ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

長い間のホンダ・ファンから離れてアクアを買うことを

2014-12-31 06:49:21 | 社会・経済

 初めて車を持つようになって以来、ホンダのデザインポリシーが好きで、ホンダの車しか乗っていませんでしたが、最近のホンダの会社運営は、おかしくなっているように感じます。

 

 ネット記事で見ても、歴代の社長を勤めて来た方々が、現在の社長に、運営方針について物申すと、考え方の見直しを提言しているようです。

 

 私が乗っているアコードも古くなってきていて、燃費も悪いし時代遅れの感がありますので、家族と相談して、そろそろ乗り換えようとしておりますが、何となくホンダをやめて、トヨタのアクアにしようかとも考えております。

 

 20数年前にトヨタのロボットの自動車工場を見学した頃には,なんとなくトヨタ工場で働く人の、非人間的な扱われ方の告発本を、読んだりしていたことや、デザインに対する考え方が、どうもいかがなものかという感じがありましたので、トヨタの自動車を遠目に見ていたのです。

 

 アクアが、もう少し荷物が載せられるようになると、もっと良いのではないかと思われるのですが。 然しながら、既にガソリン車ではなく、水素自動車の時代が来ているのかもしれません。


科学的に解明されていなくても感じることはあります

2014-12-29 08:54:00 | 座禅

 昨日のブログで、米国の大学で「瞑想」が様々な形で、科学的に解明され始めているということを書きましたが、私自身は深夜の1時間の座禅を通して、様々なことを感得してきました。

 

 深呼吸の要領で、長く吐く呼吸、体の中へ吐く呼吸を、1時間続ける事によって、日常的なストレスから解放され、崇高な至福感を感得できることを。

 

 これは長く吐く呼吸や体の中へ吐く呼吸が、目には見えないけれど半ば眠っていた、わたくし達の体の中にある気の通る道である経絡を活性化し、1時間継続的に静かに行うことによって、経絡と絡み合うように流れている神経の腺を、優しく刺激するからです。

 

 特に微細な神経がある脳を刺激することによって、更なる効果をもたらすのです。

 

 また深夜の1時間の座禅が行えた時と、行えなかった時の朝起きた時の小穂や大面の様子が違います。 私は前立腺の生体採取を、お尻の穴から採取された関係で、結果的に腸に憩室(袋のように広がる)ができ、そこに細菌が炎症を起こして、細菌の塊が充満する腸と、無菌状態の膀胱とが小さな穴で、つながってしまいました。

 

 繋がった当初は、前立腺炎を起こして小便がでなくなってしまいました。 けれども現在は、穴が少しずつ大きくなりつつも、座禅を行った時には、消毒されたような小便がでてきます。 然しながら都合で深夜の1時間の座禅が行えない時には、糞尿の臭いのある小便が出てくるのです。

 

 現在では長く吐く呼吸は行わず、ひたすら胎息という肺呼吸を伴わない気の呼吸で、静かに1時間座っていますが、私をよく観察している人によれば、以前よりおでこの出っ張りが、違ってきたといいます。 このことは自分でもよく分かりませんが、そうかもしれないとは感じます。


座禅の良さは自ら実践することによって感得できるのだが

2014-12-28 15:58:17 | 座禅

 先日のネットの記事で(日経サイエンス)、老化防止も「瞑想」の効用、脳科学が解明 という見出しで、書かれていました。

 

 米ハーバード大学の研究グループが。磁気共鳴画像法(MRI9を使って、仏教の瞑想法を長期間修行してきた人たちの脳を調べたところ、前頭前皮質の一部(ブロードマン領野9及び10)と島皮質における脳組織の体積が、対照群よりも大きくなったことが明らかになりました。

 

 脳のこれらの領域は、注意や感覚情報の処理といった役割を、担っている。 この結果は、加齢に伴って脳組織の体積が減る傾向を、瞑想によって抑制できる可能性を示しています。

 

 被験者のうち、瞑想によるストレス低減の効果が高かったグループを追跡調査したところ、不安処理に関連した部位である扁桃体の体積が、減少していることも分かった。

 

 瞑想によって、炎症やストレスの要因を、分子レベルで低下させられることを示す証拠も挙がりつつある。 米ウイスコンシン大学などのグループは、仏教の瞑想法の一つであるマインドフルネス訓練を集中的に行うことで、特に瞑想の経験が豊富な人の場合、炎症に関係した遺伝子の活動レベルが、低下することを確認したといいます。

 

 また米カリフォルニア大学デービス校の研究者は、細胞の老化の抑制に関係した酵素であるテロメローゼの活動が、瞑想したあとで活発になることを見出しました。 これは、瞑想によって細胞老化の進行を遅らせる可能性を示唆しているといいます。(12月25日発売の日経サイエンス1月号に掲載予定)

 

 上記の研究経過報告は、自ら座禅(瞑想)を実践することによって、理論とか理屈では分からなくても、多分そのようなことではないかと感じる(感得)ことなのです。 ただし座り続けること1時間は、必要なのですが。 心身ともに深層部まで含めて、静かになることが必要なのです。


