ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

「静か」の中で行う座禅だからこそ得る(感得)ものが大きいのです

2009-10-31 08:13:27 | 座禅
出来るだけゆっくり息を吐きながら行う座禅。 肩の力を抜いてリラックスし、静かに吐く息だけに意識を集中しながら行う座禅。 吐く息を下腹の臍下丹田を意識しながら、呼吸を続けます。

 自分が望まなくても、ひたすら座禅を続けることによって、微妙な体の変化を与えてくれ、なおかつ座禅の中で物事をどのように考えるべきかを、そっと教えてくれるのです。 自然の動きに任せ、自然の摂理に委ねる素直な気持ちを持つことによって、それを可能にします。

 何かを求めず、ひたすら座禅を行うことによって、宇宙の叡智がそろそろ何かを上げようということになるのか、私には分かりませんが、いずれその時がきます。 

 そのためにも、私は30分の座禅ではなく、1時間の座禅を続けることをお勧めいたします。 30分では、ここでいつもいう野球での肩慣らしになってしまうのです。 

 仕事に楽しんでいる間に、多くのコメントが寄せられました。 29年座禅を行っている方の貴重なご意見や体験をお話していただき、とても感謝しています。 ギャーティ、ギャーティの般若心経の経文を唱えながらの座禅については、蓮の花の上で座禅をした時のイメージや、光のイメージをしながら座禅を行った時の感覚に、似たような雰囲気を感じます。

 どうも色々なご意見をありがとうございます。 これからも貴重な体験やご意見を、お願いしたいとこの場を借りて、申し上げます。
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初心者だからこそ1時間の座禅時間が必要なのですが

2009-10-25 06:27:07 | 座禅
あちらこちらで開かれる座禅会では、30分ぐらいの座禅を行って、30分ぐらいの法話を行う例が多いようです。 私が参加させてもらった座禅会でも、そうでした。 小休止をはさんで25分を2回という例もありました。

 私は自分の経験からいって、初めてだからこそ1時間の座禅時間が必要と、感じています。 私は座禅(静功)を生まれて初めて行ったときから、最低でも1時間は座禅を行っていますが、今ではそれが当たり前のようになっています。

 このブログ上で、いつも30分の座禅時間では、野球でいえば肩慣らしでしかないと云っています。 体の中を流れる気の動きが、30分ではまだ堅さがとれず、45分から1時間しないと滑らかになってこないからです。 その動きが滑らかになることによって、神経細胞が集中する脳を癒し、日常的なストレスから解放してくれるからです。

 私たちにセクシャル的な喜びをはるかに超える、崇高な至福感をもたらしてくれるのです。 また静かな状態の中での座禅を通して、私たちに宇宙の叡智が、そっと私たちにサジェスチョンを与えてくれるからです。

 30分の座禅では、肝心の本当の意味での良さを知るチャンスを失ってしまうのです。 はじめが肝心で、座禅というものは30分行えば良いと思ってしまうのです。 座禅を指導してくださる方々は、どこまでその辺のところが分かっておられるか、いつも疑問に思っています。

 初心者だからこそ30分ではなく、1時間の座禅を行うべきものと、いつも感じているのです。 座禅の素晴らしさを、一人でも多くの人に知ってもらいたいからですが。
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丹田呼吸とは丹田が心臓のように動く気の呼吸のことではないか

2009-10-24 05:58:11 | 逆腹式呼吸
丹田呼吸とは一般的には、下腹にある臍下丹田を意識する呼吸のことを云うようですが、私は丹田が心臓のように動く気の呼吸のことを、丹田呼吸というものと思っています。

 私たちは全ての人が、お母さんのお腹の中にいたときには、臍下丹田が動き丹田呼吸という気の呼吸をしていたと感じているからなのです。 お母さんのお腹の中にいたときには、気の呼吸をしながら生長し、胎外の出来事を気で感じながら過ごしているのです。

