ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

苦難は自分に与えられたものと何時も感じながら生きていますが

2017-09-28 04:02:11 | 気づき

自分のこれまでの生活を反芻する時がありますが、物事が順調に進んでいる時には分からないし、考えもしませんでした。 ところが一転して、順調に進まなくなって、様々な形で自分自身の環境が変わって来ます。

そんな時に改めて色々なことを、静かに考えてみるのです。 欽ちゃんこと萩村欽一さんは、ダメな時ほど運がたまる と云う本を書いておりますが、私もダメな時には反省し、マイナス思考ではなく、明るく前向きに建設的に考えるようにしております。

現在、これまでの自分自身の食生活を含めた所業の結果、私自身の体は様々な形で不本意ながら、医療費を使う立場になってしまっております。 幸いなことに長く吐く呼吸を伴いながらの座禅を行なっていたおかげで、自己免疫力が少しはあるようで、毎日を元気にマイペースで過ごしております。

何時も心がけているのは、自分の生活のリズムの中で、ストレスを吸収してしまう、またストレスを発生させないように、自分のペースで生活を送るようにしております。

進学校の都立北園高校の男300人女100人の中で、高校2年の後期の実力試験で387番になった時に、これだけ下がれば後は上に上がるだけだなと思い、改めて弱点だった英語を中学校での教科書を読み直し、また本をよく読むようになって高校3年の前期の試験では32番までになった経験があります。

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既成概念の穀から脱皮する柔軟性を持つには謙虚さが必要か

2016-01-13 03:26:56 | 気づき

 私たちは今までの社会生活を通じて、自分の考え方が作られてきていますが、それが自分の既成概念を形成しています。 他の方の意見を聞いて、それが真実であるか本当のことを云っているかを見極める時に、ややもすると自己の考え方に固執しがちです。

歳をとればとるほどに、なかなか自分の既成概念の穀を、破れないものです。 この時、ちょっと謙虚さがあれば、もう一度振り返って考えてみれるものです。 また自我の主張を少し抑える時間を持てば、素直に考えられるものです。

残念ながら相手から強く主張されればされるほどに、肩に力が入り反発する力だけが目立つようになってしまいます。 その時ほど、普段から肩の力を抜いて、何事も自然体で向かう姿勢が大切です。

私も様々なことに出会ったときに、上記のような姿勢を保つことが出来るのは、これまでの長く吐く呼吸を通した座禅を行って来たおかげかもしれないのかなあと、ふと思ったりするのですが。

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強気な安倍総理大臣を人間として考察すると

2015-02-27 06:18:33 | 気づき

 安倍首相を私は嫌いなタイプの人ではありませんが、最近の国会での強気な発言を聞いていると、かつて逆転国会の参議院での施政方針演説をしていたことを、思い出します。

 

 安倍首相は、初めての衆議院での施政方針演説を終え、参議院でも施政方針演説を行ないました。 然しながら演説内容を間違えて話してしまった為、また野党が多い逆転国会の参議院で、もう一度、演説をしなくてはならなかったのです。

 

 野次の多い参議院での再度の演説を行なうのが耐えられなかったのか、病気を理由に、さっさと総理大臣を辞めてしまったのです。 そんな気位が高い、自尊心の強い安倍さんが、今度は一転して衆参議院とも絶対多数を得て、強気の一点張りです。

 

 こんな時こそ、謙虚に一歩も二歩も下がって、物事を進めてもらえれば、もっと人間性が高まると思うのですが。

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精神科医の永尾雄二郎さんお話を聞くものの

2015-02-22 08:11:20 | 気づき

 今朝の心の時代・普遍の法をどうきくか というタイトルで、精神科医の永尾雄二郎さんが、話をされていました。 残念ながらじっくりと話を聞くことが出来ずに、素敵な字を書かれているなあとしか、印象がありませんでした。

 

 改めてネットで検索しました。 「永尾雄二郎」で。

 

 すると、70歳過ぎて中風になった患者さんへ往診したときに、枕元に色紙が掛けられていました。 「いらいらやくよくよもせず おおらかに 悠々自適 老いの坂道」 と書かれていました。

 

