ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

一般的な腹式呼吸の逆腹式呼吸の下腹が風船のように膨らんだ写真を見て

2017-08-31 03:39:30 | 逆腹式呼吸

私の深呼吸の要領で行う、はじめに大きく息を吸って、出来るだけ長く吐き、吐く息をイメージで体の中へ吐く、ここでの逆腹式呼吸は、私が生まれて初めて行った静功・座禅のときに、出来るだけ長く息を吐こうとした時に、子供の頃に行っていたラジオ体操の深呼吸を、思い出していました。

またテレビで見た深海を潜る前に、ダイバーが大きく息を吸って、下腹が大きくえぐられる姿を見て、それを思い出しておりました。 

更に極真空手の創始者である大山倍達の映画「空手バカ一」で演武していた、体をゆっくり動かしながら、体の底から息を吐き出すような呼吸法をも、思い出しておりました。

私は幸いなことに、禅宗のお寺が座禅のスタートではありませんでした。 禅宗(特に臨済宗・黄檗宗)では、はじめに息を吐き出すと同時に、下腹の丹田からも吐き出す、空の理念による呼吸法が取り入れられています。

一般的な腹式呼吸は禅宗の腹式呼吸と同じです。 一般的な腹式呼吸での逆腹式呼吸とは、腹式呼吸では吐く息は体の外へ吐き出しますが、逆腹式呼吸では吐く息をイメージで体の中へ吐き入れます。

私のここでの逆腹式呼吸は、生まれて初めて行った真っ暗闇の中での1時間の座禅で、頭の上に電子の輪の帽子を被るような状態になり、その後、毎晩行った1時間の長く吐く呼吸を伴う座禅を、継続的に行ったけっか、1ヶ月半で下腹の臍下丹田が、自発動を伴いながら活性化し、心臓のように鼓動を始めたのです。

私は、その後、一般的な腹式呼吸を本で知り、また腹式呼吸の反対の逆腹式呼吸も知りました。 然しながら、逆腹式呼吸を究めたとされる方の、下腹の一部が風船のように膨らんでいる写真をみて、異常だなと感じたのです。

更に本には、逆腹式呼吸は男性の性的なものを強めるとも書かれており、古くから知られていることだとも記されておりました。

私が行ってきた、ここでの深呼吸の要領で行う逆腹式呼吸は、決してそのような体の反応は示しては来ませんでした。

また私は年賀状で、ブログの存在や、座禅は脳と心のエクササイズとも書いており、それを読んだ禅宗の方で、自分でも時々、座禅を実践されておりますが、私の逆腹式呼吸ではなく、一般的な腹式呼吸の逆の逆腹式呼吸(禅宗と同じ)を行ったら、下の息子がムクムクして来た、そんな呼吸法を行っているとはけしからんと言って、訪ねて来られました。

 


しっかりした愛情溢れるお母さん猫のエルちゃんでしたが

2017-08-30 05:13:20 | 

報道でいとも簡単に殺人事件を起こしてしまうことが報じられておりますが、どうして命あるものをと思うのです。 改めて考えてみると、本人たちは親の愛情を十分受けて来なかった方々ではないのかと感ずるのですが。

遡って、その親たちも親の愛情を受けて来られなかった方々で、更に遡って行くと----。 そのように考えていけば、命あるものに対して、尊重するとか、尊厳などと云うことさえも浮かんでは来ないのではと思うのです。

また、その後の出会いもなく、命あるものを大切に考えることも、なかったのではないかとも思います。 

自分のことはさておき、我が家にいたヒマラヤンのお母さん猫の、エルちゃんを思い出します。 初めてエルちゃんが我が家に来たのは、子供達が小学校の低学年前後だったと記憶しております。

地域の情報誌で子猫を譲りますと云う記事を見て、お伺いし譲ってもらう約束をしましたが、もう少し待って下さいと云われました。 その時のことを反芻すると、もう少し親の愛情や躾けを与えてから、譲りますと云うことであったと思うのです。

我が家に来た頃のエルちゃんは、丁度、私が独立して我が家で製図板の前で、あれこれ考えている時期でしたが、製図板の上に上がって来て、何かを作業するどころではありませんでした。

従ってエルちゃんをそとへ連れ出し、紐も付けずに自由にします。 すると嬉しそうに木に登ったり、茂みに隠れてしまったりします。 私とずいぶん過ごした割には、成人すると娘にベッタリでした。

そんなエルちゃんも1年経ったら、しきりと悶えるようになりましたので、お見合いをしましたが、面食いだったようで上手く行きませんでした。  従って猫の本の著者の家に訪ねて、玄関先に真っ先に出てきた元気の良い子猫を、貰うことに決めました。