課題が残されたまま新年を迎えようとしています

2014-12-26 07:01:38 | 自分

 今年は、あと少ししか残っていませんが、まだ問題解決しなければいけないことが、残されたまま新年を迎えようとしています。

 

 次々と事務処理をしていく能力が、加齢化とともに無くなってきているのでしょうか。 何かもどかしい感じがいたします。

 

 例年ですと、年末から新年にかけて追われるように、次から次へと仕事がなくても、何かしら忙しく事務所で、作業をしているのですが。

 

 どうしたのでしょうか。 心はどこかへ行ってしまったのでしょうか。


昨日はハシゴしてコンサート三昧で合唱付きを楽しむ

2014-12-24 06:29:25 | 文化

 昨日は、友人が主催する多摩ロタキッドクラブのコンサートが、桜ヶ丘のヴィータホールであり、例年の如く参加させていただきました。 当初から較べると格段の差があるぐらい、私たちに何かを感じさせるものがあります。

 

 そのせいか今年は、多摩ユースオーケストラのコンサートへの参加を呼びかけられ、従って私は、午後1時半からのコンサートが終わった後で、歩いて多摩センターのパルテノン多摩のホールまで行き、午後5時からの多摩ユースのコンサートに参加しました。

 

 こ気味の良いシュトラウスの喜歌劇・こうもり序曲を聞いた後で、この日だけのスペシャル合唱団とともに、ロタキッドの子供たちも交えて、ポロディンの歌劇・イーゴリ公より ダッタン人の踊り・合唱付きを聴きました。

 

 その後、引き続いてカンタータ・土の歌より 大地讃頌 を聴きました。 昨日の第9合唱付きの第4楽章しか、合唱付きがないよりも、より身近に感じることができました。

 

 休憩の後、よく知られているベートーベンの交響曲第5番・運命の後に、「花は咲く」を合唱付きで演奏の後、アンコールで映画「アナと雪の女王」の主題歌を、合唱付きで聴くことができました。

 

 最近では事務所でパソコンに向かいながら、レクイエムを聴いているせいか、年末は合唱付きの演奏の方が、心に響くような感じが致します。

 

 帰りに仲間と一緒に、ミスドーでオールドファッションを食べながら、コーヒーを飲んで余韻を楽しみました。


演奏が終わり感激で涙目のコンマスの中大の第9合唱付きコンサート

2014-12-23 08:28:57 | 文化

 昨日は、横浜のみなとみらいホールで開かれた、中央大学管弦楽団のコンサートを、聴きに行ってきました。  佐藤寿一さん指揮でチャイコフスキーの大序曲・1812年と、ベートーベンの交響曲第9番・合唱付きの演奏でした。

 

 大序曲は大きなホールに相応しい、壮大な演奏で十分、楽しむことができました。 第9番は、いつも感じることですが、第1楽章から合唱が入っても良いのではないかと思うのです。 それだけ第4楽章の盛り上がりが、あるということでしょうか。

 

 第9番が終わった後で、チェロの鰕原由崋さんが思わず涙ぐんでいました。 またコンサートマスターの寺田太地さんが、花束をもらった瞬間に涙がポロポロと出て、止まることはありませんでした。

 

 それだけの熱演を感じさせてくれました。 合唱団も混成チームで、松戸混成合唱団、芙蓉グループ合唱団、東大和市民合唱団・第9を歌う会、角田・ベートーベン第9喜びのうたを歌おう会の方々でした。

 

 楽しいひと時でした。


横国大のクラスの忘年会が浅草うなぎの三角で開かれて

2014-12-22 06:48:46 | 友人

 人のつながりを大切にする幹事役の加藤三尋くんの呼びかけで、浅草のうなぎの三角で開かれ、9人が集まりました。

 

 大きなお皿のふぐ刺しを均等に食べるべく、3人ずつがひとかたまりになるようにして会食しました。

 

 久しぶりで中嶋清英くんが来てくれたことが何よりでした。 聞けば軽い脳梗塞があったといえども、相変わらず元気に議論好きな雰囲気を、表していました。 

 

 元大学教授の松本恭治くんは、自分で纏めたであろう日本の人口分布図を下に、参加者に説明をしようとさえしました。 議論好きな松本くんは、電話であろうと熱心に自分の考えていることを、伝えてくれます。 娘さんが自分が実践してきたように、相談ではなく結論だけを報告して、結婚相手を連れてきたということを、話しておりました。

 

 いつも陶器作りの作品などを、メールで送ってくれている元大学教授の清水ひろしくんは、今年は何か問題があったのか、積極的に陶器の話はでなかったようです。

 

正田美智子さんの親戚である正田宏次郎くんは、清水建設を退職後は、帝京大学の講師をしておりましたが、今年の3月で辞めたということでした。 正田くんは鎌倉に住み、鎌倉の街を案内するコンシェルジェの資格を持っていますので、来年の5月頃には、皆を案内してもらったあとで、鎌倉の美味しいうなぎ屋さんで、会食しようということになりました。

 

横国大に残って教授をしていた田村明弘くんは、相変わらず万年青年のような若々しい顔立ちを、維持しておりました。 大学に残っていたので、私たちが習った先生たちの消息やエピソードを、話されていたようです。

