ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

この世に生まれて来た意義を考えることがあるのだろうか

2019-05-30 07:45:57 | 生命

私は大学を6年かけて卒業をさせてもらいました。 4年目の時には佐藤仁先生が研究室に来なさいと声をかけてくれて、論文の作成のお手伝いをさせて頂き、少しは建築デザインのものの考え方の勉強をさせてもらいました。

然し乍ら大学は数学科も受験するほどに関心があったにも拘らず、5年目も6年目も試験に合格点をもらえませんでした。 当時の心境を思い出してみると、正常な精神状態ではなく、もやもやとした状態でした。

6年目の数学の試験の追試を受けさせて頂き、学園紛争の中で何とか遅れて、卒業することが出来ました。 佐藤先生の口利きで入江三宅設計事務所に、8月から入所させて頂き、建築の計画と設計監理の仕事を、何とか出来るようになりました。

友人で日大の理工学部に親の勧めで入学したものの、自分には合わないとて江古田の芸術学部の授業に通った友人も、親からの仕送りもストップされて、荒川の土手で昼寝をしていて、目が覚めて目に入った電信柱の求人広告を見て、就職した先が舞台製作の会社でした。

友人は舞台製作を通して浅利慶太さんをはじめとする演出家の方々や、舞台デザイナーや演技者の方々との交流を持つようになったのです。 

そのように育って来た自分や友人の姿を見ながら、方や大学の級友が閉じこもりの状態で、月に1回大学病院に検診に行く以外は、一歩も自分の部屋から出てこない状況の人もおります。

今後どのような形で推移していくのかは、誰もが分からないのでしょうか。


田宮二郎の白い巨塔に強いインパクトが残って岡田くんの白い巨塔は観る気がありませんでした

2019-05-27 06:05:10 | 文化

田宮二郎主演の白い巨塔のテレビドラマは、田宮二郎の迫真演技の印象が強く、ドラマが終わるか終わらないかぐらいの時期に、田宮二郎が猟銃自殺をしてしまいました。 当時、田宮が山本陽子と付き合っていて、そのことが上手くいかなくなって自殺したかのような報道が流れました。

そのようなことで自殺をするのかと長い間、疑問に思っておりましりましたが、昨日、岡田君主演の5夜連続の白い巨塔が終わるのを機会に、ネットで検索してみました。 田宮二郎はなぜ自殺したのかと。

そうした38年前の出来事を、田宮二郎の奥さんが直近の週刊誌に語っていました。 当時の田宮二郎は、大映の永田社長と喧嘩別れをして、経済的に厳しくなっていましたが、幸いなことにテレビドラマなどで出演機会が増えて来ました。

然し乍ら忙しくなり過ぎて、精神的にうつ病状態になってしまい、白い巨塔の出演依頼があった時には、奥さんは断るつもりで無理難題の条件を付けたそうですが、それを全てテレビ局側はのむ形で進んで行ったとのこと。

今から思い出しても財前五郎役の田宮二郎の演技は素晴らしく、この作品は田宮二郎の代表作になるのではないか思うような演技でした。 それがうつ病状態になりながらの演技だったとは。 ドラマの筋書きも、主人公の財前五郎が窮地に陥るような構成で終わった印象が、あります。

 


日本の刑罰は最高刑の上限が決まった刑法になっておりますが

2019-05-25 10:27:01 | 社会・経済

人としてやってはいけないことを犯した時に、その罰則は日本の場合、最高刑が決まっているだけです。 私は止む瓊やまれずに犯した時の犯罪には、情状の酌量の余地があると思いますが、明確に確信犯的な犯罪には、厳罰に処するべきと感じております。

例えば経済犯です。 収入を誤魔化して申告して、その犯意が分かっても、正規の3倍程度の納付で済んでおります。 私は、税額ではなく利益を丸々納付した上で、更に罰則税を払わなけれならないようにすれば、そのような経済犯は少なくなるはずです。

