ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

強気な安倍総理大臣を人間として考察すると

2015-02-27 06:18:33 | 気づき

 安倍首相を私は嫌いなタイプの人ではありませんが、最近の国会での強気な発言を聞いていると、かつて逆転国会の参議院での施政方針演説をしていたことを、思い出します。

 

 安倍首相は、初めての衆議院での施政方針演説を終え、参議院でも施政方針演説を行ないました。 然しながら演説内容を間違えて話してしまった為、また野党が多い逆転国会の参議院で、もう一度、演説をしなくてはならなかったのです。

 

 野次の多い参議院での再度の演説を行なうのが耐えられなかったのか、病気を理由に、さっさと総理大臣を辞めてしまったのです。 そんな気位が高い、自尊心の強い安倍さんが、今度は一転して衆参議院とも絶対多数を得て、強気の一点張りです。

 

 こんな時こそ、謙虚に一歩も二歩も下がって、物事を進めてもらえれば、もっと人間性が高まると思うのですが。


人を殺せば自分も死刑になると思えば簡単には殺せないはず

2015-02-26 07:06:04 | 生命

 川崎の多摩川の河川敷で、中学1年の男子生徒が遺体で発見された痛ましい事件が、何故? 何故?というなんともいえぬ、もどかしい感じがいたします。

 

 聞けば離島の島で育った明るい雰囲気を持った子どもです。 殺した犯人は想像が出来ます。

 

 少年が犯罪を犯しても、更生の機会が与えられて、少年院で過ごした後にまた一般社会に出て来られるのを、犯罪を犯したであろう少年たちは知っているのです。 ですから簡単に人を殺してしまうのです。

 

 人を簡単に殺してしまうような少年に育てた親は、どのような親なのでしょうか。 またそのような育て方をした親の両親は、どのような親なのでしょうか。

 

 人だけでなく生物の命を、どのように考えているのでしょうか。 犯罪を犯した少年たちは、このことを親たちに教えられたのでしょうか。 その少年対の親を育てた両親は、どのように考えていたのでしょうか。

 

 イスラム系のテロがごく普通に簡単に、爆弾を身につけて行なわれている現実をみていると、とても残念に思えてくるのですが。


座禅の時に体の微妙な変化を楽しんでいると全てのことを楽しむようになる

2015-02-25 06:04:40 | 座禅

 深呼吸の要領で行なう吐く息を出来るだけ長く吐く呼吸、吐く息をイメージで体の中へ吐く呼吸を、毎日1時間続けていれば、自然と体に微妙な変化をもたらします。

 

 私は、生まれて初めて胡坐を組んで静かに、真っ暗闇の中で、長く吐く呼吸を行って、何か分かりませんでしたが、体に変化をもたらしたのです。 後で考えると頭のてっぺんにある百会が活性化し、電子の輪の帽子を被ったような状態になったのです。 はじめた初日にです。

 

 それ以来、毎日、長く吐く呼吸を行っていました。 夜は半身浴でお風呂に入った後で、布団の上で胡坐を組んで、隣室で家族がテレビを観ている音が聴こえる中で、部屋を真っ暗にして1時間座っていました。

 

 昼間もちょっとした時間に、軽く目を閉じて長く吐く呼吸を行っていました。 息が体の中へ入っていくのを、自分自身で感覚的に分かるように、息音が聴こえるように出来るだけ長く吐いていました。

 

 長く吐く呼吸、体の中へ吐く呼吸を行うことによって、自然と体の中の経絡の気の流れを良くします。 従がってそれを続けていくと、経絡と絡み合うように流れている神経の腺を刺激します。

 

 特に微細な神経細胞が密集する脳を刺激します。 従がって長く吐く呼吸を行うことによって、微妙な脳への刺激を感じることになります。

 

 私は、何が何だか分からずも、そんな微妙な変化を楽しみながら、1時間座っていました。 何もせず座っているだけが楽しいのですから、動きのあることはもっと楽しく感じるようになります。

 

 半年間ほど友人の病気回復を願って、深夜に毎日3時間座り続けたことがありますが、足の痺れも感じず、思い出すと一生懸命さだけが記憶に残っております。


人間の体は変化に適応していくように感じるのですが

2015-02-24 06:41:11 | 

 先日、2年間行なわなかった健康診断を実施したところ、今まで指摘がなかった心臓肥大であると云われました。 薬の服用をして下さい、精密検査の必要があります、と云われたものの、私は薬は飲みません、精密検査は受けますと答えました。

 

 多摩南部地域病院での検査の結果は、心臓から出ている1本の動脈の一部に詰まり現象があるというものでした。 どうされますかとの先生からの問いに対して、半年後にカテーテルを入れて、風船で膨らませサテントを入れましょうと即答しました。

