私の友人と出会って、改めて考えさせられることがあります。 いつも何かを楽しもうとしている姿を、表しているのです。
大学の級友の加藤三尋君と、研究室の先輩の宮下博さんです。 加藤君は、いつもどうやって皆に楽しんでもらおうかと、笑顔で企画し。その姿を素直に表現しています。
宮下さんは、いつもニコニコして、今からでもいつでも楽しむぞというものを、顔や体全体で満ち溢れています。 勿論、自分だけでなく加藤君同様に、皆にどのように楽しんでもらおうかと、目もランランと輝いています。
私も呼吸法を伴いながら静かに座禅を行なっていることが、楽しく感じているのですが、改めて友人たちの立ち振る舞いを省みて、何ごとも楽しむ感覚を持つほうが良いのではないかと、思うのです。
経文の中には、否定的な言葉が並んでいるようですが、本来的な意味は、そのようなものはないのではないかと、感じてはいるのですが、私には相に合わない感じがします。
ただ座っているだけが楽しいのですから、日中は動きがあるのですから、これ以上喜びはありません。 否定的な考え方を持つよりも、肯定的な考えを持って生活をしたほうが、より楽しくなるのではないかとも思うのですが。