 胎教という言葉がありますが、胎児に話しかけながら育てた日本人の奥さんと米国人のご主人は、4人の女の子を育て、4人が4人とも特別な教育をしたわけでもないのに、4人とも3年も4年も飛び級したという本を読んでも、分かったことです。

 私のそばでは余り聞きませんが、その子供自身が経験したことでないのに、胎外でおきたことを自分が経験したかのように話す子供がいるということとを、よく聞きます。 

 胎児のときに行っていた気の呼吸は、お母さんのお腹から出た瞬間に、おぎゃーという泣き声とともに酸素を吸う肺呼吸に変化します。 胸式肺呼吸にいたる過程で、下腹で呼吸する腹式呼吸を行います。 私たちは赤ちゃんがお腹を動かしながら、呼吸する姿を見ています。

 そんな呼吸を思い出しながら、現在意識しないで行っている胸式肺呼吸を、呼吸を意識し吐く息をゆっくり吐くことによって、腹式呼吸を回復していきます。 意識しながら腹式呼吸を行いながら、腹式呼吸を意識しなくてもできるようになってきます。 

 腹式呼吸を行いながら体内の気が充実してくると、自然と臍下丹田は動き出し気の呼吸を始めるのです。 その意味では私たちが普段行っている胸式肺呼吸から、自然と胎内にいたときの気の呼吸を回復したことになります。

 体内の気が充実しない方向に向かう禅宗で行う順腹式呼吸よりは、胎内の気が充実する胸式肺呼吸から発展した吐く息をゆっくり吐く逆腹式呼吸のほうが、自然と臍下丹田が動き始める確率が高いといえます。 

 順腹式呼吸は、生来行ってきた胸式肺呼吸と、下腹の動きが逆になっています。 その意味では私は極めて順腹式呼吸は、不自然な呼吸法であると考えています。 したがって順腹式呼吸がパラレルであり、逆腹式呼吸が順正である考えている一人です。

こんな考えも、全て座禅の雑念の中で感じることなのですが。
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体内の気が充実の方向に向かう逆腹式呼吸

2009-10-23 17:35:22 | 逆腹式呼吸
逆腹式呼吸と順腹式呼吸と何が違うのか。 見た目で判断できるのは、息をゆっくり吐く時に下腹を意識して、腹の底から息を吐き出す順腹式呼吸は、息を吐き出すときに下腹が凹むのです。 逆腹式呼吸は息を吐く時に、吐くときに下腹に向けて体の中へ、息を吐きます。 したがって息を吐く時に下腹は出るのです。

 ここで勘違いしやすいのは、大きく息を吸うときに、胸は広がり下腹は凹むのです。 息を体の中へ吐く時には、凹んだ下腹が元に戻るだけなのです。 私自身の経験から云いますと、余り下腹の動きを気にしないほうがよいのです。 

 息を大きく吸うのが先か、息を吐き出すのが先かの論議がありますが、私はその論議は余り意味の無いことだと思っています。 禅宗の息を腹の底から吐き出すという考え方は、論理が先行しているような気がしてなりません。 むしろ生来行ってきた肺呼吸で、息を胸いっぱい吸ってから、ゆっくり息を吐き出すほうが、動きとしては自然ではないかと感じております。

 大きく息を吸い、ゆっくり息を吐く、吐く息を体の中へ入れるようなイメージで行う逆腹式呼吸は、イメージどおりに体の中へ息(気)が入っていきます。 ゆっくり息を吐くことにより、体の中の気や宇宙に無尽蔵にあるといわれている気を、動かしてくれるのを、感覚的に感じ取ることが出来ます。

 体の中へ吐いた気は、基本的には体の中へ留まらず、経穴という体中に点在する気の調節をするツボ(鍼とか灸のツボ)から排出されます。 経穴から排出されることによって、逆腹式呼吸を継続的に行うことにより、自分では分かりませんが知らず知らずのうちに、経穴の調節が改善されてきます。 鍼や灸がツボに施術するのは、そのツボを刺激することによって、そのツボに関係する内臓の部位を、改善するからなのです。

