私は大学を6年かけて卒業をさせてもらいました。 4年目の時には佐藤仁先生が研究室に来なさいと声をかけてくれて、論文の作成のお手伝いをさせて頂き、少しは建築デザインのものの考え方の勉強をさせてもらいました。
然し乍ら大学は数学科も受験するほどに関心があったにも拘らず、5年目も6年目も試験に合格点をもらえませんでした。 当時の心境を思い出してみると、正常な精神状態ではなく、もやもやとした状態でした。
6年目の数学の試験の追試を受けさせて頂き、学園紛争の中で何とか遅れて、卒業することが出来ました。 佐藤先生の口利きで入江三宅設計事務所に、8月から入所させて頂き、建築の計画と設計監理の仕事を、何とか出来るようになりました。
友人で日大の理工学部に親の勧めで入学したものの、自分には合わないとて江古田の芸術学部の授業に通った友人も、親からの仕送りもストップされて、荒川の土手で昼寝をしていて、目が覚めて目に入った電信柱の求人広告を見て、就職した先が舞台製作の会社でした。
友人は舞台製作を通して浅利慶太さんをはじめとする演出家の方々や、舞台デザイナーや演技者の方々との交流を持つようになったのです。
そのように育って来た自分や友人の姿を見ながら、方や大学の級友が閉じこもりの状態で、月に1回大学病院に検診に行く以外は、一歩も自分の部屋から出てこない状況の人もおります。
今後どのような形で推移していくのかは、誰もが分からないのでしょうか。