ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

黒門小学校で学んだ米田健治先生 柿沼正悦先生のこと

2015-07-31 03:38:31 | 健康づくり
 4年生から6年生まで学んだ柿沼先生の思い出は、朝と帰る時に必ず歌を歌ったことです。 ひとつは 心に太陽を持て という歌でした。 また授業で鉱石ラジオを作ったことも、記憶に残っています。 先生は技術者のように振る舞い、真空管でテレビを作り上げ、私たちにその映像を見せてくれました。 テレビが、まだ普及していない時代でしたので、とても新鮮な感じがしたものです。

 先生からは卒業時に送られた言葉 鶏口となるも牛尾となるなかれ という言葉が、何時も何かの時に思い出されました。

 3年生の時に学んだ米田健治先生は、作文をよく書いた記憶があります。 熱血先生の雰囲気があり、時々ピンタやゲンコツがあったようにも思います。 

 私は米田先生の影響からか、長い間、将来は小学校の先生になろうと思ったほどです。 然しながら、中学生の時に見た映画 ゲーリークーパー主演の 摩天楼 の影響を受けて、将来は建築デザインを目指してもよいなあ、とも思ったりしました。

 大学受験は数学科と建築科が合格しましたので、結局、建築デザインを志向したのです。
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人の喜びは我が喜びであることを感得する

2015-07-30 03:21:57 | 健康づくり
 私は、喜ぶ感覚について、本当の真の喜びとは、自分だけが喜ぶのではなく、自分が色々と段取りをして、周りの人が喜ぶ姿を見て、自らも喜ぶのが一番だと思うようになりました。

 自分だけが喜ぶのは、自己満足だけであって、その喜びの大きさは小さいものでは、ないかと感じたのです。 ところが、自分があれこれ動いて、周りの方々に喜んでもらい、その喜ぶ姿を見て自分が喜ぶ方が、その喜びは倍化するということを、感得しました。

 幸いなことに私の周りに、そのようなことを実践されている方が、おられたのです。 改めて、そのことを強く実感出来たのです。
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級友の呼びかけで生まれて初めて座禅 静功を始めましたが

2015-07-28 01:47:13 | 座禅
 大学のクラス会で千葉に住む級友が、私の住む多摩センターで 静功の会に参加するという話を聞きました。 丁度その頃、胸に違和感を感じていて、知り合いの看護士の方に連絡して、何処の病院で診てもらったらよいかなどと、聞いていたところでした。

 足の付け根からカテーテルを入れて、心臓を周辺を検査し治療を行なうというものでした。 気功は体に良い影響を与えるということは、何となく分かっていましたが、何せ1ヶ月の月謝が週1回で24000円で、入会金も1か月分必要とのこと。

 経済的に余裕はないものの、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、やってみようと思い参加することにしました。 ただ真っ暗闇の中で、静かに1時間、胡坐を組んで座り続けるという静功でした。 

 その教室は、中国からの留学生(早大)が指導者として、どのようにイメージして静かに座るのか、どちらかというと意念派と呼ばれる静功の会でした。

 ところが、私はどうしたことか、先生の云うことに関係なく、ただひたすら静寂の中で、深呼吸の要領で大きく息を吸い、出来るだけ長く吐く呼吸を行っていたのです。

 幸か不幸か、その呼吸法のおかげでか、終了の1時間になる前に、頭のてっぺんにある百会(当時は何が何だか分かりませんでしたが)が活性化し、電子の輪の帽子を被ったような感じに、なったのです。

 あれ、と思いながら、それがきっかけで、毎日、寝る前に半身浴でお風呂に入った後で、1時間部屋を真っ暗にして、深呼吸の要領で大きく息を吸い、出来るだけ長く吐く呼吸を行っていました。 勿論、昼間もちょっとした時間を使って、軽く目を瞑って、長く吐く呼吸、吐く息を体の中へ吐く呼吸を行っていました。

 電車の中やバスの中、事務所の机に向かって椅子に座り、また葬儀で弔辞を聞きながらも、立ち姿で長く吐く呼吸を行っていました。

 そんなある日(1ヶ月半)のこと、いつものように静かに長く吐く呼吸を行っていると、突然、自発動(体の気が勝手に動くさま)という形で、下腹の臍下丹田が活性化し、心臓のように鼓動を始めたのでした。

 年がら年中、体の中を循環する気が脳を刺激するもので、ちょっと鬱陶しいなあという感じがしたのですが、そうか、こうなったのも人のために何かをしなさいと云っているのなだあと思うことによって、その鬱陶しさも気にならなくなったのです。 それ以来、15、6年が過ぎようとしています。

 結局、参加した静功の会は、3ヶ月で辞めたのでした。
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経済的に豊かでなくとも精神的には豊かになれると思って

2015-07-27 03:57:29 | 健康づくり
 設計事務所を辞めて独立して、事務所を始めようとしたときに、ふと学生時代に、設計課題で面白いデザインを提案していた友人のことを、思い出しました。

 友人は藤沢からパブリカという車に乗って、通学していました。 その級友は多分、裕福な家庭で育ったので経済的には豊かであったのだろう。 従って精神的にも豊かなので、面白いデザインが出来るのだろうと考えました。

