ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

絶頂期の時の夢を見た友人が待ち構えていて

2015-06-30 08:16:09 | 友人
今朝一番で、駅まで息子を送って行った帰りに、待ち構えるようにして話しかけて来た上階の方に住む友人が、実は夜中にとても良い夢を見たんですよと云うのです。

何故、そんな良い、嬉しい夢を見たかということも、話してくれました。 どんな夢かというと、自分の絶頂期に飲み歩いて、いつも勘定は自分がするのだそうですが、気がついてみると、皆はおらずカウンター越しにお店のママさんがいるだけという夢だったそうです。

滅多にそのような夢を見ることもなく、そんな夢を見たのは、昨日にあったことが原因ではないかというのです。 昨日、私が友人と話していて、友人と話をすることが嬉しいし、楽しいということが、どうも心に響いたようです。

もうひとつ、鉢植えの山吹を移植してほしいと云われていたご婦人との話のやり取りの中で、芝生地の雑草の件で、自分がこれだけは繁殖力が強いので、根っこから採ってほしいと思っていた雑草を、自分が云わなくても自ら採っていて、ほかの方にも呼びかけていたということが分かって、そのことがとても自分の心に響いたというのです。

そのことが結果的に、素晴らしい夢に繋がったというのです。 従がって、今日は、その喜びをかみ締めるためにも、奥多摩か高尾山に登って、改めて感慨を新たかにしたいという話でした。

更に、先日、実際に実現はしなかった「くじらの博物館」の計画スケッチも、見せたいといことで、早速そのスケッチを見せていただきました。 友人は、舞台製作を行って来た者としては、失敗作なので一切見せたくないと云っておられたのです。 余程、嬉しかったに違いありません。

ひとことの言葉の大切さを、改めて感じさせてくれた朝でした。

子供の頃に心理学を勉強しようと思ったことがありますが

2015-06-29 05:40:48 | 自分
人の思っていることがわかったら良いなあ との思いから、将来、心理学を勉強しようと思ったことがあります。

然しながら、ある時期、心理学者のフロイトの本を覗いて見たら、学問的な記述を見て私には無理だと分かって、そちらの方面に進むのはやめました。

私は一つの問題を突き詰めて研究するようなことは苦手で、どちらかというと 物事を感覚的に捉えてしまう脳の構造に、出来上がってしまったようです。

父は、技術者タイプでコツコツと、積み上げていく人であったように感じます。
 母は勝ち気で、若い頃は硬派で番を張り、同年輩の女性たちを引き連れて、街中を歩いていたようです。

娘が生まれた頃に、京都に住む母の当時の子分と思われる方が、母のところに遊びに来ていた時の雰囲気を見ると、母に偉そうにされることを、喜んでいるように感じました。

そんな父母の元で育った私ですので、アカデミックには育つはずはありません。 
心理学の学問的なことは分からなくても、人と話すことが好きですし、人との出会いを大切にしております。

人との出会いを大切にしたいので、何時も真面目でいたいと思っております。  余り堅くならずに自然体で。

CSKで作られたトマトを友人が届けてくれましたが

2015-06-28 02:41:31 | 食べ物
 多摩センターの北側の山の上で、ガラス張りの建物を建てて、野菜や果物を作っているというIT企業のCSKのトマト、フルテイカという名前のものを、親しくしている友人が届けてくれました。

 40年ほど前に消費生活協同組合を通して、北海道の遠軽や秋田の雄勝、山形、静岡の生産者の方々と、顔を見える関係で消費者と生産者の関係を作ろうということを、考えていたときには、大きな企業が工場での野菜や果物の生産を否定してきたのです。

 生産者のビニールハウスは肯定されて、大企業の大きなガラス張りの農産物の生産工場は、否定されても、よいのでしょうか。

 友人が届けてくれたトマトを食べながら、改めて考えることになりました。

初めて気配を感じたのは半身浴での背中でした

2015-06-27 05:36:58 | 
私が生まれて初めて、気ー気配というものを感じたのは、半身浴をしている最中でした。 
 
座禅を始める1年ぐらい前から、知人に半身浴のことを聞いた、その日からカラスの行水を止め、ひたすら汗をかくまで、臍のちょっと上ぐらいに湯面がくるようにして、入浴しました。

何時の時点で背中で気配を感じたかは、覚えてはおりませんが、背中が冷やっとしたことだけは、記憶に残っております。

後で考えると 背中にある侠脊関(きょうせきかんー気の溜まる場所)が活性化したのです。

半身浴は 下腹の臍下丹田を温めることによって 気が動きやすくなるのでしょう。

半身浴は汗をかくことで新陳代謝が良くなるのですが

2015-06-25 03:21:05 | 健康づくり
 親しくしている友人には、私が半身浴を始めた17年前から、その効用について話しております。 先日も毎日汗をかくという意味では、半身浴が一番いいですよ。 運動をしなくても汗はかけるんですからと。

