ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

座禅は頭で考えるより胡坐を組んで先ず坐ることから・5

2011-11-30 07:23:04 | 座禅

 私が座禅が楽しい理由は、呼吸法を通して体に微妙な変化をもたらし、経絡の通りをよくすることによって、神経の腺を刺激し、特に微細な神経が集中する脳細胞に刺激を与え、日常的なストレスから解放し、セクシャルなエクスタシーをはるかに超える崇高な至福感を、与えてくれるからです。

 その崇高な至福感を得るには、静かな状態をつくる必要があります。 そのためには1時間の座禅時間が必要なのです。 

 私の友人が30分お経を読み、30分座禅を行っていました。 友人は仏性のある方で、なかなか深まることはなかったのですが、1時間の座禅を行うようになってから、私に話す内容がちょっと違ってきました。

座禅は頭で考えるより胡坐を組んで先ず坐ることから・4

2011-11-29 07:21:51 | 座禅

 私は、お経の本を殆んど読むことはありません。 文語体の文章が苦手なこともありますが、全ては座禅を通して感得することが大切ではないかと、感じているからなのです。

 座禅の基本は、姿勢を正し(調身)、息を整え(調息)、心を整える・意識を集中する(調心)です。 肩の力を抜きリラックスします。 上半身を頭のてっぺんが天から引っ張られているような感じで維持します。 姿勢をよくしようとして胸を反ってしまうと、筋力が働きますので、良くはありません。

 力を抜いてリラックスし、吐く息をできるだけ長く吐き、吐く息だけに意識を集中する。 これだけを守って胡坐を組んで、座禅を行えばよいのです。

 禅宗のHPを見ると、お線香1本が消える時間(30分から45分)を、座禅の時間の目安にするとありますが、私は最低でも1時間は行っていただきたいと思っています。 

 座禅は呼吸を静かに行いながら、いかに「静か」になるかが大切なのです。 視静かは表面的なものだけではなく、体の深層部までも含めて静かになることが、大切なのです。 そのための時間は、1時間は必要と考えています。

 私は、自分ひとりで座禅を続けていて、その中で感じたことを、このブログを通して表現しています。 したがって、作法上で禅宗で云われているようなことは、必ずしも正しいとは思ってはいませんし、自分自身が感得したことを、大切にしています。

座禅は頭で考えるより胡坐を組んで先ず坐ることから・3

2011-11-28 07:04:04 | 座禅

 私達は呼吸を生来、意識することはありませんでした。 長く吐く呼吸を意識することを継続することにより、長く吐く呼吸が自然の呼吸に変化します。 日常的に長く吐く呼吸を行うことによって、それは可能になります。

 家族と一緒のときに、いつも息を体の中へ吐く息音が聴こえるといっては、注意が飛んできます。 自分自身でも歩いている時や、ちょっとした時間の時に、吐く息を体の中へ吐いている息音が聴こえます。

 息を吐くときには、出来るだけゆっくりと長く吐きます。 全部吐ききるつもりで吐きますが、全部吐ききると苦しくなりますので、そのちょっと手前で軽く息を止め、大きく息を吸います。 長く吐く息だけに意識を集中します。 長く吐こうと思えば雑念が沸くことはありません。

 私が初めて参加した座禅会(静功の会)では、私の息音だけが静寂さの中で聴こえたらしく、3回目の会が終了した帰りがけに、級友が「もう少し静かにしろよ」と注意を受け、4回目からはできるだけ息音が聴こえないように、息を吐くようにしました。

 息音が殆んど聴こえないぐらいに吐くことを続けているうちに、ものの本で「胎息」という言葉に出会いました。 その本には、胎息がどのような息の仕方かの記述はありませんでした。

 あるとき、吐く息を出来るだけ聴こえないようにした結果、呼吸を行っているかどうか分からない感覚になりました。 もしかしたら息を止めることができるかもしれないと思い、思い切って息を止めてみました。

 下腹にある臍下丹田が既に活性化し、いつも丹田が心臓のように鼓動を行なっていましたので、かなり長く息を止めることはできたのです。 息を吸おうとしたときに、ちょっと苦しい感覚がありました。 後で、この感覚がお母さんのお腹から生まれ出た時に発する「オギャー」という泣き声をするときに感じる苦しさかなとも思ったのです。

 現在では、映画を見るときや音楽を聴くときや、事務所で椅子に坐って静かに考え事を行なっているときや座禅の時に、胎息という気の呼吸で過ごすことが多いのが現実です。

座禅は頭で考えるより胡坐を組んで先ず坐ることから・2 

2011-11-27 06:27:18 | 座禅

 私に座禅の声かけをしてくれた友人は、1週間のうち3回も静功の会に参加していて、そのうち1回は24時間という泊りがけの会でした。 私は週に1回しか参加しておりませんでしたので、そうであれば私は、日常的にできる限り呼吸法を行ってみようと考え、実践しました。