 自宅を事務所にして設計事務所を設立したものの、前の事務所で出会った人たちとの接触を一切せずに、ゼロから出発しようと心に決めていました。 従って仕事は直ぐにあるものではありません。

 そこで私は、それまで片腕偏重型のスポーツとして、あえて行って来なかったテニスを始めることにしました。 幸いなことに市営のコートがすぐ近くにあったからです。

 毎朝、雨が降らない限り、6時から9時頃まで自営で仕事をされていた友人と、自分たちで練習メニューを作り、ヘトヘトになるまでテニスに夢中になりました。

 当然、家に帰っても直ぐには仕事をする事も出来ず、一休みをしてから構想を練っていました。 連れ合いからは、仕事もしないで朝からテニスばかりやって、と云われていましたが、いつの日にか私の考えを伝えようとは、思っていました。

 不思議なことに、経済的に豊かでなくとも、精神的に豊かに過ごしていると、そのような姿が自然と表れるようで、その後、第1番目のスポーツクラブの企画、設計の仕事を、創りあげることが出来ました。

 私は、それ以来、少しずつ仕事を増やし続けることが出来たのです。 多くの理解者と支援者のお陰で。
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畳のダニから出会いが始まり多くを学ぶ

2015-07-26 00:18:34 | 社会・経済
 昭和47年に、多摩ニュータウンの第2次入居として、清瀬から引っ越して来ました。 ちょうど娘が1歳になったばかりの時でした。

 娘が毎日飲む牛乳を購入するために、共同購入型のタマもある消費生活協同組合に入会したのは、ごく自然のことでした。 5月の梅雨時になって、組合の食材を配達する専従の方から、畳からダニが出ていませんか。 畳をじっと見つめてみれば、粉を振りかけたような小さいものが動いているはずです、というのです。

 そんなある朝、畳に顔を近づけて縁を見てみました。 すると何かが動いているではありませんか。 びっくりして早速、2階のお宅を訪ねて行きました。 いえ我が家には畳からのダニはいませんよとの答え。 では念の為に一緒に畳の縁をみてみましょうと、見てみると、いるではありませんか。

 結局その日は2人で会社を休み、30軒の家を訪ねて調べることにしました。 結局30軒全ての家にダニは見つかり、その内1軒は家具がダニで小麦粉をまぶしたように、真っ白になっていたということを聞きました。 それがきっかけになって、地域のダニ対策委員会が出来ることになり、2階の井上さんが委員長で、私が事務局をすることになったのです。

 どちらかというとノンポリであった私は、住民運動を行うことになったのです。 ヨチヨチ歩きの娘が、床に落ちたものを舐めてしまう状況の中で、畳から湧き出るダニに我慢がならなかったのです。

 結果的に多くの方々とも知り合い、協同組合の理事や理事長を経験することになったのです。 また建物を計画建設するということではなく、地域社会を作っていくという仕事に、関心を持つことになりました。
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自分の将来を決定付けるものは何だったのだろうか-2

2015-07-25 05:44:31 | 社会・経済
 中学校の頃に観た映画、ゲーリークーパー主演の「摩天楼」は、私には強烈な印象を与えてくれました。 うろ覚えながら、クーパーの思うように造られていなかった建物を、爆破してしまうという物語でした。

 当時、そんなことがあるのかなあという程度の記憶でしたが、何となく、それ以来、将来、建築家を目指そうとしたのです。

 それまでは、小学校3年のときに習った米田健治先生の影響もあり、小学校の先生も志向していたのです。

 高校3年間は、バスケットボール一筋でしたので、一浪して大塚予備校に通い、その時に出会った数学の田制先生の影響もあり、大学受験は、数学科と建築科にしました。 結果的に数学科も受かったのですが、横浜国大の建築科に行くことにしました。

 建築科が合格していなかったら、数学科に進み、小学校の先生になっていたかも知れません。 数学の真理の探究をしながら。
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久しぶりで懇親会で飲酒をしましたが

2015-07-24 02:41:32 | 社会・経済
 昨日は多摩センター駅前の建物ができて以来、毎年この季節になると、オーナーが関係者に集まって頂いて、懇親会を開いてくれます。 居酒屋 くまの路で行われました。

 私のお膳の前にも一人前のつまみが、並べられておりましたが、それは全て隣り合わせた友人たちの口に入りました。 特別に作ってくれたおでんのスープをすすりながら、水で薄めた焼酎を飲むことになりました。

 何時もはお喋りも活発で、場を盛り上げるのが好きなのですが、自分でも一寸おとなしかったかなと思うほど、静かであったようです。 帰りがけに親しくしている店のご主人が、手を握ってくれたほどです。

 何時もは二次会で、近くのスナック 悠 へ行くのですが、それも取りやめ、早々と家に帰ることとなりました。

 久しぶりの飲酒でしたが、何時もと違う私の様子を見て、友人たちは面食らったかも知れません。
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自分の将来を決定付けるものは何だったのだろうか