 友人がシャワーで済ませた話しをするたびに、半身浴の話しをしてきたのですが、先日はっきりしたことは友人は半身浴のことをうろ覚えで、汗が出なかった為に実践をしていなかったということです。 湯船で数独を行うときには、汗をかくようですが。
 何時も身近にいて、よくわかっていると思っていたのに、とても寂しい感じがしました。

 ものの本には、半身浴は低めの湯の温度が良いと書かれていますが、私は自分の好きな温度で良いと思っております。 半身浴を行って、汗が出ないのでは意味がありませんので。

 湯面から出た上半身が、汗でびっしょりになるまで入ります。 汗をかくということは、新陳代謝が良くなり血行が良くなります。 更に自分では分からないでしょうが、普段は眠っている細胞までも活性化します。

 どうか毎日入るお風呂の入り方ひとつで、健康が保てるのです。 かくいう私は半身浴を始める前は、カラスの行水でした。 知人から半身浴のことを聞いたその日の夜から始めて以来、首まで浸かることはありません。

寒天茶房 遊夢へお昼ご飯を食べに行く

2015-06-24 07:50:04 | 食べ物
 豊ヶ丘4丁目の近くにある寒天茶房 夢遊に、ひさしぶりで親しくしている友人と、お昼ご飯を食べに行って来ました。 このお店は、NPO法人草むらの会が運営するお店です。

 精神障害者をサポートするNPOですが、強度ではない方々をサポートしながら、活動をされています。 そのお店では、昨日は600円の日替わり定食を頂きましたが、自分たちの農園で作った食材を中心に、温かいもてなしの心が現れている食べ物を提供していて、お昼時間になると近くに勤める方々で、一杯になります。

 初めて来た友人も喜んで、また食べに来たいと話しておりました。 デザートを頼むと、一般のお店では付かないような、紫蘇の実も付く心配りがあります。

 楽しいお昼ご飯で、また友人を誘って、ガストでミルクイチゴかき氷を食べながら、色々な話題で話をする事になりました。

お父さんが夢の中で月に1回現れる友人がおられますが

2015-06-23 16:24:03 | 自然
 朝歩きで知り合ってから、何かにつけて相談ごとに乗るようになってから、最近では月に2回ほど、お昼ご飯を食べながら、おしゃべりをするご婦人がおります。

 先日、ご飯の後でお茶を飲みながら。最近になって夢の中で、お父さんが現れ、大丈夫かと心配そうに声をかけて来られると言うのです。

 友人は10数年前にご主人を亡くし、子どもと愛知県から東京に出て来られました。 然しながらご主人のことが原因で、子どもとの仲がよくなく、時により暴力沙汰になることがありました。

 一緒に人権擁護委員のところに、相談に行ったりしたことがありましたが、地域包括センターに相談する中で、一人住まいをすることになりました。

 私は、友人には、お父さんは、貴方のことが心配なので出て来られるのではありませんか。 場合によっては、心配しないで結構ですよと、答えたらどうですかと話しております。

 友人は私と話すのを楽しみにしているようで、話す声が小さく聴こえにくいのですが、顔を近づけて話を聴くことにしております。

 私の姉にも、一時期、亡くなった父が面前に現れ、私に電話がかかってきたことがあります。 そのときにも、丁度、姉は用事が出来て49日の法要には、参加出来なかった時期です。 従がって、改めてお墓参りに行って、心配しないようにお祈りをして来られたらどうですかと、答えたことがあります。 姉の場合は、お参りした後は、父は現れなかったようです。

 女性は何かを感じやすいものを持っているのでしょうか。

クラス会の出欠席はどこで決まるのか

2015-06-22 05:59:09 | 友人
 私は、クラス会の連絡は、黒門小学校、北園高校、横浜国大建築学科の幹事からあります。 小学校は6年間、一緒のクラスでしたので親しみがあります。 ましてや付属の幼稚園に2年間いましたので、8年間のお付き合いがある方もおられます。

 堀船中学校からは一度も、連絡はありません。 引越しをしてしまったこともありますが。 1、2年は一緒のクラスでしたが、3年の時には別々になりました。

 北園高校はクラス会というよりは同期会になっています。 男300人女100人の男子系の進学校でした。 幹事より連絡はありますが、時々気が向いたら出席する雰囲気です。 1,2年は一緒のクラスでしたが、3年は変わりました。 バスケット部のOB会には、出来るだけ出席するように心がけています。