 聞けば偉い方が書いてくれたそうです。 それを永尾さんは違う書き方をされたそうです。 「いらいらや くよくよのみの人の世もなごりなつかし 今日の一日」と。

 

 その患者さんは、中風がなかなか良くならなかったそうですが、永尾さんの色紙を見てから、「先生、くよくよばっかりでいいんですか、それがなごりなつかしいー」と考えを改め、闘病生活も打って変わって、明るいものになり改善されていったということです。

 

 改めて、今朝のテレビの再放送を、見てみたいものだと感じました。

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我を捨てることにより謙虚な気持ちになれるものか

2015-02-19 06:50:24 | 気づき

 自分の思うようにならないときに、ややもすると、あれこれ考えて、思うようにならないことを、他人のせいにしてしまうことが多いようである。 私も然り。

 

 そんな時にこそ、自分の我を引っ込めて考えてみて、相手の意見に謙虚な気持ちで臨んでみると、意外と気分良く物事が進められるものである。

 

 こうでなければならないと考えると、色々と無理にぶつかることがあります。 そんなときにこそ、一歩引き下がって考えてみれば、自分の行動に原因があることが分かります。

 

 深夜の1時間の座禅は、ふと浮かぶ雑念の中で、深く考えさせてくれる機会かもしれません。

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内村鑑三 後世への最大遺物 の話を聞いて

2014-11-16 07:57:35 | 気づき

 今朝のテレビ こころの時代 で内村鑑三が講演した内容をまとめた、「後世への最大遺物」について、鈴木範久さんが解説していました。 内村さんについては、よく分かりませんでしたので、改めて聞き入って観ました。

 

 内村さんは、米国の留学から帰ってきて、第1高等学校の教職につきましたが、国の教育勅語等に疑問を感じ6ヶ月で退職し、その後、次々と仕事を変えていきました。

 

 天職とは何かを探し求めていたときに、キリスト教青年学校で「後世への最大遺物」というタイトルで、講演されました。 それによれば、この美しい地球・世界に、何かひとつ清い欲望があると話され、それは後世に役に立つ人間になりたい、ということだとのこと。

 

 自分は何もできないが、後世に残せるものは 勇ましい高尚なる生涯 しかないと話します。 自分自身の無用者としての生きる道は、それしかなかったと話すのです。

 

 改めて、内村鑑三さんの本を、読んで見たくなりました。

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その方がいるだけで幸せ感を感じることが出来れば

2014-08-24 07:25:31 | 気づき

 朝歩きをすると、いつも出会うコリー犬のデュークがいます。 ご主人は私と同年齢で上野の御徒町駅を挟んで、湯島側にある黒門小学校が私、Tさんは反対側にある竹町小学校の卒業です。

 

 Tさんはその後、御徒町中学校へ行き、私たちの学校からもそこへ進学したものもいます。 そんな話も、たまたま立ち話で分かったことですが。

 

 デュークは品が良く、その存在そのものが、私たちに幸せ感を与えてくれるんです。 出会うといつも頭を撫でてあげます。 そんなことを改めて、歩きながら考えてみると、私たち人間にとっても、その存在が、人に幸せ感を与えることが出来れば、もっと良いに違いありません。

 

 私自身は、自分の胸に手を当てれば、色々と想い起こすことがいっぱいあり、今から身を清めたところで、追いつくものではありません。

 

 それでも、そのような存在に近づくことは出来るはずです。 遅まきながらも深く静かに、黙って潜行することにしましょう。

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人が喜ぶ姿を見て自分が喜ぶ方が身近にいて

2014-07-24 06:28:28 | 気づき

 私の身近に、自分が色々と段取りをして、集まった方々が喜ぶ姿を見てから、自分自身が喜ばれるという方が、おられます。

 

 自ら体を動かし、またお金も使って、様々なことを行います。 昨夜は、その方が建てられた建物の関係者が集まり、居酒屋で懇親会を行いました。

 

 駅前の飲食店ビルが出来て以来、22年になりますが、毎年、この暑い季節に行います。 建築資金を融資した銀行と農協、建設会社や地元の設備会社、エレベーター会社、不動産会社、設計者(私)も参加します。