 

 元々、若い頃から健康診断を行なえば、心臓肥大の所見はもらって這いましたので、ある意味では精密検査は良い時期だったかもしれません。

 

 私の体は、20年前ごろに網膜はく離をした右目が、数年前より加齢性黄班変性症になってしまい、定期健診をして様子をみながら、症状がそれ以上進まないような注射による治療を、時々行なっています。 京都でIPS細胞を利用した治験をおこなっている難病の一種です。

 

 また未だ前立腺の生体を採っての検査をして、結果的にS状結腸に検体のための針の数だけ、憩室をつくってしまい、その結果、S状結腸と膀胱が小さな穴でつながってしまった病を抱えています。

 

 腸内は雑菌のかたまり、膀胱系統は無菌状態、それがつながってしまい、その孔は次第に大きくなっていくのを感じます。

 

 そんな体の状態でいながら、何とか普通に健康な人と同じように、生活が出来ております。 

 

 多少、体の状態が悪いとしても、いつも明るく前向きに、生活することによって、何とか普通に生活が出来るのかもしれません。 また深夜の1時間の座禅も、何らかの形で寄与してくれているかも知れません。

 

 改めて、人間の体は変化に適応していくように感じます。 また感謝の気持ちが自然と沸いて来るのです。


松尾澄夫君が米田健治先生と話がしたいと来られて

2015-02-23 07:10:22 | 友人

 黒門小学校で6年間、一緒のクラスで過ごした級友の松尾澄夫君が、是非、米田先生と話したいことがあるし、聞きたいことがあるといって、昨日、一緒に先生のお宅へ伺いました。

 

 消息が分からなかった宮田忠男君の消息も分かったと云って、知らせてくれました。 お肉屋さんを開いていた旧宅へ行ったところ、宮田ビルとあったので、近所の方に話をしたところ、年賀状の交流があるということで、住所を教えていただいたとのこと。

 

 私たちのクラス会が長く続いているのは、松尾君が何かと今まで面倒を見てくれたこともあります。 

 

 先生にお会いしたときに始めに、自分の7歳上の兄貴が上野高校から早稲田大学文学部に進学し、社会主義系の活動の一環として、街頭でチラシを配っているときに、心臓弁膜症で急死され、残された級友たちが遺稿集の本を出版し、それを米田先生にお渡ししたかったといって、古びた本を差し出しました。

 

 松尾君の家は酒屋をやっており、卒業してから遊びに行った印象では、サラリーマンが帰り道で酒屋さんで、かわらけを肴に日本酒のコップ酒やビールを飲みながら談笑し、帰るという雰囲気を持っていました。

 

 長く御徒町に住んでおられたせいもあるでしょうが、私たちの年代だけではなく、上下関係の方たちの消息についても、よく分かっているようでした。

 

 米田先生が私たちの3年のクラスを受け持つ前に、6年生のクラスを担任の綿引先生が、事故で怪我をされ半年間だけ、ピンチヒッターで担当されたのですが、その綿引クラスの方々が、毎年開くクラス会に、先生をお呼びして楽しまれているようです。

 

 昨年は、体調が悪く参加出来なかったら、年末に急遽、先生宅に13人が集まって来られたそうです。 半年間しか教えて頂かなかったのに、綿引クラスの方々は、米田先生には強い印象を持たれているようです。

 

 松尾君は、米田先生が多摩村小学校の先生方からの強い要請で、黒門小学校は1年半過ごしただけで、また元おられた多摩村小学校に戻られましたが、それ以降も黒門小学校と多摩村小学校との交流が、米田先生を介してあったのです。

 

 私はすっかり忘れていましたが、黒門の父兄たちと一緒に、今の市役所があるところに建っていた木造2階建ての校舎で、泊り込んでの交流会があったことを、松尾君が話してくれました。

 

 また黒門の6年のときに日光に修学旅行に行ったときに、丁度、多摩村小学校からも修学旅行で来られて、米田先生と出会ったことも、話してくれました。 私は、すっかり忘れてしまっていることでしたので、松尾君は、今でもよく覚えているようでした。

 

 帰りがけに、米田先生がぽつりともらしました。 松尾君は「語り部」だなあと。 改めて松尾君の良さを感じた次第です。


精神科医の永尾雄二郎さんお話を聞くものの

2015-02-22 08:11:20 | 気づき

 今朝の心の時代・普遍の法をどうきくか というタイトルで、精神科医の永尾雄二郎さんが、話をされていました。 残念ながらじっくりと話を聞くことが出来ずに、素敵な字を書かれているなあとしか、印象がありませんでした。

