ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

年を越えながら新しい計画を練る

2009-12-31 17:16:07 | 自分
事務所に向かう道でも、駅周辺のお店を除いても、パチンコ屋さん以外はいつもの人通りが見えません。 空を見上げても活動を停止しつつあるせいか、次第に澄んできているようにも見えます。

私はといえば、相変わらず事務所に籠もって、テレビの音を聞きながら頼まれていながら、なかなか手につかなかった計画を、やり始めたところです。 固定資産税の関係で年内に古い建物を解体し、新年に向けて新しい計画を進めようというのが、事業主の考えです。

澄み切った空に夕日が沈み、明日の元旦も同じように、澄み切った空から今度は東側の水平線から、朝日が昇ってくる予感のする天気です。 きっと我が家の夜は、「嵐」の出演する紅白歌合戦にチャンネルを合わせながら、歌姫のスーザンボイル美声を聴いたり、対する男性軍にはポールポッツが、NHKで出演するように企画しているに、違いありません。

そんな予想をしながら、多分早めにお風呂に入って寝てしまい(自然と眠くなるようになっているのです)、また深夜に自然に目が覚めて、新年初の座禅を行っていることでしょう。

恒例の餅つきを終わって

2009-12-30 18:01:47 | 文化
いつも何キロのもち米をつくかは、1年経ってしまうと忘れてしまい、今年は5キロのもち米で、3回つくつもりで出かけていきましたが、結果は2回つくことになりました。 乾燥した無着色の桜海老(友人達は中国産の着色したものを使っていたようですが)を入れ、もう一うすは青さ入りのかき餅を作りました。

 いつも外野でお酒を飲みながら、参加者とおしゃべりしながら、餅つきを眺めるという雰囲気なのですが、今日はソフトボールの監督の指示が厳しく、慣れた手で合いの手で餅つきに参加しても、手の入りが足りないなどど言われたりして、あたふたする場面もありました。

 20年以上は毎年恒例に、12月30日に餅つきを行っている仲間なので、何にもいわなくても何を今するべきかは、全員が分かっているのです。 今年は初めて見る顔の人もいて、参加者が多いこともあって、昨年よりかは段取りよく速やかに、餅つきを終わることが出きました。

 5キロのお餅ですので、限られた方しかお配りすることは出来ませんでしたが、お餅つきが終わって、やっと今年1年も過ごすことが出来たという気持ちになるのです。 年末に入る予定のお金が入りませんでしたので、全ての支払いが出来たわけではありませんが、何とか今年も年は越せそうです。 今は忘れていた1枚の年賀状を書き、郵便ポストに入れて帰るところです。

いつまでも若くはないですよと実感させられた1年でした

2009-12-29 16:19:46 | 文化
今年は事務所で泊り込んでの仕事が多くなり、その合間を縫っては知人との飲み会に参加したりして、その無理が重なった結果か、急性前立腺炎症と目の硝子体剥離がありました。 歳をとってしまったんだあという実感と、もう余り無理が利かなくなっていることを、知った1年でした。

深夜に1時間の座禅を行っているので、多少のことは大丈夫であろうという過信を、招くことになってしまいました。 不老不死という考え方がありますが、余程の節制した生活を送らない限りは、所詮は無理という話でないでしょうか。

座禅のときの呼吸の仕方を、一時的に息を体の中へ吐くようにしておりましたが、改めて肺呼吸を行わない胎息をしながら、もう少し時間を長く行ってもよい時期かなあとも、思っています。 来年といわず、今日の深夜から早速、実践することにしましょう。

私には、いつも年末年始の休みなどというものは、自分で仕事を始めて以来なく、何かしらの仕事をしながら、また、隣室で家族がテレビを見る音を聞きながら、ひとり静かに座禅をやりながら、年を越すことも行ってきました。 