 

 今年は体調が悪いというので出来ませんでしたが、その後乞田川の桜並木の前にあるマンションの建設を致しましたが、その前で行われる桜観会は、若い人たちの出会いを兼ねて、開催されます。

 

 夏に行われる懇親会には、手ぶらで参加しますが、桜観会は、それぞれビールやワインなどを持参します。 桜観会はお手製の大きな2台の鉄板の台で、バーベキューを参加者が自ら焼き上げたりします。 勿論、食材は全てその方が用意されるのです。

 

 私自身は、ある時期にセクシャルな行為を通して、男性は相手の方が喜ぶ姿を見てから、自らも喜ぶ、それを拡大解釈して、人は自分が色々と計画、行動し、その結果、自分の周りの人が喜ぶ、その姿を見て自らも喜ぶというのが、本当のことだろうと認識しました。

 

 決して自分だけが喜んではいけないのです。 また、そのためには我慢することも大切なのです。

 

 自分の身近に、それを実践される方がおられると、益々、自分も見習わなくてはと思うのです。

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初めて発心をする時すなわち正覚を成す

2014-06-16 06:46:20 | 気づき

 昨日の早朝のテレビ「こころの時代」で、さとりへの道・華厳経に学ぶというタイトルで、木村清孝さんがお話をされていました。

 

 その中で華厳経の中で「初めて発心をする時すなわち正覚を成す」という言葉について、わかりやすく解説をされていました。

 

 初めに何かをやろうと思ったときに、既にその真理をつかむことが約束されたようなものだ、というような解説であったと思われます。

 

 私は、その言葉を知ったときに、親しくしている友人のことを思い出しました。 私が、色々と話しても、なかなか実践されないことがあります。 まだそのような状態(気持ちが)になっていない、そのような環境になっていないといっては、実践の道を歩まないのです。

 

 表題の言葉を知ったときに、そうだ、友人は具体的に実践する気持ちになったときに、急激な変化があるに違いないと思ったのですが、どうなるんでしょうか。

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心の余裕がないからこそ心の余裕を持つように心がける

2014-03-19 06:36:47 | 気づき

 私は、前の事務所を辞めたときには、あらかじめ算段があって辞めたわけではありません。 10年勤めたら辞めようと思っていたのですが、満8年で辞めました。 当然、当面の仕事があるわけではなく、母からも借金をして過ごすことになりました。

 結婚もして、その後、子供も生まれていたと思います。 そんなときに、学生時代のときの、級友のことを想い起こしたのです。 設計の演習課題で、いつも楽しいスケッチと提案をしていた級友のことです。

 学校に藤沢の住まいから、パブリカという名の車に乗って、通っていたのです。 あいつは経済的に余裕があるから、精神的にも余裕があるんだな、したがって面白いことが考えられるんだな、と思ったのです。

 よし、自分は現在、仕事もなく経済的にリッチではないけれども、精神的には余裕は持てるのではないかと考え、あえて、すぐ近くのテニスコートで、朝6時から9時ごろまで、汗びっしょりになって、テニスを始めたのです。 雨が降らない限り毎日3時間、3年間テニスをやりました。

 練習方法を一緒に行うようになった友人と考え、最後はシングルスの試合を行っていました。 したがって、家に帰っても仕事どころではなかったのですが、少なくとも心に余裕は持てるようになりました。 お金が入るべき仕事が、ないにもかかわらずです。

 連れ合いからは仕事もないのに、朝からテニスをやっていて、とそれなりの小言はいただいたのですが、幸いにしばらくしてから、順調に設計の仕事が作られていきました。

 生まれて初めて座禅(静功)を行うようになったときにも、必ずしも経済的には余裕はなかったのですが、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで、はじめたのです。 結果的に、呼吸法が、座禅が、私に心の余裕を与えてくれました。

 私の親しくしている友人には、これまで色々と実践するように話をするのですが、心の余裕がないからとか、まだそのような気持ちにならないだとか、何かにつけて、実践しない理由を並べては、何もしないのです(ちょっぴりはしているのかもしれません)。 親しいからこそ、いいにくいことを、ずばずばいうのですが。

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