2015-07-23 10:40:35 | 社会・経済
 自分が育った黒門小学校で、10月17日の学校公開日に寄せて、クラス会を不忍池に面してある東天紅で行うことにしましたが、卒業以来60年振りで学校の教室で、生徒さんたちの交流会を企画しています。

 メインテーマは「黒門小学校と自分」、サブテーマは例えば「そしてこれまでの自分」を、ある学年をグループ分けしてたちが核になって話を5分から10分話してから、生徒さんたちとのデスカッションをしようというものです。

 3次限目の10時40分から11時25分の時間を使って、50人前後の生徒さんたちとの交流を企画しました。 勿論、学校公開日ですので父兄も参観しております。

 学校側との事前打ち合わせを経て、7月中に返事を頂くことにしています。 私自身は10数年前まで、どういう訳か黒門小学校で校内を追いかけっこをしている夢を見ていました。 事前打ち合わせでとりあえず校舎内を案内していただきましたが、昔の印象と殆ど変わっていませんでした。

 副校長先生に、廊下の腰に貼ってあり板に、ペンキだけ塗ってあるのをみて、もう少し綺麗に改装したらどうですかと問いますと、父兄の方々が許さないのだということでした。 卒業生たちが愛着を持っているということを、ひしひしと感じました。

 私は小学校3年次に習った米田健治先生が、何となく好きでした。 1年漢字化習っていないのに、自分の将来を決めるのに大きな影響力を与えてくれました。 そのため一時期、将来は小学校の先生をしようと思ったぐらいです。

 米田先生は、私たちよりも上のクラスを半年間教えたのですが、その綿引クラスのクラス会には、必ず参加されているというのです。 昨年は先生の体調が思わしくなく不参加でしたが、昨秋になって生徒さんたちが15人前後、聖蹟桜ヶ丘にある先生宅に集まったということです。

 何か分かりませんが、生徒たちとの接触を通して、米田先生は私たちの心に響かせるものを、持っているようです。 私の記憶では、ピンタやゲンコツもあったように思うのですが。
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坐骨の痛みから全てが始まったのか

2015-07-22 05:46:30 | 
 2月から事務所の引越しを始め、2月の末から3月の初めにかけて、重い荷物を弟と一緒に持って、新しい事務所へ越して行きました。 

 家から歩いても25分で事務所まで行けますので、毎朝5時半過ぎには歩いて出かけていました。 勿論、昼間も桜並みに木のある乞田川沿いに、多摩センター駅まで歩いて、用事を済ませたりしておりました。

 ごく普通の生活をしていたのですが、朝歩きのときに腰が笑うようになって、それが結果的に歩くのが、しんどくなってきたのです。 4月の末ぐらいからです。

 多分、重い荷物を持ったせいだと感じ、いずれ半年ぐらい経てば治るだろうと思いながら、お医者さんにも行かず自然治癒を待ったのですが、いかんせん、これではまずいと思い、駅前の庄司整形外科で診てもらいました。

 坐骨の筋肉の付け根が炎症を起こしているとの診断。 治すにはストレッチとシップ薬しかないとのこと。 早速シップ薬を貼ることにしました。 現在のところ、ストレッチは行ってはいないものの、少しずつ和らいでは来ています。

 S状結腸と膀胱との孔が、坐骨の痛みと共に、大きくなってきたのです。 ちょっと無理があったのか、下血を引き起こしました。 多摩南部病院の外科の先生と相談の上、1ヶ月間、流動食だけの生活に切り替えました。

 慣れない食生活も、だいぶ慣れてきて、少しは楽しめるようにはなりました。 残念ながら友人たちとの、おしゃべりをしながらのお昼ご飯は、出来ないものの、それなりに一人でお昼の流動食のご飯を、楽しんでいます。

 後は早く、坐骨の痛みから癒え、深夜の1時間の座禅を再開したいと思っています。
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流動食だけの食事を始めて2週間が過ぎましたが

2015-07-20 09:22:54 | 食べ物
 7月4日の朝食を食べて以来、病院でもらう処方箋に基づいて、栄養ドリンクだけの食生活を、1ヶ月続けてみようと思ってはじめたのですが、当初は家族が美味しそうなおかずで、ご飯を食べていると空腹感と刹那さとで、恨めしい感じがしたものです。

 1袋200カロリーのものを毎食2袋飲んで下さい、それでも1200カロリーしかありませんから、ゼリーなどで補給して下さいと、お医者さんから云われてはいたのです。

 ところが、なかなか、同じような味のドリンクを飲むのは、ちょっと大変なのです。 バナナ味、コーヒー味、コーン味、ミルク味の4種類あるものの、いわゆる食事を味わうなどという風流なものは、残念ながらないのです。

 そこで、昆布茶やジュース、最近ではスープや味噌汁を加えて、交互に飲みます。 結構、飲みやすくなってきたところです。 ゼリーやヨーグルトも。 みかんやココナッツの粒は、濾して除外します。

 歯で噛んで出る神液と云われる唾液を伴いながらの食事という訳にはいきませんが、とにかく続けてみるしかありません。 先生からの意見ではなく、私自身の考えで進めているのですから。

 もしかしたら、このままの食生活を続けるかもしれません。 そのような食事でも、楽しみは見つけられるものです。
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