雄の子猫が1年経つ頃に、押入れの中で猫の鳴き声が聴こえました。 するとエルちゃんが得意そうに子猫の首を咥えて、一匹ずつ見てよと云う気持ちでしょうか、私たちの家族に見せるのです。

お父さん猫のジュンちゃんは、もちろん男前であると云うことは、言うまでもありません。 エルちゃんの子猫の育て方を見て改めて、親の愛情を受け継いだものは、それをまた子猫に受け継ぐものだと感じたのです。

猫を通して私たち人間の子供に対する愛情や躾けの大切さを、改めて感じた時でした。


小中学校に関係する方から発達障害児が増えていると云う話を聞いて

2017-08-29 03:51:18 | 社会・経済

昨日は小中学校へ出入りされている方から、発達障害児の数が増えていると云う話を聞いて、改めて昔のような特別学級が増えているのかと、検索してみました。

すると全国の公立小中学校で、発達障害により「進級指導」を受けている児童・生徒が初めて、9万人が超えていると云うことが分かったと云う。 この20年余りの間に7倍以上増えたそうです。

注意欠陥多動性障害と呼ばれる子供や、読み書きなどの困難を抱える学習障害、自閉症などの診断名がある発達障害児に授業が振り回されてしまう現状から、進級指導と云う制度を作りました。

進級指導とは、比較的軽い障害のある児童・生徒が、特別支援学校や特別支援学級ではなく通常学級に在籍しながら、各教科の補充指導などを別室で受ける制度です。

かつてだったら「ちょっと変わった子」や「落ち着きのない子」「カンのカンの強い子」と云われた層が、直ぐ「発達障害児」とされてしまう時代になったことも、その人数の増えた原因と考えられています。

かつての、そのような子供が増えた訳ではなく、そのように診断される子供が増えたと考えられなくも、ないようです。

学校側の体制として(幼稚園・保育園も同様に)、ちょっと変わった拘りを持っていたり、落ち着きがなかったり、癇癪を起こしたり、なんらか平均値から大き目に外れた子供を見つけると、「一度、診てもらうことをお勧めします」言って来たりします。

私は、たまたま知的障害者(軽度の方も含む)の施設計画をさせて頂いておりますので、現実はどうなっているのかなあと、改めて勉強させてもらいました。


息を吸う時には気を吐き息を吐く時には気を吸うのが自然なのですが

2017-08-28 03:05:26 | 逆腹式呼吸

私が生まれて初めて胡座を組んで、静かに長く吐く呼吸を伴いながら座禅・静功を行った時には、幸いなことに一般的に云われている腹式呼吸を知りませんでした。 

長く吐くことだけを第1に考え、深海を潜る前にダイバーが大きく息を吸っている姿を、思い出していました。 出来るだけ長く息を止めて潜るために、出来るだけ目一杯に、息を吸う必要があるのでしょう。

大きく息を吸うと胸は拡がり、下腹は表側の皮が後ろの皮にくっ付くぐらい、抉られるように下腹は引っ込んでおりました。 出来るだけ長く息を吐こうと思えば、はじめに大きく息を吸うのが自然なのです。

息を吸う時には胸は拡がりますが、下腹が凹むと云うことは、息を吸う時には下腹の臍下丹田は、気を吐くと考えるのが自然なのです。

息を吐く時には胸は元の大きさに戻り、下腹も元の大きさに戻ります。 下腹は膨らむと云うよりは、元の大きさに戻ると考えるのがしぜんです。 従って息を吐く時には、凹んでいた下腹が元の大きさに戻る・膨らむと云うことで、下腹の臍下丹田は気を吸うと考えるのが自然なのです。

私たちの体は、お母さんのお腹から生まれ出て以来、上記のような呼吸を意識しなくても、自然と行って来ました。

私は長く吐く呼吸、吐く息を体の中へイメージで吐く呼吸を通して、私たちの誰もがお母さんのお腹の中で行っていたであろう胎息と云う、肺呼吸を伴わない気の呼吸を感得しました。

そのことを通して私たちの誰もが、お母さんのお腹から生れ出る瞬間に、胎息と云う気の呼吸から、オギャーと云う泣き声と共に、空気を吸う肺呼吸に変わることを感じました。 ただし肺呼吸に変わる過程で、腹式呼吸が行われていることを知るのです。

