ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

ゴルフのスイングもいかに力を抜くかにかかっている

2009-03-30 19:03:41 | 自分
 久しぶりでゴルフに誘われ、楽しんで来ました。 アップダウンがきつく、決してやさしいコースではありませんでしたが、コースへ出る前の練習がないままに、出だしこそ悪かったものの、後半になってスイングのコツを思い出し、49でまわることが出来ました。

 たぶん全てのスポーツがそうであるように、いかに力を抜けるか、力を抜くことが出来るかが、上達の基本であるような気が致します。 ゴルフのボールを遠くに飛ばそうという気持ちを忘れ、あくまでもボールに集中し、クラブをその重さだけでスイングする。 力を抜き飛ばす方向に最終的に、クラブを向けるようにする。

 そんなことを思い出しながら、プレイをしました。 いつもそんなことを思い出しながら、練習を行えば、もう少し上達するのになあ、と思いながらも、また次のゴルフ場での繰り返しです。 それでも今日は、なんとなくスイングのコツが、分かった気がしました。 今週の土曜日には、その結果が出るものと思われます。 楽しみです。

 

静かから定へー座禅

2009-03-29 07:56:06 | 座禅
 肩の力を抜きながら、上半身だけは直立させるという座禅。 吐く息をゆっくり吐きながら、意識を吐く息だけに集中し、法界定印の手印を組む親指の先から、直立する上半身のあらゆる部分の力を抜き、静かな状態を作り出していく座禅。

 静かを追求する中で、定という心を一処に定止して、散ることがなく乱れることがない状態を、作り出して行きます。

 あらゆる部分や部位の力を抜く行為を通して、目は自然と半眼になります。 座禅のときに、よく和尚さんが「半眼にしなさい」という言葉をいいますが、眠くなるのを防止するためでもなく、意識を一点に集中するためではありません。 半眼になるのは、究極的に力が抜けた状態になることを、意味しているのです。

 お釈迦様が半眼で胡坐を組んで瞑想している姿を見て、私達は目を半眼にするように座禅をするのが、本当の姿だと思っているようですが、意識的に半眼にしなくても、全ての力が抜けてくれば、その姿は半眼になるのです。

 私は、どちらかというと形にこだわるのは好きではありません。 その形、姿がどうして必要なのかの説明がないままに、形式的なフォームを強いるのは、よくないことだと思っています。

 たかが「半眼」かということではないのです。 眠くなるのを防止するためとか、妄想を抱かないためとかの、」そんな消極的な意味合いは、取ってつけたものに過ぎません。 その持っている積極的な意味合いを、自分自身の座禅の取り組みで、感じ取って行く必要があるのです。

 座禅の仕方は、全てその一点にあります。 禅宗のHP上の座禅の方法、仕方には、その観点が欠け抜けているように思います。

プロボクサーが試合数日後に硬膜下出血で亡くなる

2009-03-28 09:13:53 | 
 先日、ニュースでプロボクサーが試合後に硬膜下出血になり、数日後に亡くなったという記事が、出ておりました。 脳脊髄液に囲まれ保護されている脳が、度重なる打撃や、ダッキング(頭同士が激しくぶつかり合う)などで衝撃を受け、硬膜下で出血したということでしょうか。

 プロボクサーとして一時風靡したジョー辰吉も、毛細血管の一番微細な網膜を、何度も剥離させ、日本プロボクシング協会からドクターストップが、かかっているにもかかわらず、ボクシングが好きで好きでやめられず、海外で試合をやっていたりする記事を、見かけることもあります。

 父に連れられてよくボクシングの試合を見に行った記憶が、未だに思い出されますが、私達は格闘する姿を見て興奮し、自分自身をそこに置き換えて、自分ができない夢を、格闘する選手に見出しているのかも知れません。

 いつも試合の最後には寝てしまっていて、父の背中におぶられて、家に帰っていったことも、何度もあります。 

 本来、何かと保護されている脳を、わざわざ衝撃を与えて、障害になるようなことはないのではないかと思うのですが、人間の闘争心をかきたてるものも、必要なんでしょうか。 静かに暗闇の中で座禅を行っていますと、どんなものでも生と死が、いつでも隣り合わせに入るもんだなあと感じるのです。

禅をきく会で角田泰隆師の話を聞いてきました

2009-03-27 06:32:07 | 禅宗
 禅宗のお寺の関係で保育園の仕事をさせてもらいましたが、園長先生から禅をきく会の葉書をいただき、よい機会なので大宮まで行ってきました。

 NHKの教育テレビで、日曜日の朝5時からの「こころの時代」で最近話をされている、曹洞宗の駒澤大学教授の角田泰隆氏が、自分と仏教との出会いを含めた話をしてくれました。