 電車を待っている時は立ちながら、電車に坐っているときは浅く坐って、事務所でもいすに坐ってちょっとした時間に、肩の力を抜いてリラックッスし、軽く目を瞑って、大きく息を吸ってできるだけゆっくり長く息を吐いていました。

 勿論、夜は半身浴でお風呂に入った後に、布団の上で薄い座布団をお尻に敷いて、真っ暗にした部屋で、隣室で家族がテレビを見ている音を聴きながら、吐く息に意識を集中していました。 毎日1時間以上坐っていました。 

 半身浴で下腹が温められていたのがよかったのか、1ヵ月半で自発動という形で、下腹の臍下丹田が活性化し、心臓のように鼓動を始めたのです。 とにもかくにも初めてのことで、びっくりしましたが、普段から自然の動きに任せる、自然の摂理に従うんだという気持ちで、座禅を行っていましたので、丹田が動き始めた時には、静かのそのまま上を向いて寝て、その鼓動の動きを楽しみました。

座禅は頭で考えるより胡坐を組んで先ず坐ることから

2011-11-26 11:35:10 | 座禅

 私は10数年前に初めて座禅(静功)を行なうまでは、座禅は禅僧の修行の一つぐらいの感覚しかありませんでした。 大学の級友の声かけで、生まれて初めて胡坐を組んで、真っ暗な和室で座布団の上に胡坐を組んで、1時間の座禅を行ったのです。

 中国からの留学生の先生の話されることはさておき、私はひたすら普通呼吸で、吐く息だけをできるだけ長く吐いていました。 先生から言われたことではないのに、ひたすら長く息を吐いていたのです。

 1枚の座布団の上に、普通の胡坐で坐っていました。 ただ肩の力は抜いて全身がリラックスするように、心がけました。

 時間的に45分ぐらいした時でしょうか、頭のてっぺんの中心に電子があり、頭をすっぽりと電子の輪の帽子をかぶっているような感覚になったのです。

 そのときには何のことやら分からなかったのですが、後から考えれば、頭の頂部にある百会が活性化したのでした。 生まれて初めて行なった座禅で、そのような変化あったので、何となく毎日、日中もちょっとした時間に、軽く目を閉じては吐く息をできるだけ長く吐く練習を、行っていました。

はじめに下腹から吐き出す呼吸法は不自然さが残る

2011-11-25 09:32:57 | 座禅

 禅宗の臨済宗・黄檗宗のHPからみる座禅の作法から、呼吸は下腹にある臍下丹田も含めて、体の中の空気を全部は下す感じで、吐ききるという。 はききれば、自然と吸えますと。 また、吐く息は自分の臍下丹田に吐きかけるように行なうとあります。

 臍下丹田の中から息を吐き出しながら、吐き出した息を外側から、下腹の臍下丹田に向けて息を吐きかけるという意味になるのでしょうか。 ちょっと理解に苦しむところです。

 この呼吸法の分かりにくい部分は、下腹の臍下丹田から息を吐き出すと、下腹が基本的には凹むのです。 実際には息を吐くわけですので、肺も縮むのです。 息を吐くときに下腹と肺が小さくなって、息を吸うときには下腹も肺も、元に戻ります。

 私達は、生来、息を吸ったときには肺は広がり、下腹は凹む呼吸を行ってきました。 私は自分自身が、普通の肺呼吸をしながら、吐く息だけできるだけ長く吐く呼吸を行い、それが結果的に逆腹式呼吸になり、結果的に気の呼吸である胎息へと、結びついていったのです。

 そのときの下腹と肺の動きは、普通の肺呼吸を行ってきた、肺が大きくなれば下腹は凹み、肺が元に戻れば下腹も元に戻るという関係でした。

 その体験から、私達がお母さんのお腹にいたときの肺と下腹の動きと、生まれでた以降、成長過程に至るまでの動きは、変わりがないのではないかと考えています。

 その意味で、臨済宗・黄檗宗の呼吸法については、ちょっと疑問が残るのです。

壁面の一点を見続けることは難しいことです

2011-11-24 08:10:12 | 座禅

 禅宗の中で、曹洞宗の座禅の作法で、45度で見下ろした壁面の一点を、半眼で見続けるとあります。 呼吸は普段行っている普通呼吸です。 

 私は、曹洞宗の作法で(臨済宗・黄檗宗もそうですが)座禅を行ったことがありませんが、どのようにして集中力を維持するかが、とても難しく感じます。

 私自身は、座禅が楽しく感じますが、時々、曹洞宗のお坊さんから、「座禅の修行が一番嫌だった」という本音をチラリと聞くたびに、集中力を維持する仕方が、とても難しいのだろうと感じていたのです。

