ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

先日 建物の清掃をされているご婦人からコーヒーとビールを差入れして頂いて

2021-05-08 03:26:46 | 友人
朝、事務所に行く途中に出会う建物の清掃を行うご婦人と会うと、何時も立ち話をします。 話をする様になったのは、ご主人と二人で清掃を行うのに、ある日ひとりで行っているのを見た時でした。 それまでは特に話しかけることもなく、通り過ぎるだけでした。 聞けばご主人がガンで永眠されたとか。 当該の建物管理をされている会社が、知人の会社であったことで話が弾みました。

2週間に1度の建物周りのせいそうです。 事務所に行く時間も一定時間ではありませんので、滅多に会うこともありませんでしたが、会えば一言二言声を交わす関係です。 その建物には、たまたま会えば座って話をする様になった方がおられます。

北海道の幌内高校で担任の先生に勧められて、3年間相撲部で過ごした方がいます。 数年前に永眠した弟と生年月日が同じ方です。 しめ縄姿で全員の前で激励されて恥ずかしかったことや、先輩からしごかれたことなどを話してくれました。 また合宿で料理をする腕前を見込まれて、卒業後、京都の料理屋、久保田で2年間過ごしたことも話してくれました。

京都では1週間は何かとお客さんのように扱ってくれたのですが次週からは、ピンタやゲンコツをもらってしごかれたと云うのです。 又お客として来られた山口組の組長の田岡一雄さんが、全員に2万円の心付けを渡されたと云うことも話してくれました。 今ではピンタやゲンコツがあれば許されないことですが、昔はそれが当たり前の世界であったのでしょうか。

2年で耐えられずに京都から東京へ行って、そこで出会いがあり四谷の七福運送へお世話になることになりました。 そこの常務さんが映画 人義なき戦い の主人公と学校の級友と云うことで、ヤクザの方々の出会いや右翼の方の護衛をすることになります。 常務も本人も決して曲がったことはしなかったとも云います。 両人とも板前修行があるものの、お酒は吞めない体質だったようです。

そんな本人と久しぶりで温かい陽だまりの階段で話していたら、清掃が終わって手を振って別れたと思ったら、また戻って来て近所のコンビニでわざわざ買ったコーヒーと缶ビールを、2個ずつ持って来てくれたのです。 聞けば手伝いに来ていた娘さんが、買って持っていったらと、アドバイスされたようでした。

何となく嬉しい気分になりました。

黒門小学校のクラス会の柿の実会を育ててくれた山崎省三君が天に還って行かれました

2020-04-04 20:41:09 | 友人

4月2日の朝に、ひとり静かに天に還って行かれたと云う知らせを、昨日受けました。 長い間、クラス会の柿の実会の幹事をされていて、絶えることなく今日まで続いているのは、ひとえに山崎君に寄ることが多かったのです。

私はひと時、ゴルフ会の時には、前の晩に泊めて頂き、夜遅くまで級友の奥さんも交えて一杯呑みながら、遅くまで話をしておりました。

何時も前向きで明るく振る舞う姿を見て、何と云う人柄なのだろうかと感心させられておりました。 後年は時々行うガン治療を行なって、かなりしんどいと思われる時でも、朗らかさを絶やすことはありませんでした。

慶応大学へ進学してアイスケート部に所属して、スピードスケートを行っていて、卒業してからはOB会の集まりにも積極的に参加して、交友関係も幅広くお付き合いをしていたようです。

卒業後は商社に入社して、主に南アフリカの果物を輸入する仕事に、従事しておりました。 そこで取り扱っていたグレープフルーツを、毎年夏になると、いっぱい食べさせて頂きました。

昨年、本郷で行った柿の実会が、最後になりました。 遠くからご冥福を祈ります。


1週間ブログを更新しないと何かあったかと心配してくれる友人の伊倉雅晴さん

2019-11-26 20:18:30 | 友人

先日、駅前でバスを降りたら、ばったりと友人の伊倉雅晴さんと出合いました。 お互いに用事があると云うことで、近くのパン屋さんで204円のコーヒーを飲みながら、久しぶりで話をしました。

開口一番、1週間ブログを更新しないと、私に何かあったかと心配しますよと云うのです。 そろそろ何かあっても不思議ではない年齢になったと云うことでしょうか。

伊倉さんは何時も走っていたのですが、足が痛くなって現在は取りやめており、駅前の30分3000円のストレッチを、月に2回やりに来ていると云います。 ちょっぴり調子が戻って来ていて、私にも勧めてくれました。