明日は、ソフトボールの仲間と餅つきがあります。 乾燥した桜海老を入れたかき餅や、青海苔が入ったかき餅をつき、親しい方に持っていったりしております。

今年のお歳暮の礼状は

2009-12-28 18:20:48 | 文化
 学生のころから余り寒さを感じませんでしたが、話題のユニクロのヒートテックの下着を買って着てみました。 もかもかと温かさを感じる下着でした。 深く静かに侵攻する新型インフルエンザですが、うがいと手洗いの励行だけは、油断することなく行うように気をつけております。
さて 過日は私どもへのいつも温かいお心遣いをありがとうございました。 

一昨年来の米国で起こった金融不安や景気後退が、私達日本も運命共同体のような雰囲気で後を追い、世の中も色々なものが安くなり、適正価格でものが売れなくなるデフレ傾向が、強くなってきました。 厳しさの中にあっても、友人の中には淡々とマイペースで、生活をされている方もいます。

友人の一人が自分の姓と同じ土地まで出かけて、自分のルーツを探求している方がおります。 伊倉という名の友人です。
 全国のJRの駅を巡る旅をするうちに、最後の駅に九州の肥後伊倉という駅に着きました。 そこの駅に降りて、伊倉神社という名の神社があることが分かり、尋ねていきました。 今では伊倉姓の方はおらず、その伊倉姓の由来を神主さんに聞きました。
 菊池一族の家来として伊倉氏がいたそうですが、後醍醐天皇と足利尊氏との戦いに、天皇側の一員として参加し、静岡県の御殿場付近での戦いで負け、その地域に住むついたそうです。 そんな友人の話を聞いて、自分も先ず父や母のおじいさんやおばあさんのお墓にお参りしながら、親戚の方に色々と話を聞きたくなってきました。

これからもご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

1ヶ月の即入院を覚悟して眼科に診察してもらいましたが

2009-12-27 08:46:12 | 
15,6年前にある日突然、目の中に虫が飛んだような感じになり、当日ゴルフのプレイを断って早速、知り合いの看護婦さんに連絡をとり、急遽、眼科の検診を受けました。 すると網膜剥離ですよ、すぐそのまま入院です、といわれたのです。 結局、翌日手術を行い、頭の両側に砂枕を置き頭が動かないようにして、退院まで25日かかった経験がありました。

 当時、2件の進行中の仕事があり、翌日手術とのことでしたので、すぐに仕事仲間に病室に来てもらい、たまたまいつも仕事の資料を持ち歩いていたので、それを示しながら話が進められました。 上を向いて静かに指定なさいという看護婦さんの指示にもかかわらず。

 25日の早朝、コピーをしていたら突然、目の中に虫が飛んでいるではありませんか。 その日は9時には立川に行き、午後1時には契約で駒込まで行く予定でしたので、すぐには眼科には行けません。

 26日の9時に定期健診している病院に電話連絡したところ、担当の先生がおらず結局、消防署の救急センターの電話番号を教えてもらいました。 隣の駅まえにある大学病院の眼科に行くことになりました。

 もしかしたら、検診を受けたらそのまま入院することもあるという過去の経験から、継続中の仕事の引継ぎなどを、我が娘に頼むべくリストを作り、資料のとりまとめをしたうえで、大学病院に向かいました。

 予約なしですので待つこと2時間以上、先生の検診を受けました。 先生が曰く、網膜剥離ではなく、硝子体の網膜からの剥離ですよ。 老齢化とコラーゲン不足からくるもので、特に問題はありませんということでした。 思わず、ありがとうございました、と何度も頭を下げ感謝の念を表しました。

 余りにも嬉しくて、病院から出ると家に電話をし、ご飯を一緒に食べようと誘ったのですが、もう食べたからと断られたところで、ああ、今日は神楽坂のうなぎや志満金で、大学の研究室の人たちと(先生の家族ともども)、うな重を食べることを思い出し、すぐに電車に乗って神楽坂まで行くことになったのです。 勿論、うな重がおいしかったのは、いうまでもありません。