 

 改めてネットで検索しました。 「永尾雄二郎」で。

 

 すると、70歳過ぎて中風になった患者さんへ往診したときに、枕元に色紙が掛けられていました。 「いらいらやくよくよもせず おおらかに 悠々自適 老いの坂道」 と書かれていました。

 

 聞けば偉い方が書いてくれたそうです。 それを永尾さんは違う書き方をされたそうです。 「いらいらや くよくよのみの人の世もなごりなつかし 今日の一日」と。

 

 その患者さんは、中風がなかなか良くならなかったそうですが、永尾さんの色紙を見てから、「先生、くよくよばっかりでいいんですか、それがなごりなつかしいー」と考えを改め、闘病生活も打って変わって、明るいものになり改善されていったということです。

 

 改めて、今朝のテレビの再放送を、見てみたいものだと感じました。


仏壇がなくてもコップに水を入れて毎朝 拝む友人

2015-02-21 07:21:13 | 生命

 親しくしている友人は3男ですが、長男、次男が相次いで天に還って行ってしまい、残された姉妹の中で、唯一の男になりました。 友人の父母の仏壇は、長男の奥さんが守られています。

 

 私は、友人には、3男でも今や長男と同じですよ。 従がって仏壇がなくても、毎朝、コップに水を入れて、拝むように話しました。 勿論、時を見て長男の奥さんのところへ行って、自分が出来る範囲でお世話ができるといいですねとも話しておりました。

 

 私は、たまたま長男ですので、父が交通事故で天に還って行った後、母が仏壇を守っていました。 母も天に還ってから8年になりますが、仏壇は我が家にあります。 母は天理教の信者でしたので、天理教の小さな社もあります。

 

 先日、その友人は、人の云うことをなかなか聞かない方ですが、ふと自分は今、毎朝、コップに水を入れて拝んでいるんですよ、と話してくれました。 きっとご先祖さまが、友人を見守ってくれているに違いありません。

 

 私自身は、よく分からないけれど、自分を見守ってくれている方がいるような気がしています。 ただ私を厳しく見守ってくれているようで、何か間違った行為をしようものなら、何らかの形で私に罰を与えてくれるようでもあるのです。


自分の所業のアクをどれだけ落とせたのだろうかと思うときがある

2015-02-20 06:34:55 | 自分

 自分が今までの生活の中で、様々な所業を行なってきたのですが、必ずしも清廉潔白ということはありません。 所業の結果は、いつも私の後を付いてきているように、感じることがあります。

 

 どれほど長く静かに胡坐を組んで、座禅をしたところで、自分のこれまでの所業は消えることはありません。

 

 自分の所業を深く反省しながら、ただひたすら静かに座る以外はありません。

 

 そんなことを思いながら、自分の顔は少しずつ変化しているようにも、思うことがあります。

 

 深夜の1時間の座禅で、脳を癒し崇高な至福感を感じ、胸の中心部にある心を磨き、そんな自分がいつも素直に表現されているのであれば、良しとするのでしょうか。

 

 いつも肩の力を抜いて、物事に自然体で接したいと思っております。


我を捨てることにより謙虚な気持ちになれるものか

2015-02-19 06:50:24 | 気づき

 自分の思うようにならないときに、ややもすると、あれこれ考えて、思うようにならないことを、他人のせいにしてしまうことが多いようである。 私も然り。

 

 そんな時にこそ、自分の我を引っ込めて考えてみて、相手の意見に謙虚な気持ちで臨んでみると、意外と気分良く物事が進められるものである。

 

 こうでなければならないと考えると、色々と無理にぶつかることがあります。 そんなときにこそ、一歩引き下がって考えてみれば、自分の行動に原因があることが分かります。

 

 深夜の1時間の座禅は、ふと浮かぶ雑念の中で、深く考えさせてくれる機会かもしれません。


お馬さんは恋人・の作者から久しぶりで快音を聞いて

2015-02-18 06:24:24 | 文化

 家の一軒や二軒を、全てお馬さんのために時間と労力を費やしたであろう、親しくしている友人が、二代目を連れて府中まで行って来られたという話しを、お昼ご飯を食べながら聞きました。

 

 2レースでは、いつも意見が一致しない二代目と、意見が気持ちよく一致したということで、単勝馬券を買ったそうです。 この2レースも含めて8勝2敗の成績で、メインの11レースを待たずして、気分良く帰ってきたという話でした。

 

 友人は、当たりすぎて気分が良いときは、お昼ご飯をご馳走してくれます。 自分のことではないにもかかわらず、友人が勝っていただくと、嬉しいものです。 お昼ごはんのご馳走がなくてもです。