私自身は毎朝30分、自分なりに考えたストレッチを続けるようになって、3週間ぐらいは経ったでしょうか。 2、3年ぐらいは何もせず放置して来た、脚の筋肉の付け根部分の痛みも、長い目で見ていて、それなりの時間が必要ではないかと感じております。

伊倉さんの心配を肝に銘じて、出来るだけ筆を取るようにと思うのですが。

 


病気で軽い認知症になって何時も私と一緒に散歩に行くと云っては散歩に出かけてた友人

2019-11-19 02:56:57 | 友人

毎年、暮れになって来ると訃報の葉書が届きます。 私は、その葉書を見ながら一時期一緒に過ごしたことのある方については、直接、自宅に電話をして奥さんに様子を、お伺いします。

中学生の頃に近くに住んでいて、何時も着物の張り板を台にして、ピンポンをして遊んだ友人宅にも、電話をしました。 張り板のピンポンから少し離れたところにあった卓球場に通って、結果的に卓球部に入部したり、一緒に夜間、有り余るエネルギーを発散するように、かなりの距離を走ったりしていました。

高校に入って引っ越しをしてからは、当時の思い出を胸に、遠くから友人のことを考えておりました。 年賀状だけの通信だけでしたが、奥さんも友人から、私のことを聞いていたようで、言葉の端々から感じられました。

大手建設会社の営業で来られていたKさんは、建築の事だけではなく一緒に泊まりがけでゴルフに行ったり、旅行をしたりして過ごしました。 名前を告げて奥さんに電話をすると、◯◯先生ですかと親しげな声が返って来ました。

Kさんは膀胱ガンの手術をした後、少し認知症になったとのことでした。 又その後、誤えん性肺炎になり、水分を飲むと肺に入ってしまうようになったとのことでした。 Kさんはタバコが好きだったからなあと思い出しました。

更に奥さんは、実はKさんは、何時も◯◯先生と一緒に散歩すると云っては、出かけていたと云うのです。 その話を聞いた時に、一緒に過ごした濃密な時間が、Kさんにとっては印象深い体験になったのだろうかと、改めて感じ入ったのでした。

奥さんには、遠くからお祈りをさせて頂きますと云って、電話を切りました。

 

 


Mさんの突然の訃報を聞いて先日 友人と2人でお線香をあげに伺いましたが

2019-09-14 01:54:52 | 友人

30年以上前に縁があって、建物の計画をさせて頂いた方が、突然 亡くなったと云う訃報が入り、びっくりして先日 改めて友人と、お線香をあげにお伺いしました。

奥さんとお茶を頂きながらご主人の話を聞きました。 2年前から体調が思わしくないので検診したところ、すい臓がんであることが分かりましたが、摘出する手術が難しいと云うことで、抗ガン剤の治療を行ったとのこと。

然し乍ら体力がなくなり抗ガン剤の治療も難しくなると、緩和ケアを受けるようになりました。 ここ2ヶ月間は自宅で療養生活をするようになり、3人の子供たちも巣立ち、2人だけの濃密な生活を送ることになったと云います。

昔と変わらぬ居間に置いてある大きなテーブルの前で、以前と殆ど変わらぬ態度で接して頂いた奥さんに、「久しぶりでお会いしましたけれど、ぜんぜん変わってはいませんね」と話をしながら、自分たちの近況を伝えながら思わず笑いをもたらしました、

別れ際に奥さんから20年関わっていると云う、俳句の小冊子を頂きました。 その中にはご自身がご主人との闘病生活の報告と、流れ星 と云うタイトルでいくつかの俳句が並んでおりました。 

俳句の内容もご主人のことを思いながら作ったもののようでした。 改めてご冥福を祈ります。

Mさんが話してくれた、息子さんが教えもしないのにパソコンを使いこなしてしまう と云う話を聞いて、私はそれまでパソコンは縁がないものと思っておりましたが、それを契機にパソコンをいじり始めたのです。

子供は繰り返しやりながら、自然と覚えていくと云うことを、自分たちが子供の時に遊んだ「メンコ」や「ビー玉」遊びを思い出したのです。


バスケの富樫勇樹さんが1億円プレイヤーになったと云う記事を見て北園高校での級友を思い出し

2019-06-05 05:23:45 | 友人

昨日はバスケットボールBリーグで活躍する千葉の富樫勇樹さんが、1億円プレイヤーになったと云う記事を見て、北園高校で活躍した級友の武井宏くんを思い出し、現在のような状況が当時にあったなら、活躍したであろうと思っておりました。