 また逆腹式呼吸は、体内に強制的に気を入れることにより、自然と体内の気が充実してくるのです。 長く行えば行うほど、充実してくるのです。 静かなところで息をゆっくり体の中へ吐いていきますと、体中の経穴から(特に背中が感じやすい骨と皮膚が接触しているからですが)息(気)が出て行くのが、感じられるはずです。

 呼吸法を、座禅を楽しんでください。
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半身浴をしながら15分友人の病気の回復を念じるといいます

2009-10-21 07:27:12 | 半身浴
友人が毎朝、半身浴を30分行いながら、友人の病気の回復をひたすら15分間、念じると話してくれました。 その友人から何か分からないけれど、よくなったということを聞くと、嬉しくなるとのこと。

 そんな話を昨日久しぶりで会った友人から聞き、私自身も嬉しくなってしまいました。 友人には自分のことではなしに、他の人のことをそのように思うということは、とてもいいことだと話しました。 深夜の座禅で、改めてその話を思い出し、そうだ逆腹式呼吸を行いながらすれば、もっとよいかも知れぬと感じ、早速友人に伝えることにしました。

 私自身も座禅を行いながら、3時間、友人のガン克服を願ったことがありますが、今ではそのようなこともせず、ただひたすら座禅する身ですので、昨日は感心するのみでありました。
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意識する呼吸に慣れてしまえば無意識に呼吸ができるようになりますー逆腹式呼吸

2009-10-19 07:15:29 | 逆腹式呼吸
私達は生まれてこの方、呼吸を意識したことがありません。 当たり前のように毎日、呼吸をしています。 この呼吸を意識することによって、私達の体に変化を与えてくれます。 

吐く息をできるだけゆっくりと、長く吐くことによって、私達に今まで感じなかったことを、感じさせてくれるようになるのです。 ゆっくり息を吐きながらイメージすると、イメージしながらゆっくり息を吐くと、イメージどおりに体を動かす何かがあることを知るのです。

座っている時でも立っている時でも、歩いている時でも、基本は一つです。 大きく胸いっぱい息を吸って、ゆっくり息を吐いていきます。 ただし吐く時には、イメージで息を体の中へ吐いていきます。 実際はゆっくり吐く息は、少しずつ鼻から出ているのですが、鼻から息を出すことを忘れ、あくまでもイメージで体の中へできるだけ長く吐いていきます。 できるだけ長く吐きますが、決して無理をしてはいけません。 あくまでも自然であることが大切なのです。

こんな呼吸、胸式肺呼吸―逆腹式呼吸を、あらゆる時間、場所で行ってみます。 意識しなかった呼吸を、日常的に意識しながら呼吸を続けていきますと、いつの間にか意識して無くても、意識する呼吸ができてきてしまうのです。 是非、やってみてください。 何かが変わってくるはずです。
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胡坐の姿が一番楽なんですが

2009-10-18 08:55:11 | 座禅
今朝のテレビで、沖縄のシーハーというかんざしを作る職人さんの話を、放映していました。 この金細工の職人さんは、もともとはテレビレポーターなどの仕事していたのですが、お父さんがしていた金細工職人を受け継いだとのことです。 沖縄のご婦人の髪を止める伝統的なシーハーというかんざしを作る仕事です。

 仕事の間、ずーっと胡坐姿で一心不乱に、集中して金細工に夢中になっています。 ちょっとここで視点を変えてみると、日本の職人さんたちは、藤のかごを作る職人さんも含めて、一日中胡坐姿で仕事をしていたのではありませんか。

 実は私も、事務所で打ちあわせの時など、ソファーの上で胡坐を組んで、話すことが多くなってきました。 慣れてしまえば、胡坐の姿が一番楽であることを知るのです。

 座禅の時に組む結跏趺坐でなくても、普通の胡坐でもよいのではないかと思うのです。 肩の力を抜いてリラックッスし、頭のてっぺんが天から引っ張られるように、上体を維持します。 座っている時も立っている時でも、基本は同じです。

