私は深夜にいつも1時間、暗闇の中で静かに胡坐を組んで、胎息でひたすら座禅を行います。 何度行なっても、不思議な感じがするのが、見かけ上、静かであっても体の中に流れる気は、なかなかゆったりと流れることはありません。
1時間ほど経って、やっと静かに緩やかな流れになるのです。
背中から駆け上がってくる気は、頭皮と頭蓋骨の間を、脳内の微細な神経細胞を強く刺激しながら、おでこから目の中心部に向かって、流れていきます。 またそのとき顔の皮膚のすぐ裏側にも、気は流れていきます。 目のまぶたの周辺にも、力がかかります。
禅宗では目は半眼にしなさいという作法がありますが、目の周辺の筋肉の力が抜けてくるのは、座禅が始まってから45分から1時間は要します。 力が抜けてくれば、目は自然に半眼になってきます。 私はいつも半眼にするのではなく、半眼になるという意味は、ここにあるのです。
体の中の気の流れが緩やかになったときに、脳への刺激も優しくなります。 このときには、全てのストレスから解放され、セクシャルなエクスタシーをはるかに超える、崇高な至福感を感得することになります。 ここにこそ、座禅を行う意味があるのです。
30分ぐらいの座禅では、この感覚にはなりません。 私が座禅が楽しくて仕方がありません。 意識を集中できさえすれば、おのずと座禅は楽しくなってくるのです。 無理はいけません。 自然の摂理に委ね、自然の動きに任せることが、とても大切なことなのです