すると夕方になって級友のくんちゃんから同期会の「いっちょん会」のお誘いの電話があり、その中で級友の武井くんが亡くなったと云う話を聞いたのです。

びっくりして直ぐに武井くんの自宅に電話をして、奥さんにお聞きしました。 バスケのOB会で会った時には何も話してはくれませんでしたが、肝臓が悪い人の特徴として、ちょっと黒っぽい顔色ではあったので、それとなく心配はしておりました。

武井くんは身長も富樫さんと同じぐらいで、活躍できたのではないかと想像できます。 北園高校から早稲田大学に進学し、卒業後は東京成徳学園に教師として入りながら、成徳をバスケットボールのインターハイの常連校にするまでのコーチ・監督として活躍しました。

奥さんから病状の話などを聞いた後で、やはりバスケットボール部で一緒に過ごした仙台に住むUくんと、十条に住むEくんに電話をしました。


何時も喫茶店で会う方からケントのジーンズ等6本を貰ったと話す友人

2019-05-07 08:19:11 | 友人

1ヶ月に1回ぐらいお誘いを受けて、ご自宅に小豆アイスと果物をもって、日曜日の夜にお伺いして、様々な話題について話す友人がおります。

自分が興味あることがあると徹底して調べ、研究をされて来られたことを、今までの話の中で聞いておりました。 元々は親の勧めで日大に理工学部に入学しながらも、自分には合わないと決めて、江古田にある芸術学部の授業を受けていて、親からは云うことが訊けないのなら、授業料の送金を止めるとまで云われたそうです。

その後の話は聞けてはおりませんが、荒川の土手で昼寝をして目が覚めたら、電信柱の求人募集を見て、そこに就職したと聞いております。 その会社が舞台製作の会社で、長く勤めることになり、演劇界の演出者や演技者との交流が始まったのです。

私が興味を持ったのは、そのような忙しい生活の中で、ブナの栽培に興味を抱き、山梨方面でブナの盆栽を手がけている方がいると聴いて、住所も分からないのに大月から河口湖まで歩いて探し当て、詳細な話を聞いて自分自身でも苗木をもらって来て育てたと云うことです。

その方から御殿場にもブナの盆栽をやっている方がいると聞いて、住所も分からないのに御殿場の駅を降りて探し、その方と出会ってその方の著書をもらって帰ったと云うことです。

話は更に色々とありますが、時々行く喫茶店で出会う元都庁で働いていたであろう二人組と話す機会があり、その方の1人からケントのジーンズ等6本とジャンパーを、先日もらったと云うことで、先日の日曜日にお伺いした時に、青色や軍隊色のジーンズを目のまで履いて見せてくれました。

胴回りも股下も長さもぴったりで、自分自身でもびっくりしおりました。 友人は自分でも何かと不思議な力が働いて、自分が考えているように物事が動いてくれると話しておりました。

友人の一生懸命に取り組む姿勢が自然と、良い方向に進んでいくような気が致します。 


舞台製作を長くやって来られた方と時々お話をする機会があるのですが

2019-04-22 03:29:27 | 友人

親の勧めで日大の理工学部に入学しながら、自分には似合わないとして、江古田にあった芸術学部の授業に潜り込んで勉強し、真面に理工学部の勉強をしないのならば、授業料の送金をストップすると云われた方と、何となく話す機会が増えました。

きっかけは草取りを行なっている時に、植栽のことについて話したことであったと記憶しておりますが。 舞台製作を長い間、行うことになったのは、川縁でうたた寝をしていて目覚めたところで、電信柱に貼り付けてあった広告でした。

当時、大学を卒業したかどうかの話は途切れてしまっていますが、その時に見た募集看板に応募する形で、舞台製作の道に入られたのです。 北園高校の時のクラスメートであった吉田日出子さんや、同じ演劇部にいた加藤くん(江守徹)の話を話をしたら、舞台製作を通して俳優座の方たちとも知己があると云うことでした。

それ以来、私の知らない演劇界のことを話してくれるようになったのです。 またブナの盆栽のことに関心を持つようになってから、山梨の方面で実際に盆栽を作っていると聞いて、大月から河口湖に向かって歩き、盆栽の達人とで会ったことや、そこで聞いた御殿場でもおられると云う話で、何処にいるかもわからないのに、御殿場に飛んでいって何とか見つかって、話を聴いて来たとか、自分に関心があることには徹底して取り組むと云う姿勢が、生活に溢れている方なのです。