気が充実して自発動することから分かってきます

2009-12-11 12:21:32 | 逆腹式呼吸
吐く息をできるだけゆっくり吐く呼吸法を続けることによって、もとから体の中にあった経絡(気の通り道)が、改めて通りがよくなり、継続的に呼吸法を続けることにより、更に体の中の気が充実してきます。

息を出来るだけ長く吐こうとしますと、自然と体の中へ息を吐くことにつながります。 結果的にイメージで体の中へ、息を吐くということにもなります。 体の中へ吐いた息は、結果的に宇宙の気が体の中へ入っていきます。

体の中へ吐いた息は、経穴(鍼とか灸のツボー気を調節する弁)から殆んどは出て行きます。 何故、体の中へ吐く逆腹式呼吸が自己免疫力を高めるかは、息を体の中へ吐くことによって、自然とツボの調整をしているからに他なりません。

殆んどは経穴から息(気)は排出されますが、わずかずつではありますが、少しずつ体内に気が貯まってきます。 その貯まっていった気が、いつの日にかその限界を超えて、体の中の気が勝手に動き始めることがあります。 それが自発動とう現象です。

自発動が起きた時の心構えとしては、素直にその動きに従うことです。 そのためにも普段から、自然の動きに任せ、自然の摂理に従う気持ちを、持っていることが大切なのです。 もし自発動の動きに逆らうようなことをしたならば、偏差という気がおかしくなることがありますので、注意が必要です。

自発動が起きた瞬間から、次へのステップが待っています。 いつも呼吸法を楽しむこと、座禅を楽しむ気持ちを持ち続けることが、とても大切なのです。 そのためにも日々の体の微妙な変化を、楽しむ気持ちを持つことが、より重要なのですが。

息を吸うときに自然と下腹は凹み胸は拡がるが空気を吸う感覚がなくなってくる

2009-12-09 07:38:19 | 逆腹式呼吸
胎息は意識を一点に集中することは難しく、日常的な雑念が時々顔を覗かせます。 それに比べて、吐く息をゆっくり吐く呼吸法は、吐く息だけに意識を集中できるため、雑念が沸くことは殆んどありません。

 私が初めて座禅(静功)を行った時に、分からないままに無我夢中で行った胸式肺呼吸で、口を閉じ鼻だけで呼吸し、吐く息だけを出来るだけ長く吐く呼吸法は、長く吐こうとすると、自然と吐く息を体の中へ吐いていました。

 大きく息を吸い、そのときには胸は拡がり下腹は凹みます。 大きく吸った息を今度は、出来だけ長くゆっくりと吐きます。 鼻から息を吐きだすことを一切忘れ、長く吐くことだけに意識を集中します。 息を吐き出しますと、胸は元に戻り下腹も元の状態に戻ります。

 私達が普段行っていた胸式肺呼吸で、吐く息だけをゆっくり吐く行為を通して、吐く息が長く吐こうとするうちに、次第には吐く息が体の中へ入っていきます。 これが自然と逆腹式呼吸に変質していくのです。

 このような呼吸に慣れてきますと、息をすうときに、大きく息を吸うというよりも、自然と下腹は凹み胸が拡がります。 慣れてくればくるほど、息の吸う量が減ってくるのが、分かるはずです。 息を吸うというより宇宙の気を吸う感覚になってくるのです。

吐く息だけに意識を集中できれば雑念は起きることはありません

2009-12-08 07:12:33 | 逆腹式呼吸
最近は座禅の時には、胎息という肺呼吸を伴わない気の呼吸で、1時間胡坐を組んでいます。 体の中を流れる気の動き、特に脳を刺激する強さが時間の経過とともに、優しさを伴ってきて、その度合いで私は時間の目安をつけて、1時間の座禅を終えます。