 親がお坊さんだったこともありますが、高校までは普通に過ごし、駒沢大学で初めて仏教の勉強をしたとのこと。 3人姉弟で男が自分ひとりだったので、将来はお坊さんになることを覚悟していたが、何となく抵抗感もあったそうです。

 然しながら大学で仏教は、自分と関係あるかないか、自分が信じるか信じないか、自分に必要か必要でないか、を超えた教えであるということが分かり、勉強をしようという気持ちになったということです。

 テレビでは自分が学問としての研究テーマである「正法眼蔵随聞記」について、やさしい語り口で話をされていますが、いまだにまだ分からないことがいっぱいあるということを、改めて素直に吐露されていました。

 51歳という若さにもかかわらず、長野の常圓寺の住職を兼務しながらも、大学で学究生活を送っています。 テレビではまじめな話し方しかされないのですが、講演ではそれとは違った、楽しい話し方をされ、楽しいひと時を過ごさせてもらいました。 感謝いたします。

派遣の仕組みは中央官庁でも当たり前

2009-03-25 18:47:09 | 社会・経済
 社内の業務を補足する為に、派遣社員を雇用するのが、当たり前になってきてしまっていますが、民間ですと3年までは延長出来るようですが、官庁の場合は入札によって、単年度の契約になっています。 派遣会社との癒着を防止するという考え方が、あるためでしょうか。

 パソコンを駆使してのインターネット関連の業務もあるようですが、考えてみれば可なり重要な業務を、こなしているようにも思います。 私自身は、現在の派遣制度には賛成出来かねるところがありますが、現状を肯定するとすれば、官庁の単年度契約も、更新できないとすれば、業務の遂行やそれ以上の成果を期待する観点からは、民間並に3年までは更新出来るように、すべきではないかと感じます。

 ましてや官庁が、恒常的に派遣社員に業務の一端を任せきっていること自体が、どうも問題があるように思います。 組織の改編を弾力的に行うために、職員の配員を自由に出来るように、しておこうとでも、思っているんでしょうか。

 篠原涼子さんがテレビドラマで、「派遣の品格」で好演し、改めて民間での派遣制度のありようが分かりましたが、官庁の場合の派遣制度には、いまいち合点がいかないところが、あります。

半身浴を行うと丹田が大きく動きます

2009-03-24 07:19:45 | 半身浴
 お湯の面をへそのちょっと上ぐらいにして入る半身浴は、上半身びっしょりになるぐらいに汗をかきますので、新陳代謝がよくなります。

 できる事なら、上半身は頭のてっぺんが、天から引っ張られているような感覚で、維持しながら入ってもらいたいのですが。 肩の力は勿論抜くことも必要です。 冬は手をお湯の中に入れれば、寒くはありません。

 私は、もう既に臍下丹田が活性化し、心臓のように鼓動しているのですが、半身浴を行うと、その鼓動が大きく、体全身にその鼓動を伝えます。 

 臍下丹田が活性化していない方でも、半身浴を行うことによって、体の中の気の動きを活発化させ、体の内部の眠れる臓器を、細胞レベルで活性化させるのではないかと、思わせます。

 私は座禅を始める1年前から、知人から半身浴のことを聞いて以来、お風呂はいつも半身浴です。 それまでは、いつも湯船に入るのは5分にも満たさず、カラスの行水でした。 

 半身浴を行い、十分下腹の臍下丹田を温めた後に、布団の上で座禅を行っていました。 しかも吐く息をゆっくり、体の中へ吐く逆腹式呼吸をです。 一日の疲れが出た場合は、無理をせず寝ながらの呼吸法を行いながら、寝てしまいます。 翌朝、早く起きて昨夜できなかった座禅を、清新な空気の中で1時間の座禅を、行ってきました。

 考えてみれば、自然と臍下丹田が活性化するような動きを、続けてきたように思い起こされます。 座禅を苦しい修行などとも、思ったことはありません。 呼吸法を伴いながら、静かに暗闇の中で座禅を行うことによって、体に微妙な変化が現れ、あれ何だろうかと楽しみながら、座禅を行ってきた結果ではないかと、感じています。

 座禅を楽しんでください。 逆腹式呼吸を楽しんでください。 半身浴を楽しんでください。 よいことも嫌なことも、全てのことを楽しんでください。 

 ひとり座禅の良さは、拘束されず自由に、自分の意思さえあれば、好きな時間に好きな場所で、できることです。 自然の動きに任せ、自然の摂理に委ねる感覚の大切さが、分かってくるのです。

普門庵で泊りがけで45分の座禅が18本ありますが

2009-03-23 06:30:35 | 座禅
 5月の連休を利用して、普門庵で4日の午後2時から5日の午後6時まで、途中休憩を入れながら、45分の座禅を18本行うと、和尚さんが昨日話してました。

