞬間的に伏せたそうです。 傘の柄のところがピカッと光ったそうですが、幸いに命には別状なかったとのこと。

自分も5m離れていた奥さんも、頭の毛が四方に立ったそうですが、しばらくすると今度は上に向いて立ったと云います。 本来であれば落雷ししたのですから、そのまま天に還って行ってもおかしくなかったのですが、どういう訳か、それ以来、体質改善がなされ病気ひとつしなくなったそうです。

それまでは何時もの暴飲暴食のために、内臓はボロボロになっていて、いつ病気になってもおかしくない状態になっていたそうです。 奥さんも元気でいるとのこと。 不思議なカップルです。 私から云えば、2人とも魅力的な人ではありますが。


熟睡して目覚めると静かに気の小周天を楽しむようになっています

2016-12-26 03:27:16 | 胎息

今まで夜中に何回か、トイレに立つことが多かったのですが、どういう訳か最近になって、熟睡出来るようになっています。

それでも十分に寝ると、多少、腰が痛くなって来て、上に向いて寝るのを止めて、横になって胎児がお母さんのお腹の中にいた時のようにして寝たりします。 腰が痛くなった時には、この姿勢が一番楽なのです。

痛みが和らぐと、また上を向いて寝ます。 起きないで、そのままの姿勢で寝ていると、自然と体の中の気が小周天をして、おでこの中心にある天目を刺激します。

殆ど肺呼吸を行わないで胎息で気の呼吸を行っているせいでしょうか、天目が目の形をしながら気の呼吸をしているのが分かります。 それを静かに楽しみながら、長い時間、過ごすことが多くなって来ています。

何かが起こりそうな予感もするのですが。


稲城管弦楽団のコンサートをパルテノン多摩で聴いて

2016-12-25 01:30:04 | 文化

年の瀬が押し詰まって、300枚を超える年賀はがきを郵便ポストに投函して、後は事務所の掃除をと考えていたら、千駄ヶ谷の級友から自宅そばの隠れ家へ来ないかと誘われ、また黒門小学校の3年生の時に1年間しか習わなかった米田健治先生が、天に還られたと云うことで葬儀があり、通夜の日に級友たち4人で、葬儀の場所を探してウロウロし、結局、都内から駆けつけた3人を、通夜の場所まで連れて行くことが出来ませんでした。

翌日の告別式では、高齢の奥さんに代わってお別れの挨拶を、即興で山口県で生まれ育った米田健治先生が、なぜ多摩村−多摩町−多摩市に70年間近く住み、小学校の先生として生きて来られたか、ピンタやゲンコツ、時にはチョークが飛んでくる先生が、何か心をひきつけるものを持っていたと云うような話を、思わず 涙を出しながら話しました。

そんなことが続いたせいでしょうか、12時間、途中にトイレに行くものの、腰が痛くなるぐらいに寝ることになりました。 一夜明けて、パルテノン多摩での稲城管弦楽団のコンサートを聴きに行きました。

後藤悠仁さんの指揮によって、メンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」序曲、ハイドンの「交響曲第100番・軍隊」、チャイコフスキーの「交響曲第4番」を聴きました。

普段聴きなれない曲目ですので、新鮮な気持ちで聴くことが出来ました。 指揮者の方が16回目の指揮と云うことで、一体感のある演奏でした。 

帰り道で25日に開催される競馬の有馬記念のデータが載っている新聞を買って帰りました。

 


米田健治先生の通夜に級友たちを連れて行くことが出来なくて

2016-12-23 01:45:53 | 社会・経済

昨夜は、黒門小学校の3年生の時に、1年間しか習わなかった米田健治先生の通夜で、奥さんから南大沢の南多摩斎場で葬儀が行われると聞いて、都内から3人が駆けつけてくれました。

私は車で20分前に到着するも、何処にも米田家の看板が見当たらず、直ぐに奥さんと甥っ子の携帯に繋がらず、斎場の方から聞いた近くの斎場に行くも、看板はありませんでした。

友人たちが南大沢の駅に着く頃なので、Yくんの携帯に連絡を入れました。 ちょうどタクシーに乗るところでしたので、取り敢えず迎えに行くことにしました。

4人が車に乗って、取り敢えず斎場に案内するも、ただ時間が過ぎていくだけです。 先生の自宅そばの聖蹟桜ヶ丘にある観蔵院で、もしかしたら葬儀が行われているかも知れないと、30分かかって行くも人影もなく、取り敢えずみんなで食事をしようと聖蹟のレストランに入りました。

