ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

ロボット学者の森政弘さんがロボット製作の過程から仏教の教えに通ずるものを学んだと云う

2020-11-01 09:14:53 | 文化

今朝のテレビ「こころの時代」で、ロボット製作の第一人者である森政弘さんが、製作の過程で仏教の教えに通ずるものを学んだと云う話をされておりました。

例えば歩くロボット製作の過程で、歩くと云うことを考える時には、その相反する倒れると云うことを考えなければ、歩くことが完成されないと云うのです。

全ての作業を行う場合でも、どんな場合でも、相反することを想定しなければ、意図することは出来ないと云うことを、ロボット製作する過程で学んだと云うのです。

仏教の言葉で「無記」と云う言葉から、例えば善と悪について説明がありました。 善を行おうとした時に、相反する悪を意識することによって善がなされ、善を意識することによって悪をなすこともあると云う。

「無記」がその中心にあって、善を行うか悪をなすかが決まると云うのです。 改めて様々な意見、考えがあることの大切さを感じました。 ひとつだけの考えだけでは、物事は先に進まないと云うことでしょうか。

二元性一原論と云う。


コロナ禍の中で7年前のゆったりと映画「きいろいゾウ」を観ましたが

2020-06-16 01:32:26 | 文化

映画好きの友人が天に還ってから、長時間の映画を観る機会が少なくなって来ましたが、GYAOでたまたま見つけた「きいろいゾウ」を観てみました。

向井理が演じる「ムコさん」と宮崎あおいが演じる「ツマ」を中心にした映画です。 古びたひらやの一軒家で、背中に大きな鳥のタトウを入れた売れない小説家の「ムコさん」と、犬やソテツの木と話をする天真爛漫な「ツマ」、隣の老夫婦との日常的な出来事の中でのゆったりとした会話、「ツマ」を慕う少年とのやり取りや少年の友人の少女。

コロナ禍の自粛生活を送る身にとっては、何か世話しない環境の中で、改めて仄々とした映画を観させて頂きました。 宮崎あおいさん演じる「ツマ」の素晴らしさに、心動される感じが致しました。 

7年前に作られた映画だそうですが、人気小説作家の西加奈子さんのお人柄が、よく出た先品でした。 楽しませて頂きました。


新日本フィル テレワークでパブリカやってみた のYouTubeを観て思わず楽しくなって

2020-04-11 02:46:19 | 文化

新型コロナウイルスの関係で、移動を伴わない自宅での作業を行うテレワークと云う言葉が、やたらと氾濫しておりますが、新日本オーケストラのメンバーが、テレワークでパブリカを演奏していると云う報道を知って、早速、検索して聴いて観ました。

何となく世の中全般が鬱陶しいなかで、演奏者の姿が細く写りながら演奏する姿を観て聴いて、思わず嬉しくなって来てしまいました。

はじめに全員で合奏する動画があり、それが終わると部分的に合奏する動画があり、最終的には初日の合奏が観られます。

友人たちにも観て、聴いてもらいたくて添付してメールを送りました。


昨日は家族4人で秩父へお墓参りに行って来ました

2020-03-22 03:43:27 | 文化

何時も7時過ぎには、秩父までのお墓参りをするのですが、昨日は9時過ぎになりました。 従って途中、道の駅やコンビニに寄って行くと到着まで、3時間半かかる所へ4時間かかりました。

お花と武甲山のお酒を買って、お墓周りを清掃し、お線香に火を付けて、火が消えるまでお墓の前で過ごします。 半年に一度のお墓参りに来て、直ぐ帰ってしまうのは何となく嫌ですので、1時間ほど過ごします。

父は40数年前に65歳で交通事故で、母は10数年前に90歳で天に還って行きました。 数年前に還って行った弟も眠っております。 毎年、春と秋に秩父までの来ます。 最近は秩父周辺の温泉に入って行くのですが、昨日は新型コロナウイルスの関係で、行かずに帰りました。

家に着いたのは午後6時過ぎでした。 途中に寄ったOKストアで買ったピザなどを夕食替わりで食べて、7時過ぎに早々に寝てしまいました。


映画 四月は君の嘘 を観て久し振りで胸が痛くなりましたが

2020-03-21 05:15:58 | 文化

作業をしながら、傍の液晶画面から流れる天真爛漫のヴァイオリ二ストの広瀬すずちゃんの声につられて、引き込まれるように映画 四月は君の嘘 を観てしまいました。

子供の頃から天才ピアニストと名を馳せたものの、指導を受けた母の死を転機に、演奏の途中で音が聴こえなくなって、演奏を止めてしまう役を山崎賢人が演じます。

そんな賢人を求めて編入学したすずちゃんは、引きこもりがちな賢人を誘って、コンテストに出演しますが、やはり途中でピアノ演奏を止めてしまいます。 すずちゃんは大きな声で アゲイン と云ってヴァイオリンだけで演奏をします。