何時も話をする時には、ご自宅にあずきのアイスキャンデーと果物を持って行くのですが、友人はサンドイッチと牛乳とコーヒー牛乳を用意して、待っていてくれます。

住宅の建て替え問題があった時には、私が入院してちょっと疲れ切っている時に、見舞い方々、4日連続で私の話を聞きに来られました。 その時以来、建て替え問題を議題にして何回も話し合う機会が増えました。

友人は建て替えに伴う模型も作り、実際に建て替えを行った橋本駅前のタワーマンションに行って、そこに住む方々の意見を聞いたり、松が谷で建て替えを行って売り出し中の所へ何度も足を運び、自分なりに勉強をし、私に考え方を話してもくれました。

昨日は永山で公団の賃貸住宅で施工されている5建てのエレベーター設置工事に関心があり、何度も足を運び、その工事の様子をスケッチして、話をしてくれました。

階段型の住宅でエレベーターが止まる階は、地上階と2.5階と4.5階の3箇所になると、詳細に描き込んだスケッチを見せながら、説明をしてくれました。

友人は、ひとりの人間として、とても魅力的な方です。 楽しいひと時をありがとうございますと云って、3時間近く過ごさせて頂いた家を、お暇致しました。

 


黒門小の級友5人と上野広小路の居酒屋で会食して

2019-04-06 02:19:23 | 友人

先日、忙しい最中に黒門小の級友からの呼びかけで、上野広小路の居酒屋「極み」に行ってきました。 午前中に多摩南部地域病院の眼科で、加齢性黄斑変性症の治療で手術室に入り、眼に注射をした後、待ち合わせ時間に間に合うように、小田急に乗って湯島に向かいました。

湯島まで急行で直通でいけると思っていたら、ダイヤ改正で直通の電車がなく、急行に乗った途端に新宿行きとのアナウンスで飛び降りてしまい、結局30分の遅刻でした。

遅まきながら金目鯛の煮物をつまみに、ロックにして日本酒を呑みながら、久しぶりの級友たちとの会話を楽しみました。

前立腺ガンで摘出手術をした友人がいたもので、もっぱら小水の出方がちょろちょろだとか、奮い立たせる神経が無くなってしまって、性欲の方はどうなっているかなどと、ちょっぴり性を意識する会話で、盛り上がりました。

抗ガン剤の治療を受けながらも、何時も前向きな姿勢を崩さない友人もおり、短時間の会食でしたが、楽しいひと時を過ごすことが出来ました。

会食の制限時間が来て、黒門小学校に隣接する喫茶店に5人は向かいました。 私は残念ながら何かと作業が残っておりましたので、急いで多摩センターに戻ったのですが。


年賀状の返信を手紙で送ってくれた方が2人いて

2019-01-15 04:07:53 | 友人

30数年前に設計した方から、嬉しいお手紙を頂きました。 これまでは年賀ハガキで返信があったのですが、今回は手紙で2枚、長男の方と次男の方の様子を、また現在一緒に住む長女夫婦のことを表しておりました。

また日常的な医者通いのこともある、細やかに表現して文章の終わりに、私と出会って良かったとも書いてあり、近くに来た時には是非寄って欲しいと、電話番号まで記されておりました。

このSさんは、三越の家具売り場にこれから家を新しくすると云って、その時に対応した友人からの紹介で、家づくりのお手伝いをさせて頂いた方でした。 近くには黒門小学校の級友も住み、またその駅前でも、その後マンションの計画もされており、現在も新しい計画で近くまで打合せに行っております。

是非、近い内にお伺いしようと思いました。

もう1人の方は、昨年愛するご婦人が天に還った方からでした。 大手のゼネコンの営業で来られていた方で、同じ多摩センターに住み、なおかつ私が通った北園高校から近くにあったS高校の卒業生でした。 然も同じ年齢でした。

友人に拠ればS高校は校長先生が素晴らしい方で、現在では進学校としてそれなりの名を馳せておりますが、昔は余り評判は良くなかったのです。 友人は勤めてからも校長先生と交友があり、仲人もして頂いた話も聞いておりました。

私は仕事を通して知り合った方でも、何か縁があったと感じ、長く友人として親しくさせております。 奥さんのことも血圧が高いと云うことも、どれほど高かったかも聞いておりました。

友人は納骨の時期が来ても奥さんに対する思いが募り、自分のそばに今でも骨壷を置いていて、胸も痛み涙が出て来てしまうと、手紙に書いてありました。 私も昨年末に天に還っていった弟のことを、ふと思い出すと胸が痛くなりますので、友人の痛みも理解できます。

新年に入って、心の籠もったお手紙を頂き、私の心を深く揺さぶってくれました。