通夜の時間も1時間過ぎて、やっと奥さんの携帯に繋がりました。 聴けば南多摩斎場は取れなかったので、近くのアシスト多摩境と云う葬儀場で行っているとのこと。

考えてみれば94歳になられる奥さんが、先生が天に還られて混乱し、私に十分な情報が伝えられなかったのかなあと思うのでした。 通夜に出ることが出来なかった級友のこともさる事ながら、私から葬儀の連絡を受けた方々が、参列できなかったのではないかと、気になりながら級友たちと会食をしました。

私は告別式に参列するものの、級友たちの香典袋を預かりながら、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。 告別式でお別れの言葉を言って欲しいと、奥さんから云われているものの、どんなことを話して良いのやら、改めて考え直す有様です。


長く吐く呼吸を行う中で自然と体の中へ吐く呼吸に変わって行くのか

2016-12-22 08:36:14 | 逆腹式呼吸

私は、生まれて初めて行う静功−座禅を、子供の頃に行っていたラジオ体操の時の、深呼吸の要領で大きく息を吸ってから、ゆっくりと長く息を吐いておりました。 但し鼻だけで呼吸を行います。

長く息を吐こうとすれば、自然とはじめに大きく息を吸うのが当たり前と思っていました。 素潜りで深海の中へ入って行く前に、ダイバーが大きく息を吸う時に、下腹の皮膚が大きく凹み、背中の皮膚に付かんかと思うぐらいにしていた映像を、思い出したりしていました。

幸いに禅宗で云うはじめに息を吐き出し、同時に下腹からも吐き出すと云う、一般的な腹式呼吸のことを知りませんでした。 自分の体験から、無の理念、考え方は良いとしても、肺からと下腹からと同時に吐き出す呼吸法は、体の自然な生理的な動きには反していると感じております。

深呼吸の要領で長く吐く呼吸を行っていると、はじめは鼻からだけに息を吐き出しているのですが、出来るだけ長く極限ギリギリまで吐こうとしている内に、自然と吐く息は、イメージで体の中へ吐くようになっていました。

イメージで吐く息を体の中へ吐いている意味について、長く吐く息だけに意識を集中する中で、ふと浮かぶ雑念の中で考えていると、吐く息は実際には鼻から出て行きのですが、イメージで息を体の中へ吐くことによって、宇宙に無尽蔵にあるとされる気が、体の中へ入っているのだと云うことを、感得したのです。

またそのことが、胎児の時には活発に動いていた体の中の気の循環が、半ば眠っていた状態から復活し、気の通り道である経絡の気の通りをよくし、結果的に気の調節を行うツボ−経穴を刺激し、自己免疫力を高めていくということをもk、感得出来たのです。


童謡を聴いていたら臼澤みさきさんの 鳥になりたい が聴こえて来て

2016-12-21 02:32:13 | 文化

事務所でパソコンをいじりながら童謡を聴いていると、何か気になる歌声が聴こえて来ました。 直ぐに歌の名前と歌手を調べると、臼澤みさきさんの「鳥になりたい」と云う曲でした。

ネットで調べると未だ18歳の若い女性でした。 沖縄の方々が作詞をし作曲をしたように感じました。 直ぐにネットのYouTubeをダウンロードして、何度も何度も聴きました。

パソコンとアイフォンに歌詞もダウンロードして、みさきさんと一緒に歌いました。 初めて聴く歌は、徹底的に聴いて歌って覚えるしかありません。

森高千里の「道」の時も、松任谷由実の「スラバヤ通りの妹へ」の時もそうでした。 「道」は「風に吹かれて」に代わっていますが、「スラバヤ通りの妹へ」は、スナックへ行くと、必ず唄う歌です。

私は1人で唄う歌を、2人で歌うのが好きです。 先日、久しぶりでカラオケを歌おうとして、曲名も歌手名も思い出せなくなっていましたが、改めて先日、思い出しながらアイフォンにメモリました。

2人で歌うのが好きなのが、石川ひとみの「まちぶせ」太田裕美の「木綿のハンカチーフ」玉置浩二の「夏の終わりのハーモニー」等です。

1人で歌うのが好きなのが、堺正章の「さらば恋人」西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」安全地帯の「恋の予感」三好鉄生の「涙を拭いて」井上陽水の「少年時代」です。

「鳥になりたい」も早くカラオケで唄ってみたい思いが強くなって来ました。