先日、朝のラジオを聴いていたら、経済ジャーナリストの森永卓郎さんが、米国で主流の新古典派経済学について、やさしく説明をしていてくれてました。
それによると、経済学の諸問題を解決するために考えられたのが、新古典派経済学だということです。 その考え方は、自分の利だけを考える考え方ということだそうです。
他の人の幸せを考えるのではなく、自分の利だけを考えるということのようです。 日本の経済学者や官僚が,米国でその新古典派経済学を勉強し、構造改革の名の下に日本でも改革を行い、今の現状を招いたという。
自分だけの幸せを考えればよいので、裕福な人はより裕福に、経済的に厳しい人はより厳しくなるような格差社会を現出してきました。 国際競争力に負けないようにと、社員を減らしハケンを増やし、社員とハケンの割合も2対1までにもなっています。 またここ5年で役員報酬は2倍に増え、株主配当も3倍までに増えてきているといいます。
市場原理主義が当たり前になり、グローバル化の名の下に米国による米国の国際基準を、私達の国に押し付けてきました。 残念ながら、私達の政府は、米国に安全保障や経済の主導権を握られているため、従わざるを得ないような状況になってしまい、日本としての自主独立の考え方が、押しやられてしまったようにも見えます。
世のため人のために、どれだけのことができるかが、とても大切な考え方であると、常々考えている身としては、どうも納得がいかないことばかりではあります。
それによると、経済学の諸問題を解決するために考えられたのが、新古典派経済学だということです。 その考え方は、自分の利だけを考える考え方ということだそうです。
他の人の幸せを考えるのではなく、自分の利だけを考えるということのようです。 日本の経済学者や官僚が,米国でその新古典派経済学を勉強し、構造改革の名の下に日本でも改革を行い、今の現状を招いたという。
自分だけの幸せを考えればよいので、裕福な人はより裕福に、経済的に厳しい人はより厳しくなるような格差社会を現出してきました。 国際競争力に負けないようにと、社員を減らしハケンを増やし、社員とハケンの割合も2対1までにもなっています。 またここ5年で役員報酬は2倍に増え、株主配当も3倍までに増えてきているといいます。
市場原理主義が当たり前になり、グローバル化の名の下に米国による米国の国際基準を、私達の国に押し付けてきました。 残念ながら、私達の政府は、米国に安全保障や経済の主導権を握られているため、従わざるを得ないような状況になってしまい、日本としての自主独立の考え方が、押しやられてしまったようにも見えます。
世のため人のために、どれだけのことができるかが、とても大切な考え方であると、常々考えている身としては、どうも納得がいかないことばかりではあります。