私たちは赤ちゃんが呼吸をする時に、下腹は大きく動いているのを思い出すのです。

一般的な腹式呼吸は、空の理念で、息を吐き出すことからはじめます。 また同時に下腹からも吐き出すのです。 私は自分の体験から、肺の動き臍下丹田との動きは、同期しないと考えています。 不自然な動きと考えておりますが。


友人宅で法華経で合掌する声が聴こえて来て良いなあと想う

2017-08-27 01:40:40 | 社会・経済

友人宅では月に一度、友人の奥さんを慕う方々が集まり、法華経の会を開くと云う。 たまたま昨日は、そのような会があり、友人宅で別室で法華経を合掌する声が聴こえて来ました。

友人宅では夫婦2人が法曹の資格を持ち、奥さんの方が数段も格上の方であると友人からは聞いてはおりましたが、普段接する奥さんは、特別偉そうなことを云う訳ではなく、ごく普通の主婦と云う雰囲気を持たれている方です。

法華経を合掌する前後に聴こえてくる話の内容は、親しげに普通の世間話をしているようでもありました。 

居間に何気なく置いてある本をみれば、呼吸法に関するものもありました。 在家であると云うことで、奥さん自身も特別なものを持たないようにされているようでも、何事も自然に振舞っているようでもあります。

友人宅で過ごす時間は、とても居ごこちが良く、あっという間に時間が過ぎて行くようです。


夜の明かりで集まった蝉が疲れ果てひっくり返っているのを手に持って放しますが

2017-08-26 06:55:53 | 自然

今年の夏の気候は何時もとは違います。 7月は連日、35度を超える天気が続いたと思ったら、8月は連日の雨でした。 ここに来て、やっと残暑らしくなって来ました。

少し肌寒い雨の中で、しきりと場違いに最後の鳴き声を出していた蝉も、やっと本来の暑さの中で鳴いております。

朝出かける時には大抵、数匹の蝉が仰向けになって、転がっております。 私は何時も拾い上げて、飛んで行けと云いながら上に向けて放します。

殆どの蝉が、夜間の明かりの中でバタつかせて疲れ切ったであろう体を、精一杯、空に向かって飛び出します。 この後、何処まで飛んで行って、最後の安住の地にするのでしょうか。

僅か1週間ぐらいの命を、鳴いて鳴いて静かに地に果て、小さな虫たちの餌になって循環するのですが。 蝉の鳴き声は、うるさいと云うよりは、これからは涼しくなりますよと云う季節感を、感じさせてくれるものです。


迷走する東芝経営陣はどうしようも可笑しく感じますが

2017-08-25 05:55:26 | 社会・経済

東芝は、日本の原発産業を推進して来た企業ですが、経営的に余裕があったのでしょうか、米国の原子力企業を買収しました。 結果的にそれが巨額の赤字を引き起こし、主力の半導体事業を売らざるをえなくなりました。

資本を得て事業を共同して経営してきたウエスタン・デジタル(WD)を抜きにして、これまで産業革新機構を中心としたグループと、売却の話を進めて来て基本合意に至っております。

ところがWDから早速、訴訟問題を提起されて、先のグループとの合意が頓挫してしまいました。 当初から半導体事業の資本提携をして来たWDを無視して、話を進めて来たことに遠くから眺めてみて、どう考えても可笑しいと感じておりました。

すると昨日のニュースで今度は一転して、WDを中心にした売却話が主力になって来たと云うではありませんか。 これまでの東芝経営陣の動きの推移を見れば、例え赤字決算を支える主力銀行の影響があるとしても、その迷走ぶりには驚くばかりです。

支持率の高さに胡座をかいて来た安倍晋三首相の行動と、合致しているようでもあり、滑稽に見えてしょうがありません。


当面する問題にそれぞれ淡々と取組む雰囲気がありますが

2017-08-24 03:21:51 | 自分

現在の自分の生活態度を、ふと反芻してみると、若い頃の活発で活動的なものとは違い、遅いながらもゆったりしながらも、淡々と取組んでいるような雰囲気にあります。

何事も自分の思うようにはいかなくても、その中において自分で出来るペースで、最大限の努力をしているようでもあります。 自分で云うのも変ですが。

アイフォンに書かれている予定を確認しながら、前もって予想される出来事に、出来るだけ最善を尽くそうと考えます。 坐骨絡みの痛みで、以前のようにフットワークは軽くはありませんが、マイペースで一つ一つのことに楽しみながら行動しております。

ここに来てやっと坐骨のためのリハビリを、自分で考えながら少しずつ始めました。 運動はしてないのに、血液検査をすると先生から、何か運動をしていますかと、問われます。 歩くのに相当の負荷が掛かっているようですがと答えたりしています。 実際、歩くのが運動をしているような雰囲気があるのです。