改めて初心に帰り、体の中へ息をゆっくり吐く逆腹式呼吸を行い始めました。 決して無理することなく、出来るだけ長く息を吐く呼吸を続けますが、吐く息が体の中へ吐くことだけに意識を集中しさえ出来れば、雑念は起こる余地はありません。

ゆっくり息を吐くことだけに意識を集中しますので、不思議とほかの事を考えることが無いのです。 よく日常的な解決しなければならない雑念がいっぱいで、座禅に集中できないという話を聞くことがありますが、吐く息をゆっくり吐くリズムが、まだつかめていないからではないでしょうか。

日常的にゆっくり吐き、体の中へイメージで吐く呼吸を練習し、リズムさえつかめれば、自然と意識は呼吸だけに集中できるはずです。 リズムよく呼吸ができるようになれば、呼吸法も座禅も楽しくなるに違いありません。

息をゆっくり吐きながら「無」のイメージを行う

2009-12-03 15:07:58 | 座禅
 ゼロの概念から「無」のイメージを行います。 今ではコンピューターが「0」か「1」の選択するデジタル化の考え方が一般的ですが、ゼロの概念が考え出された時には、相当の考え方であったらしい。 

 無限に広がる宇宙の中で、自分ひとりがぽつんといるというイメージを行います。 ゼロの概念は、無いのでないのではなく、限りなくないゼロに近づくという考え方を採用します。

 吐く息を出来るだけ長く吐き、決して無理をせずに、吐く息を体の中へイメージで吐いていきます。 吐く息だけに意識を集中します。 このような呼吸法に慣れ、自然にできるようになった段階に、今度は「無」のイメージをしながら、呼吸行います。

 宇宙船から地球を見ます。 テレビや新聞、雑誌で大きな地球の映像を思い出しながら、茶色の大地、大きく広がる青い海、ところどころに見える白い雲が見えます。 地球の背後は暗く真っ黒です。

 イメージで、大きく見えた地球から離れていきます。 大きく見えた地球が、次第に輪郭を現し、バスケットボールの大きさに見えてきます。 更に離れていきますと、ソフトボールの大きさに見えます。更に離れていきますと、ピンポン玉の大きさになりました。 更に離れていきますと、点にしか見えなくなってきます。 更に離れていきますともう何も見えなくなり、気がついてみると広大な宇宙に、自分ひとりがぽつんといることに、気がつきます。

 このようなイメージを、吐く息をゆっくり吐きながら行っていきますと、この時点で耳がキーンとなってきます。 これが「無」のイメージの呼吸法です。 きっと何かを感じるはずです

息をゆっくり吐きながら光のイメージを行う

2009-12-02 19:59:47 | 座禅
 息を出来るだけ長く吐きながら、光のイメージを行う。 光のイメージを行うと、独特の体への微妙な変化を与えることから、光には何かを感じさせます。

 決して無理をせずに、出来るだけ長く息を吐きます。 体の中へ吐く呼吸に慣れたならば、今度は光のイメージを行いながら、座禅を行います。 

 冬場の水平線から出てくる朝日の感覚を目に焼き付けておきます。 穏やかな温かい光を、全身に浴びるようなイメージを行います。 とても気持ちよく感じます。 その光の放射を浴びながら、今度は自分自身が光の輪の中に入り、とても気持ちがよくなります。

 しばらくその気持ちよさが続いた後、今度は光とともに自らも光り輝くように、イメージします。 そのとき、体に簿妙な変化を感じることになります。 光は何かが違うという感覚になるはずです。

 
肩の力を抜きリラックッスし(調身)、舌を上の歯の付け根にそっと付けながら、吐く息を出来るだけ長く吐き(調息)、体の中へ吐く息だけに意識を集中(調心)しながら、座禅を行うのが基本です。

1時間の座禅を継続的に行っていけば、今までとは違った感覚を覚えることになるのです。楽しみながら、呼吸を、座禅を行ってください。