また暴力犯についても、同様に考えるべきではないかと思っております。 人を殺しておいても、それ相当の悪どさがない限り、禁固10年とか20年ぐらいで、相当の悪さでも一生刑務所暮らしをするぐらいです。

それらの方々は恩赦や日常の生活で改善が見られれば、仮釈放されて刑務所から出ることが出来るようです。

私は罰則は最低限を決めておいて、量刑を決めるべきと考えております。 先日も米国での犯罪で禁固40年とかの刑が確定したとのネットの記事を見ました。 刑罰を厳しくすれば犯罪が減少するかは定かではありませんが、日本の現状からは刑罰の仕方を考え直した方が良いのではないかと思うのですが。


座禅は楽しむ感覚が大切です 先ずは脳の微妙な変化から楽しむ

2019-05-23 07:54:38 | 座禅

座禅と云うと何となく、胡座を組んで長い時間、静かに座っていられるだろうかと、思ってしまうものです。 私も実際に胡座を組んで静かに座る前までは、そのような感覚いました。

然し乍ら生まれて初めて、真っ暗闇の中で深呼吸の要領で、大きく息を吸ってから出来るだけ長く吐く呼吸を行いながら、1時間座り続けた後では、何やら頭部の脳内を微妙に刺激するものがあり、それに興味を抱いて毎晩、半身浴で入浴した後に、布団の上で部屋を真っ暗にして座禅を行いました。

勿論その都度、脳に微妙な変化がありました。 長く吐く呼吸だけに意識を集中しながら、座禅を1時間続けました。 当初は気がつかなかったのですが、意識を吐く息が体の中へ入っていくのを追うようにして座り続けたのですが、、意識を吐く息だけの一点に、長時間 集中出来るものではありません。

集中する中でもふと日常的な、問題解決しなければならないような雑念が、浮かんでくるのです。 私は、そんな時には雑念を払うことなく、考えることにしておりました。 すると不思議なことに、こう考えたらどうですかとサジェスチョンが得られるのです。

そのような出来事がある内に、いつの日にかセクシャルなエクスタシーを遥かに超える、崇高な至福感を感得することになったのです。

ただ静かに座っているだけのことが楽しいのですから、日常的な動きのあることは、もっと楽しく感じるようになったのです。


長く息を吐こうとした時に自然と吐く息を体の中へ吐き入れていたのでしょうか

2019-05-22 07:19:43 | 逆腹式呼吸

私が生まれて初めて胡座を組んで座禅(静功)を行なった時に、ラジオ体操の時に行なっていた呼吸を思い出して、深呼吸の要領で長く吐く呼吸を行なっておりました。

幸いなことに禅宗で行われていた、はじめに息を吐き出す呼吸法を知りませんでした。事前に読んだ気功入門と云う本に書いてあった、長く吐く呼吸の大切さだけが頭に残っておりました。

口を閉じて鼻だけで呼吸を行います。 深海を潜る前にダイバーが大きく息を吸う時に、下腹が大きく抉られてお腹の皮が、背中の皮に着くのではないかと云う映像を思い出し、また極真空手の創始者の大山倍達さんの自伝映画「空手バカ一」で見た演武での、吐く息音が聴こえるような呼吸を思い出しておりました。

従って吐く息を長く吐こうとした時には、吐く息を体の外に吐き出すと云うよりも、体の中へ息音が自分でもよく聴こえるようにして、吐き入れていたのです。

自分の感覚では、出来るだけ長く息を吐こうとした時には、体の中へ息を吐き入れた方が、長く吐けるのではないかと感じます。 結果的には体の中へ吐き入れる呼吸が、体内の気の通る路である経絡を刺激して、私たちの誰でもが生来持っていたと思われる気の感覚を、取り戻すことになったのです。

吐く息を長く吐こうとした時には、はじめに大きく息を吸うのが自然です。 私はここでの深呼吸の要領で行う、はじめに大きく息を吸ってから、出来るだけ長く吐く呼吸の方が、体の生理的な動きに自然だと感じております。