どうも静かに深く考えながら、行動しているような気がいたします。 年齢がそのように仕向けているのかも知れません。 また1日2食の食生活も影響しているかも知れません。

ひょっとして1日1食の食生活を始めたら、また雰囲気が変わるかも知れません。 楽しみます。

 


友人の著作 届けられなかったラブレター の改訂版の前編を読んで

2017-08-23 03:48:30 | 友人

私が8年間勤めた事務所を辞め、独立したばかりで仕事もないのに、あえて経済的に余裕がなくても精神的には余裕は持てるはずと、一念発起して朝の6時から9時過ぎまで、雨が降らない限り毎日、近くの市営コートで一緒に3年間テニスをやった友人が、数年前に学生時代に知り合った友人の妹さんへの、届けられなかったラブレター と云うタイトルで、本を書いて自分で製本して、読んで欲しいと云われて読みました。

その本を改めてフィクションも交えて、前編と後編に分けて作ったので、改めて読んで欲しいとと先日、久しぶりでお茶を飲みながら受け取りました。

前文では、全体として暗い印象はあったものの、恋した人へのひしひしとした愛情を感じながら、読ませて貰った記憶があります。 友人とは奥さんも含めて、気のおけない関係でおります。 何せ、当時は雨が降ってテニスが出来ない時には、自宅の固定電話で1時間も、とりとめないことについて長話をしていた仲でした。

2人とも初めてテニスをはじめたことも幸いに、練習して方法も自分たちで考えて行い、最後は必ずシングルスの戦いで終わります。 試合結果は6対4か7対3の割合で友人が勝っておりました。 友人は体が大きい割合に、柔軟性のある試合運びでした。

友人の改訂版を読み込んでいる内に、あれ、前文では話の展開は、こうであったのに、ちょっと違うなあと思いながら、その都度、友人にSMSを送りながら、やり取りをしておりました。

前文を読んでいなければ印象は違っていたかも知れませんが、友人の学生時代の経済的、時間的な厳しさから、あえて恋する人から遠ざかってしまう、暗いながらもひた向きさが強く感じられたものでした。

改訂版は、そのどうしようもない暗さはないものの、前文を読み込んでいた私にとっては、ちょっと違う印象を持つものに変わっておりました。

然しながら、恋人に対する想いの強さや、その表現力には改めて感心させらてしまいます。 創作とは云え恋人に対する恋心の強さを感じました。

私は決して「さようなら」と云う言葉は使いません。 友人は、さようなら と云う言葉を発してしまったのか、或いは心に持ってしまったのでしょうか。 ドイツ語では別れる時に、アウフ・ビーター・センと云い、その意味は、また会う日までと云うことを、高校時代に習っていたので、何時も、そのような気持ちで私自身は想っておりますが。


成長期と老齢期では食生活を変えて行く必要がありそうですが

2017-08-21 00:37:17 | 食べ物

外科の古川健司先生と定期検診で、色々と話をさせて頂く中で私の食生活が、1日3食から1日2食に変わって来ました。 このことを会う方々と話し合う過程で、1日2食を実践されている方や、1日1食をされている方の話を聞くようになりました。

何年も前からお腹が減らないのに時間が来ると、食事を摂るのが当たり前になっておりましたが、そのことには疑問に考えておりました。 本来は、お腹が空いてから食べるべきではないかと。

お腹が減って、グーとお腹が鳴る音を聴いてから食べると良いとか、お腹が減ってグーと鳴ると、私たちの体は飢餓に対して何とかしようとして、体の具合の悪い箇所も含めて対応するとの記事も読んだことがあります。

子供の頃に、これからどんどん成長する過程では、運動量も多いことも考慮して、食事も1日3食であっても構わないとは思うのですが、老齢期になれば運動量も少なく、それ相応の食生活の方が自然かも知れません。

所謂、今までの食生活の惰性で、1日3食で、なおかつ食欲の欲を唯一の楽しみにする年齢になっているのでしょうか。

改めて自分自身の食生活を顧みれば反省することは大ですが、遅ればせながら根本的に考える時期に来ているのかも知れません。 私は現在の1日2食の食生活が板について来ましたので、そろそろ1日1食の生活を実践する時期が来ているかも知れません。

食欲の欲を違う欲に転換して、断ち切ることになるのでしょうか。プチ断食を継続して、もう少し長い断食を継続的に行って、1日1食の生活を更に発展させて、長期の断食を断続的に行っても良いかなあとも思うのです。