勿論、コンテストの対象にはならないものの、素晴らしい演奏であったので特別枠で、次の大会に進むことが出来たのです。

すずちゃんは嫌がる賢人に何度も再演奏することを願い、結果的に演奏することになり、母のトラウマから脱出できて素晴らしい演奏が出来たのです。

然し乍らすずちゃんは、病魔に襲われ病院生活を余儀なくされます。 

二人を取り巻く仲間も明るく、清々しい青春を感じさせる映画でした。 久し振りで二人の葛藤を通して、胸が痛くなってしまいました。 胸が痛くなるということは、生きていると云うことを実感出来る時です。

四月は君の嘘 と云う映画は、漫画が原作とのことですが、広瀬すずちゃんの魅力を最大限に発揮された映画だなあと、改めて感じました。


秩父への御墓参りは42年になりますが家族3人で

2019-09-26 02:48:58 | 文化

先日のお彼岸に、用事のあった娘を除いて、息子と連れ合いと3人で父母と弟が眠る秩父霊園に、行って来ました。 交通事故で65歳で永眠した父は、既に42年になりました。

何時も行く道を行かずに、ナビを使っての道行きでした。 息子は夢で父の夢を見ることがあると話してくれました。 平塚でひとりで住んでいた父の所に行った時に、息子と父が相撲を取っている映像が、思い出されます。

交通事故で永眠する前日に、父から電話が掛かって来て、私の姉のことを頼むと連れ合いに頼んでいました。 余程、姉のことが心配だったのか、49日の納棺に参加しなかった姉の枕元に現れ、姉から気持ちが悪いと連絡がありました。

私は、父が姉のことを心配して現れたのだから、お墓参りをして、心配しなくていいよと云って来なよと伝えました。 その後、姉はお墓参りをした後は、現れなくなったそうです。私は、時々、父のことを思い出すことはあっても、夢を見ることは滅多にありません。

息子が、よく父の夢を見ると云うことは、父が孫の息子のことを心配しているのでしょうか。 娘にも一度聞いてみようと思います。

母が永眠してからは13年経ちました。 昨年10月に永眠した弟も、一緒に眠っております。 何時もお線香が消えるまでお墓の前で過ごすのですが、残念ながら台風17号の影響で小雨混じりでしたので、お線香の本数も半分に折って数本だけにして、早々に帰途に着きました。

帰り道にスシローに寄って、お喋りをして過ごしました。 ナビによる帰り道、慣れない道でしたので、結構 疲れました。 

最近は帰り道で何時も、秩父の温泉に入ってから帰るのですが、優れない天気によって、寄らないことにしました。


鬼怒川温泉で廃墟ホテルが多く存在していると云うネットの記事を見て

2019-09-10 02:51:54 | 文化

数年前に鹿沼の友人宅に訪れた時に、鬼怒川おんせんの周辺を車で通った時の映像を、思い出しました。 山間の傾斜地に林立していた赤茶けた建物群を。

ネットの記事で鬼怒川温泉で、バブルの崩壊で多くのホテルが廃業に追い込まれて、廃墟ホテルとして残り、撤去費用も1棟当たり2億円の費用が必要だと云うのですが、残念ながらその費用の捻出もままにならないと云う。

傾斜地にある建物を解体するには、それ相当の機材が必要で、勿論、建設費もかなり掛かったと思われます。

ふと建物全体を緑化してしまったら良いのではないかと考えました。 元々、建物の周囲には樹木が林立して、緑が多く存在しています。 解体が出来ないならば、蔦などで建物全体を覆ってしまえば良いのではと。

花が咲き実が成るものなら、もっと良いかも知れません。 将来の建物の危険性を配慮して、周囲を立ち入り禁止にする必要があるかも知れません。

植栽の工夫で数年で、建物全体が緑で覆われるに違いありません。 今でも多くの観光客が訪れると云う鬼怒川温泉街ですが、その姿、雰囲気は一変するはずです。


川崎出身のバッドポップのメンバーが明るく輝いている姿を観て

2019-08-29 19:44:41 | 文化

クレイジージャーニーと云うテレビ番組で、川崎南地区出身の方々が中心になって、バッドポップと云うヒップホップの8人のグループが、紹介されておりました。

核になる双子の兄弟が中心に作られたとのこと。 小学生の頃からギャングで、中学生では学校を転々と移ったりして、相当に名前が売れた悪だったようです。 高校の年代になっても相変わらずのギャング活動を行い、監視の警察のヘリコプターが、いつも上空を飛んでいたと云う話でした。