長く吐く呼吸を行う時には舌をそっと上の歯の付け根に付けておく

2019-05-21 03:24:39 | 逆腹式呼吸

深呼吸の要領で長く吐く呼吸を行いながら座禅を行う時に気をつけることは、先ず肩の力を抜いてリラックスすることです。 また上半身は頭のてっぺんから引っ張られているような感覚で、維持することです。

椅子に座っている時でも、胡座を組んで座っている時でも、立っている時でも上半身の維持の仕方は、何時も同じです。

口の中の舌は、意識していなくても多分、上の歯の付け根についてはいると思いますが、長く吐く呼吸を行いながら座禅を行う時には、大切なことです。

長く吐く呼吸を行う時、吐く息をイメージで体の中へ吐きいれるときには、自分では分からないかも知れませんが、宇宙に無尽蔵にあるとされている気が、体の中にある経絡−気の通る路に入って行きます。

私たちは誰でもがお母さんのお腹の中にいた時には、気の呼吸を行なっていたと思われていて、生まれ出た瞬間からおぎゃーと云う泣き声と共に、肺呼吸に変わります。 それいら、気の呼吸から次第に遠ざかって行きます。

その忘れ去られた気の呼吸の感覚を、深呼吸の要領で行う長く吐く呼吸と、吐く息をイメージで体の中へ吐き入れる呼吸を行うことによって、経絡内の気の通りを良くしていきます。

体の中には小周天といって、上半身の気の流れる重要な道があります。 気の心臓部に当たる下腹にある臍下丹田から発した気は、またしたの会陰を通り臍下丹田の裏側にある尾りょう関を通り、背中にある俠せき関と云う丹田(気の溜まる部位)を通り、更に後頭部にある玉沈関を通り頭のてっぺんにある百会を通り、おでこから眼の奥に入って行きます。

更に上の歯の付け根に付けられた舌を通り、胸の中心部にある中丹田を通り、下腹の臍下丹田に戻って行きます。 上半身を一周することを小周天と云います。

舌が上の歯に付いていなければ、重要な小周天にはなりません。 ここでの逆腹式呼吸の日常的な継続を通して、次第に生来持っていた機能である気の感覚を取り戻して行きます。


長く吐く息だけに意識が集中出来ている時に浮かぶ雑念は払うことはない

2019-05-19 01:31:28 | 座禅

座禅の時に浮かぶ雑念は払いなさいと云う言葉を、よく聞くことがありますが、私は必ずしもそうではないと考えております。

深呼吸の要領で、はじめに大きく息を吸ってから、出来るだけ長く息を吐きます。 また吐く息をイメージで体の中へ吐き入れながら座禅を行います。

長く吐く呼吸だけに意識を集中したとしても、なかなか長時間、意識を集中出来るものではありません。 座禅を始めてから雑念が次から次へと沸く状態では云えません。 そのような方は、先ず意識を吐く息に集中することが先決です。

長い間、意識を長く吐く呼吸に集中出来た場合のふと浮かぶ雑念は、払うことなく考えて良いのです。 否、考えるべきものと思っております。

そんな時に限って、日常的な問題解決をしなければいけないような雑念が、ふと浮かんで来るものなのです。 不思議なことに、そのようなふと雑念を考えていると、このように考えたらどうですかとサゼスチョンがあるのです。

このようなことの繰り返しの中で、自分自身の考え方が構築されて行くようにも感じます。 従って必ずしも、意識が集中している時にふと浮かぶ雑念は、払うこともなく考えるべきものと、私自身の体験から感じるのです。


車の運転でアクセルとブレーキペダルを踏み間違え事故が多いようですが

2019-05-18 06:54:41 | 社会・経済

最近になって報道で車の運転ミスでの事故が、多いように感じます。 事故を起こした運転手は一応に、ブレーキペダルを踏んだけれど、ブレーキがかからなかったと云うのです。 事故を起こした車を改めて調査してみれば、異常なしと云うことが殆どです。

多くはブレーキペダルとアクセルペダルを踏み間違えて、車を減速しようとしてペダルを踏み込むと、逆に車の速度を速めてしまい、更に悪いことに車を止めようとして更に、アクセルペダルを踏み込んでしまって、車を加速して事故を起こしてしまうのです。

