ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

人と接する時には心で会いたいと思っていますが

2016-02-20 03:37:16 | 心の襞

 私は、どんな方と会う時でも何時も、この後また何時会えるか分かりませんので、自分自身を100%表すように、心がけています。 友人は相手がどんな人か分からないので、人定めしながら用心して接するというのですが。

初めて行く旅先でも、叉いつ来れるか分かりませんので、全力でその地を満喫、堪能しようと心がけています。 

人間の一生の中で、出会う人も限られていますし、地球上で行けるところも限られていますので、その時間を大切にしたいと思っているからです。

そのように考えてくると自然と、自分の裸の姿を見て頂くことによって、相手の方にも出来ることなら直ぐにでも、裸になった形で接して貰えれば良いのですが。 相手の姿勢の前に先ず、自分の姿勢を正すのが先です。

心と心の触れ合いが出来ることが、最高です。 その出会いのためにも、常に自分を磨いていることも大切です。 色々な場面で、その人の人柄や人生観が現れ出て来るからです。


恋する気持ちと好きの気持ちは紙一重では

2014-02-16 08:01:17 | 心の襞

 今まで女性とは色々な方と出会ってはいますが、何となく好きだという感情を持ちながらも、そのまま相手にその気持ちを伝えない限り、何となく好きだという感情のままにしか推移しないものです。

 然しながら、一度その感情を相手に表し、相手もそのような感情を表した場合は、恋する気持ちに変化していくように感じます。

 時として恋する気持ちは一方的なときにも、継続する場合があります。

 恋する気持ちは、色欲を満足させないことによって、継続するように感じています。 色欲を満足することによって、恋する熱い気持ちが変化するのではとも思っております。

 私自身は、いつまでも恋する気持ちを持ち続けながら、これからも生きていきたいと思っています。 そのためにも座禅を通して心を磨き、クラシック音楽でヴァイオリンの音色やソプラノの歌声に、胸を痛めたいと思います。


心の襞と襞が触れあえるように付き合いたい

2013-05-29 07:02:08 | 心の襞

 私は自分が生まれて天に還るまでの間に、どれだけの人と出会えるだろうか、またどれだけの人と、心の襞と襞が触れ合えるような関係の人と、出会えるだろうかと想うことがあります。

 そのためには、いつも自分が裸になっていなければ、相手も裸にはなってもらえません。 いつの間にか私は、初めて会った人に対しても、服を着ることなく裸で話をするようになっていました。

 いつも裸でいるほうが楽なせいも、あるでしょうか。 お会いする方によって、こちら側の対応の仕方が変わるのも、ちょっとおかしい感じがします。 したがって、話し方は、どんな方に会っても変わりません。

 私は男ですが、男の方に対しても女の方に対しても、その接し方は変わりません。 素敵な女性に出会って、この方とは大切にお付き合いしたいなあ、と思う方にも出会いました。 男性にも、そのような方はおります。

 いつも自分を裸にしていることと、作為を持たないということも、とても大切にしています。 自分は裸になりますが、相手も裸になってくれないと分かったときには、そっと服を着るようにはしております。


心の襞が触れ合うとは魂が触れ合うということか

2012-12-13 08:51:53 | 心の襞

 芹沢光治良さんの90歳になってから書き始めた「神のシリーズ」の本を読んでいると、血縁関係のない魂の父や魂の兄弟、それと魂の息子が二人登場します。

 その方々との触れ合いが描かれていますが、実の父とは縁がなかったように離れて子供時代を過ごし、漁師になるのを避けて、学校へ進学するのを資金援助する人が、その推移とともに現れてきます。

 成人してからは、精神的にも援助する魂の父が現れます。 フランスへ奥さんとともに留学すると、パリで出会った九州の佐賀出身の百武大佐と、その後兄弟の契を結び、それ以降も精神的な結びつきを持ちます。

 一度も会ってはいませんが婦人たちを通して、神のシリーズを読んでいたご主人たちと、お互いに魂の父と云ったり、魂の息子たちと云った言葉が出てきます。

 私自身はよく、心の襞が触れ合う人との出会いが、自分の人生の中で何人の人と出会えるだろうかと、いつも思うことがあるのですが、一人いれば最高という感覚を持っていました。

 改めて、魂の○○という言い方に、新鮮さを感じました。


触れ合い

2006-12-18 18:55:38 | 心の襞
 私達は、自分達の人生の中で、どれだけの人と触れ合えるのか、またその触れ合いの程度は、どれぐらいなのかを考えた時、一人一人の出会いを大切にしていかないと、触れ合いの中味も濃くはなっていきません。
 触れ合いを通して、相手の持っているものを感じ、知らず知らずの内に、自分の糧にしてしまいます。 また、相手に対して自分の持っているものをさらけ出し、与えます。
 私は、どんな時でも、ちょっとした時間であっても、触れ合うことによって、自分の行為がどれだけ相手の心の襞を刺激し、何かを感じてくれるように、惜しみなく誰に対しても、接するように心がけています。
 心の鎧を着ていると、なかなか他の人は近寄りがたいと思うので、いつも自分の裸を見せるようにします。 ちょっと贅肉がついて(心の)、余りきれいでなくても、恥かしがらず見てもらいます。
 大抵の人は、興味の対象から外れることも多いのですが、自分の人生の中でたった一人でもよいので、本当の友ができれば最高という気持ちでいつもいます。
 真っ裸になると、ちょっと恥かしいので、押さえるところは抑えるようにしてはおります。 パソコンを通して、その広がりは増えているのかなという感覚を持って、過ごしています。