 早朝のテレビを見て、ふと胡坐の組み方が一番楽な姿なんだなあと、改めて感じたのです。
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自己免疫力がつく逆腹式呼吸は難しくありません

2009-10-17 06:51:25 | 逆腹式呼吸
私達は生まれつき呼吸する時は、大きく息を吸いゆっくり吐いていくことを、ラジオ体操で知っています。 大きく息を吸うときには肺が大きく広がり、下腹は凹みます。 息を吐き出すときには、大きく広がった肺は元に戻り、凹んだ下腹も元に戻ります。

 逆腹式呼吸は息を吸うときに下腹が凹み、息を吐き出すときに下腹が膨らむということが、ものの本に書いてあります。 何のことは無い、逆腹式呼吸は私達が生まれつき行ってきた胸式肺呼吸を行っていれば、普通に行える呼吸法なのです。 ただし、吐く息を出来るだけゆっくり吐くことが、必要なのですが。

 下腹の動きは余り意識する必要は無く、むしろ意識しないほうがよいのです。 大きく息を吸い、出来るだけ長く息を吐いていきます。 全部吐ききろうとすると、苦しくなり、継続して呼吸することに無理が生じます。 苦しくなる寸前に、また息を大きく吸います。
この呼吸をスムーズにリズムよく出来るように、心がけます。

 この呼吸が普通に出来るように、日常的にあらゆる時間、場所で行うようにします。 電車やバスを待っている間や、椅子に座ったちょっとした時間に、行ってみます。 

 私は逆腹式呼吸法は、いつも行ってきた肺呼吸をちょっと視点を変えて、吐く息を長く吐くだけでよいので、とても簡単に出来る呼吸法なのです。 言葉や教本の書き方に惑わされてはいけません。 

 もう一つ大切なことは、吐く息をイメージで体の中へ吐くことが重要です。 これさえ出来れば、継続に行えさえすれば、自然と自己免疫力が高まり、薬いらずの生活が出来るようになるのです。
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聞く耳を持てるのは100%正しいと思えるときですか

2009-10-16 07:10:57 | 自分
人と話をしていて、その方の言っていることが納得できるのは、100%正しいと思えるときですか、51%のときですか、あるいは1%でもいいと思えるのですか。 このことは、当人がどれだけ謙虚にものを考えられる人かによって、違ってくるものなのです。

 私は、穂との話を聞くときには、1%でも正しいことをいっているなと思ったときには、拒否することなく、改めて反芻することにしております。 多くの人は少なくとも51%は正しいと思わない限り、聞く耳を持たないのが、一般的ことではないかとも思います。

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自分にとって大切にしたい人は何人いますか

2009-10-15 06:15:43 | 友人
私はいつも自分がこの世に生まれてから、天に還るまでの間に、自分が大切にしたいと思える人に、どれだけ会えるだろうかと考えています。 一人いれば最高と考えながら、一人、二人と増えてきています。

 そのための準備として、いつも自分を裸にしていることと、いつ誰から声をかけられても受け入れられるように、自分の態勢には配慮しています。 そのためにもいつも自然体でいることが大切であると、常々心がけているところです。

 まちですれ違うだけの人もいます。 でも機会があれば、ちょっと声をかけるだけで、次の段階に進むこともあります。 ですから、毎朝で会う人にも、何度も会うことになれば、自然と声をかけ「おはようございます」と挨拶をするのです。

 声をかけなければ、永遠にその方と接することが出来ません。 声をかけることによって、親しみが沸き「今日会えましたから、きっと今日はいいことがありますよ」と、相手の方に声もかけることが出来るのです。

 一度、自分が大切にしたいと思ってしまえば、後は何年会わなくて久しぶりに会っても、きっと昨日会っていたかのように、話すことができるのです。 私は、いつもそう考えながら、自分を律するようにしています。 いつもそのように思っていれば、自然とそうなってくるものです。
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