加齢の私も人ごとではなく、何時も足はブレーキペダルに置くように心がけております。 特に気をつけるようにしているのが、一旦停止線のある箇所と、横断歩道を横切る時です。

直進するときは殆ど問題はないのですが、右折や左折の時にはバスの運転手の方々の運転を真似て、横断歩道を横切る時に、一旦ブレーキペダルを踏んで車を止める雰囲気で、運転しながら左右を広く見て歩行者がいないことの確認をしてから、ゆっくりと車を進めるようにしております。

広い道路を右折するときには、直進車が進んで来て後続車がいないかどうかを確認してから、右折するようにしております。

車の運転は、車自身が動く凶器と考えて、普段から気をつけて運転するように心がけていないと、ちょっとボーっとした時には思わぬ事故に繋がるか分かりません。 だからこそ普段の心がけが重要なのです。

私は何時も足は、ブレーキペダルを踏んでいるように心がけております。 従ってスピードを出して車を運転することは、殆ど無いのです。

無理をして右折したり直進したりすると、早く車を進めることだけに意識が集中して、広い視野で歩行者や対向する車を見ることが出来ないのですから。


深呼吸の要領で行う長く吐く呼吸は脳への微妙な変化をもたらしますしたが

2019-05-16 11:18:45 | 逆腹式呼吸

生まれて初めて胡座を組んで、真っ暗闇の中で1時間、無我夢中で長く吐く呼吸を行なった時に、頭部の脳へ微妙な変化をもたらしました。 これをきっかけにして毎晩、半身浴で入浴した後で、毎晩、隣室で家族がテレビを観ている音が漏れ聴こえる中で、部屋を真っ暗にして1時間、長く吐く呼吸を行いながら静かに座り続けました。

すると、その都度、脳への微妙な変化が現れるのでした。 当時は何故そのような変化が現れたのかが分かりませんでしたが、後日、長く吐く呼吸が、イメージで吐く息を体の中へ吐き入れる呼吸が、体の中の神経の腺に沿って流れていると云う経絡を刺激して、その気の通りを良くすると云うことが分かりました。

私の親しくさせて頂いている友人にも、長く吐く呼吸のことを話しましたが、直ぐにも実践したところ、脳への刺激を感じたと云うことでした。 残念ながら座禅は長続きせず、その後の反応は聞くことは出来ませんでした。

長く吐く呼吸を行った時の脳への微妙な変化は、何とも言えぬ感覚があったことを記憶しております。 現在では下腹の臍下丹田が、常時、心臓のように鼓動を行っておりますので、脳への刺激は常にある状態ではあります。 それが当たり前の日常生活になっているということでしょうか。


何時でも どんな時でも軽く眼を閉じている長く吐く呼吸を行なってみる

2019-05-13 07:48:04 | 逆腹式呼吸

私は座禅をはじめた当初は、深呼吸の要領で行う長く吐く呼吸、イメージで吐く息を体の中へ吐き入れる呼吸を、何時でも どんな時でも、軽く眼を閉じて立っている時でも、椅子に座っている時でも、ここで云う逆腹式呼吸の癖を付けるために、徹底して実践しました。

私たちは生来、呼吸を意識することはありません。 体の中へ吐く息を吐き入れるのを実感するために、息音が聴こえるように吐いておりました。 何時しか家族から、自分自身では意識しないのですが、自然と吐く息音が周りの人に聴こえるような呼吸をおこなっていたのです。

家族からは、変な息音が聴こえて来て感じが悪いとまで云われました。電車に座っている時も、事務所で机に向かってパソコンで作業を行なっている時も、上半身を頭のてっぺんを天から引っ張られているように維持して、軽く眼を閉じて長く吐く呼吸を行なっておりました。

現在は長く吐く呼吸はほとんど吐くことはありませんが、静かに軽く眼を閉じて、肺呼吸を伴わない気の呼吸である胎息で、過ごすことが多くなりました。