 大学は1学年35人の定員でしたが、実際の新入生は30人前後ではなかったかと、記憶しております。 4年間一緒に過ごしたのですが、私は建築デザインの考え方がまとまらず留年をし、なおかつ必要単位を取得できずに、6年間在籍しました。

 3年間は一緒に授業を受けたり、休校時には学校の近くで麻雀をやったりしていましたので、クラス会の連絡があれば、出席するようにしています。 建築デザインでものの考え方が、まちまちながら楽しいことが好きな連中が、多いということかもしれません。

 卒業後に就職した入江三宅設計事務所のOB会には、連絡があれば出席するようにしております。 長い間、退職してからは一度も事務所へ行ってはいなかったのですが、たまたま2、3年ぐらい前に行く機会がありました。 その時には、役職についた後輩たちの顔を見るぐらいで、事務所の内部までは見ることはありませんでした。

 クラス会の存在は、世話人の存在が欠かせません。 黒門小学校では1学年3クラスあったのですが、唯一私たちのクラスだけが、継続的に行われているようです。 歴代の世話役さんに感謝するのもです。

60年ぶりで黒門小学校の中へ入って来ました

2015-06-20 06:25:41 | 社会・経済
 黒門小学校のクラス会である柿の実会は、2年に1度は行われています。 昨年の6月に、永田町のうなぎ割烹の伊豆栄で行われて、その反省会のおりに、先生方も90歳を超えて歩くのがしんどくなって来たので、また今年を先生をお呼びしてのクラス会は、最後にしようということで分かれました。

 伊豆栄の娘の敦ちゃんが、篤姫が放映されたときに上野寛永寺に集まって、事務長さんから色々話を聴いたように、今度は新しくなった上野の水上動物園に集まらないかとの提案があり、幹事としても、どのように考えるべきか検討してきました。 

 私は、小学校を卒業してからも、度々、黒門小学校の校舎の中で追いかけっこをしている夢を見てきた経緯もあり、一度校舎を見学したいと考え、昨日、下町のご隠居の松尾澄夫くん、鎌倉に住む研究者タイプの岩本明人くん、松戸に住む英語が堪能な社交的な山崎省三くんと、4人でどんなことが出来るか、副校長先生とお会いしてきました。

 黒門では月に一度、学校開放日があり、出来ればその日にクラスの人が集って、生徒さんたちと交流が出来ればよいかなあとの提案を、副校長先生に行いました。

 私たちのクラス会は、強力な地元に住む女子会の存在があり、その女性たちの意見を聞く必要があります。 とりあえず、その辺のニュアンスを含めながら、話を進めさせていただきました。

 その後、学校内を案内していただきましたが、講堂以外は、校舎はそのままで、廊下の腰板もペンキが塗られていた程度でした。 副校長先生に内部をきれいに改装されたらどうですかと話したところ、父兄の総意は、そのままがよいとのことでした。 

 その意味では、60年前とは何ら変わってはいなかったのです。 講堂は、1階が講堂、2階が体育館、3階は天井が開閉式のプールに改築されていました。

 ひさし振りで、黒門小学校の雰囲気を楽しみ、秋のクラス会の進展がどうなるのでしょうか、そんな思いを抱きながら、家に戻りました。

俳優の榎木孝明さんが30日間食べないで過ごしたと云う

2015-06-19 00:57:06 | 
 昨日、俳優の榎木孝明さんが、30日間食事を摂取しないで過ごしたということで、テレビ放映がありました。 水と少しの糖分の入った水は、飲んだけれど。 榎木さんの映像を観ると、以前よりは痩せた感じはするものの、元気そうな姿でした。

 以前に70年間、飲まず食わずで過ごしたとというヨガの行者が紹介され、インド政府が24時間監視の元に、それが本当であるかを調べるという記事が出ていました。 その後、どうなったのかをネットで検索したところ、事実であったということです。

 行者の場合は、15日間の実験中、食べ物を一切口にせず、水にさわったのは、お風呂に入るときとうがいをするときだけでした。 そのうえオシッコもウンチもしなかったという。

 そんなことを思いながら、改めて私たちは古代には、無尽蔵に存在するといわれている、宇宙の気を摂取しながら生きていたのではないかと、感じたのです。

 私自身も雑菌の溜まり場であるS状結腸と、無菌状態の膀胱が繋がってしまったので(前立腺の生体採取検査で)、食べないで生活することに挑戦してみようと思うのですが、食欲という欲を捨てきれずに、なかなか実践出来ないでいます。

 長く吐く呼吸、吐く息を体の中へ吐く呼吸を続けることによって、下腹にある臍下丹田が活性化し、お母さんのお腹の中にいたときに行っていた胎息という、気の呼吸が出来るようになれば、榎木さんのこともインドの行者のことも、理解できるのですが。