それぞれの家庭は厳しく、食べることも普通には出来ず、かっぱらって食材を確保すると云うのが、普通の生活であったと云うのです。 お母さんが春を売って生活費を稼いででいた人もいたり、お父さんがヤクザだったりした人もいたようです。

もちろん喧嘩仲間の人たちの集まりでもあります。 当時は相当怖い雰囲気を持ち、顔つきもそれなりに怖い顔をしていたのでしょう。

19歳頃に先輩のひとりから、楽器の必要のないヒップポップの大会に誘われて、その場で即興でヒップホップの歌を歌ったようです。 これを機会にこれまでの自分たちの厳しい日常生活を素直に表現して、結果的に8人のグループとして活動をはじめたのです。

8人のメンバーはみんな温和な顔に変わってしまい、番組で街を歩くと子供たちが集まり、一緒に写真を撮っておりました。 


30数年続けている子供たちの5月の積木遊びの講評会が昨日ありましたが

2019-08-26 00:54:07 | 文化

10センチ角の木片チップを用意して、5月の連休中に子供たちに積木遊びをして貰うようになって、既に30数年過ぎております。 子供たちが創ってくれた作品を写真に撮って、後日、写真を観ながら面白いデザインの作品に、寸評を付記して写真と共に図書券を送付させて頂いております。

当初は脚立を用意して、高いタワーを造る子供たちが多かったのですが、安全に遊べることや、デザインの面白さを追求して貰うためにも、昨年から脚立を用意しないようにしました。

昨日の講評会では、積木の創り方に今までにない独創的な作品が見られる、特別賞を送ることにして、図書券も+αして送ることにしました。

子供たちが積木遊びを通して、ひとりでも良いから将来デザイン方面に進む子供が現れて来るのを期待して、また来年も実施したいと思っております。

然し乍ら、お世話をさせて頂いている私たちも高齢化しており、組立式のコンテナに入れて運び移動することに、悲鳴をあげる歳周りになっているのも事実です。

これまで積木を提供してくれた建設会社の方々や、運搬のためのトラックを提供してくれる方々に、感謝の気持ちも忘れはしませんが。


いつも夏休みに過ごした明石の高校を甲子園では応援しておりますが

2019-08-21 03:16:52 | 文化

私は子供の頃は、夏休みになると直ぐに明石の従兄弟がいる家に行き、帰って来るのは何時も8月末になります。 母の姉が住む家は、大蔵町の旧街道沿いにある蔵造りの家で、お米屋さんを営んでおりました。

明石の浜へは、途中に駄菓子屋さんのお店を通り、歩いても1、2分で行けます。 従って朝ご飯を食べると何となく海水パンツに着替えて、そのまま歩いて浜まで行くのです。

水中メガネを持ち、時にはモリを持って出かけます。 もちろん小さい頃は浮き袋も持参します。 浜の砂地は余りありませんが、直ぐに藻が生えているところがあり、その先の海底は砂地のある「す」です。「す」の先は「磯」になります。

浜には従兄弟の友だちが、いっぱい来ており、遊ぶのは時間がたっぷりあります。 お昼ご飯を食べに一旦家に戻り、昼過ぎの泳ぎはそそくさと止めて、家に帰って着替えをしてから、近隣の子供たちと一緒に、野球をやったり石蹴りをしたりして過ごします。

お盆の頃を境に、海で泳ぐことは余りしなくなります。 「よいとこまかしょの-–」と声をかけながらの盆踊りや、お米を小袋に入れて近在のお地蔵さん巡りをして、世話人の叔母さんからお菓子を貰う地蔵盆も、楽しみのひとつです。

現在では護岸のために砂地のもなく、泳ぐことが出来なくなっております。

そんな日常生活を送っていた明石では、夏休みの宿題は何もすることなく、東京に戻ることになります。 従って夏の甲子園での高校野球の応援は、東京ではなく兵庫県代表、否 明石の高校を応援してしまうのです。 昔の県立明石高校、今年は明石市立明石商業を応援するのですが。

残念ながら昨日は大阪代表の履正社に負けてしまいましたが。