 私は3時間の座禅は行ったいた経験がありますが、45分の座禅を沈黙しながら、断続的に行うのは未経験ですので、どのように体に変化を与えるかは、関心のあるところです。

 5月の連休中は、いつも子供祭りで木片チップで、子供達に遊んでもらうというイベントに、10数年参加し、そのお世話をさせてもらっていることや、その日にしか来ない仲間もいて、夕方終了するといつも飲み会を行うことになっています。

 私が座禅時間は1時間以上が必要と、いつも話しておりますが、45分の座禅を15分の小休止をしながら18本行うことで、どのように座禅が深まっていくかを、確認したいところです。

 4日にしか会えない人がいるので、その選択は迷うところです。

 

座禅は宇宙の叡智の懐の中にいる感じ

2009-03-22 11:20:13 | 座禅
 上半身をどこにもつけずに胡坐を組んで行う座禅は、呼吸法を伴いながら時間の経過とともに、宇宙と一体的になる雰囲気があります。 逆腹式呼吸を行いながら座禅を行っていますと、いずれの日にか吐く息が経穴という気のツボから、排出するのを感じ、宇宙と一体になる感覚を知ることになります。

 耳がキーンとなったり、脳がシーンとなったり、昔プールで潜水したときの感じになります。 すると自然に宇宙や星や生命の生誕とかに、興味が沸いてきます。 
 私は肺呼吸を伴わない気の呼吸ー胎息を行いながら、座禅を行っていますが、広大な宇宙の中での自分の存在を、いつも感じながら楽しんでいます。 

 体中にあるツボが開き、宇宙との一体感があるのですが、最近何となく、そんな座禅を続けているうちに、宇宙の叡智の懐の中で、座禅を行っているような感じになることがあります。

 改めて、座禅の楽しさを感じながらの、深夜の座禅です。 ぜひ皆さんも、座禅を楽しんでください。

静かな状態を持続させることが大切ー座禅では

2009-03-21 06:00:30 | 座禅
 、体全体をリラックスし、吐く息をゆっくり吐きながら座禅を行いますが、体の内部のあらゆる部分までの力が抜けるには、45分から1時間かかります。 見た目には力が抜けているように見えても、体の中を流れる気の動きからは、どうしても、そのようにしか感じられないのです。

 小周天する気が脳を刺激する感覚から、強く活発に動いてはいますが、脳への刺激は硬く感じられるのです。 その硬さも45分から1時間もすれば、しだいにゆったりしてきて、脳への刺激も優しさを増してきます。 そのような状態になって、はじめて座禅の素晴らしさを、感得出来るのです。

 お寺での座禅時間は、30分または45分間隔で小休止を入れて行うことが、一般的なようですが、これはあくまでお寺のお坊さんが、修行するために行ってきた方法を、踏襲しているだけに過ぎないのではないかと、感じております。

 ではお釈迦様が、菩提樹のもとで瞑想を行っていたときに、そのような座禅時間の取り方をしていたかは、いかにも疑問の多いことです。 体のあらゆる部分をリラックスさせ、静かな状態になってはじめて、宇宙の叡智への入口にたどり着くことに、なるのではないかとも思っています。

 そうであれば、なおさら静かな状態を、そのまま持続することが、とても大切なことではないかと感じます。 1時間以上の座禅時間が必要な訳は、以上の理由にあるのではないかと、深夜に行う座禅時の雑念で感じたことです。 

胡座の姿勢が一番楽です

2009-03-20 19:38:02 | 座禅
 胡座を組んでいつも座禅を行っていると、胡座を組んだ姿勢が一番楽だということが、分かってきます。 肩の力を抜き、いつも上体を頭のてっぺんが、天から引っ張られているような感じで、維持するのですが、その癖が自然と付いてしまいます。

 家ではイスに座ることが殆どありませんが、イスに座るときでも胡座を組んで、イスの上に座ります。 ソファーの上に座るときでも、足を普通に床につけて座るよりも、胡座を組んで座る方が楽ですし、リラックスするので、たいていの場合は胡座を組むことの方が多いのです。

 どんな場合でも、人と話している場合でも、肩の力を抜き上体はリラックスです。 座禅をするときだけでなく、普段の生活でも胡座を組んで座る癖を、つけてしまうのです。 時とすると、座禅の時には姿勢は真っ直ぐになっているのですが、座禅を終えると途端に、猫背になってしまう方を見かけます。

 胡座を組む姿勢が、一番楽だということが分かるようになれば、座禅の良さがちょっと分かってきたかなあと、思っても構いません。 普段から上半身の力を抜くように、心がけることも大切です。