 私の場合は、できるだけゆっくりと長く吐く息に、意識を集中しますので、1時間の座禅時間は、あっという間に過ぎていきます。 普通呼吸の場合は、数息法といって、ひたすら数を数えるしか、意識を一点に集中することができないのではないかと思うのです。

 ただひたすら坐るといっても、意識を何か一点に集中しない限り、雑念のオンパレードになるのは、必死です。 

 意識の集中の仕方が難しいことと、座禅会を行っているお寺が曹洞宗では少ないというのは、何らかの関係があるのではないかと、思ってしまうのですが。

隣室から音が聴こえても長く吐く息に集中はできます

2011-11-23 08:52:22 | 座禅

 胡坐を組んでの座禅は、できるだけ静かなほうがよいのですが、私自身は隣室から、家族がテレビを見ている音が、聴こえてくる環境の中でも、1時間の座禅を行っていました。

 かつて日本のレスリング選手が、オリンピックを目指している時に、当時の総監督をしていた八田一朗さんが、精神的に強くするため、何事もあっても集中力を高めるといって、夜寝る時にも照明をつけたまま、寝るようにしていたという記事を思い出し、私自身も座禅でも、そうあるべきだと感じ、座禅の時に、長く吐く息だけに意識を集中しようと思ったのです。

 耳からはテレビの音は聴こえてはきますが、気にはなりませんでした。 吐く息だけに意識は集中できたのです。

 私はいつも部屋を真っ暗にして、布団の上で羽毛の枕をお尻に敷いて、胡坐を組みます。 当初は、薄い座布団をお尻に敷いていました。

 胡坐の組み方は、厚い座布団を敷いて坐るよりも、薄いほうがよいのです。 胡坐を組んだときに、お尻全体が下に敷いた布団に包まれるように坐ったほうが、お尻も痛くはなりません。 

 上半身の直下にあるお尻を中心にして、両膝全体が布団に包まれるように坐ったほうが、長時間、胡坐の姿勢をしても、楽なのです。

 また、胡坐を組んで坐った時には、下肢のどこにも力がかかってはなりません。 禅宗のHPを見ると、お尻と両膝の3点で体全体を維持するようにとありますが、私自身は、それでは両膝に力がかかってしまうので、いかがかなと感じております。

 上半身は基本的にはお尻で支え、両膝は転倒しない程度に、布団に包まれていたほうが、下肢に筋力がかからないので、長時間の座禅を楽しくできるのです。

上半身をそのまま前傾させて元に戻した姿勢が正しい形

2011-11-22 07:11:43 | 座禅

 胡坐を組んで座禅を行っていますと、どのような姿勢が一番よいか、分からなくなることがあります。 簡単にチェックする方法があります。

 頭のてっぺんを天から引っ張られるように上体を維持します。 上体をそのままにして、お尻を軸にして前に倒します。 倒した上体を元に戻した位置や姿勢が、正しい姿勢になります。

 禅宗のHPによると、左右に上体を振ることによって、正しい姿勢をとるような記述がありますが、私は左右に振るよりは、上記のように前後に倒して、姿勢を正すほうがよいと感じております。

長く吐く呼吸は息音が聞こえるように吐く

2011-11-21 07:26:04 | 逆腹式呼吸

 長く吐く呼吸は、吐く息が体の中へ入っていくのを実感するために、息音が聞こえるように吐きます。 息は実際は、鼻から出て行くのですが、鼻から息を吐くことは一切忘れ、ひたすら体の中へ吐きます。

 できるだけ長く吐こうとすることだけに、意識を集中します。 苦しくなる寸前まで吐きます。 苦しくなる寸前で軽く息を止め、大きく息を吸います。

 吸う吐くの呼吸は、1分間に3回を基本にしますが、慣れてくれば更に長く吐けるようになります。 私自身は滅多に計ったことはありませんが、3分間で7回弱でした。

 長く吐く息音は、呼吸に慣れるに従い、徐々に息音を小さくしていきます。 できることなら、究極的に息をしているかどうか分からないぐらいの小ささで、吐きます。 これは、下腹にある臍下丹田が活性化し、心臓のように動くようになった時に、気の呼吸である胎息に結びつくことになります。

 長く吐く呼吸を通して、体の微妙な変化を楽しんでください。