 

建設会社で長い間、研究畑にいた森尚治くんから、官庁の外郭団体にいた時の予算の取り方について、話してくれましたが、ちょっとおかしい予算計上の仕方をしているのに、びっくりしたとの話でした。 私も、ある外郭団体にいた友人から、結果的に何億円もする無用の長物の機械が、使われることもなく置かれたままに、なってしまっていたという話を、聞いたことがあります。

 

今だに現役の荒川総一郎くんは、建物の耐震診断や耐震補強の関連の仕事をされているとのことでした。 荒川くんは、私の友人の伊倉雅晴さんと、相変わらず鰻の食べ歩きを行っているということです。

 

自分が段取りして皆が集い、皆が喜んで談笑しているのを見て楽しむという、素敵な幹事の加藤三尋くんは、頭髪は薄くなったものの顔色は良く、人間の生き方として、とても真似ができないような方です。 

 

加藤くんは仲島靖浩くんが、仏教の関係で海外に出かけるためのガイダンスがあり、欠席をされていますが、脳梗塞で何かと不自由な体でいながら、精力的に絵を描かれていると、報告してくれました。 また長野の須坂に住む後沢裕くんは、りんごの生産に関わりながら設計の仕事は、続けられているということを話してくれました。

 

うなぎの三角を出たあとで、有名な「神谷バー」で「デンキブラン」という飲み物・カクテルを、飲んでから帰りました。 ちょっと養命酒にような感覚がありましたが。 楽しいひと時でした。


発想を変えてゴルフ場を買って夢を売るシャトレーゼ

2014-12-19 06:32:16 | 文化

 昨日は、時々お昼ご飯を食べに行く体育館のレストランで、親しくしている友人と牡蠣フライを食べました。 いつも手が空くと、マスターが話をしに来てくれます。

 

 ゴルフを通して交友関係が広いので、いつも楽しく話を聴かせて頂いております。 昨日はケーキのシャトレーゼが、北海道のゴルフ場を1億円で買って、再建した話をしてくれました。

 

 シャトレーゼは、そこのゴルフ場のクラブハウスを一般に開放し、誰でもが入れるようにしました。 勿論ケーキも売っていますし、そこで会食もできます。 

 

 するとデイトの場所になったり、ケーキを買いにいったりと、近所の方々が多様に利用するようになりました。 ゴルフ場もキャデイさんを置かず、出来るだけ安い料金で利用できるようにしたそうです。

 

 シャトレーゼは、その後、次々と経営困難なゴルフ場を買って再建して、現在15箇所のゴルフ場を持つようになりました。 私の近くの東京国際ゴルフ場では、ゴルフの利用者はケーキもアイスクリームも、食べ放題だというのです。

 

 ネットで検索してみると、シャトレーゼのケーキ店は、堀之内の駅前にありました。 いつもトップスのチョコレートケーキしか、食べていませんでしたので、早速シャトレーゼのケーキを買って食べようと、息子とも話し合いました。


朝歩くも顔は冷たく池の水は氷がうっすらと見えて

2014-12-18 08:19:09 | 健康づくり

 朝歩きは、朝日が昇り始めつつあるときの、6時半ぐらいから歩くようになっています。 今朝は、昨日よりも一段の寒さを感じ、多摩中央公園の池の水も、うっすらと凍っていました。 勿論、芝生の上を歩く時も、氷柱があるような感じがします。

 

 雲ひとつなく放射冷却のせいか、風はなくても寒さも、ひとしおです。 いつも顔を合わせると、にこやかな笑顔を見せて、「おはようございます」と声をかけて来られる方もおられます。

 

 時々出会うご婦人2人に出会ったので、「急にハグしたくなっちゃったあ」と挨拶がわりに声をかけたら、「ダメよー、ダメダメ」と返ってきてしまいました。


米田健治先生宅に黒門小で半年間しか教えなかった生徒たちが

2014-12-17 06:10:54 | 文化

 先日、近くに住む黒門小学校で3年の時に、1年間しか習わなかった米田健治先生から、電話がありました。 いつも聞く綿引先生のクラスの生徒さんたちのことでした。

 

 私たちが3年のとき以前に、綿引先生が産休で代わりに、半年間だけ担任になったのですが、いつもクラス会に呼ばれて、参加されていたのです。

 

 たまたま今年の6月にあった、わたくしたちのクラス会の前後に、綿引クラスの会もあったようですが、先生の体調が悪く不参加されたようです。 綿引クラスの人たちが是非、先生と会いたいと9人が、先生のお宅に来られたとのことでした。

 

 米田先生は、痛みを伴わない脊柱管狭窄症になってから、毎日のように観にいっていた好きな映画も、思うように観れなくなって、「もう俺はダメだ」などと、私には弱気な発言をされるようになっていました。

 

 今年の私たちのクラス会には、私が先生宅にお伺いし、多摩センター駅まで車で行き、小田急で表参道で乗り換え、永田町の級友が関係するうなぎの伊豆栄まで、付き添いで行きました。 幹事ではありましたが、2次会は他の方に任せて、帰りも家まで一緒でした。

 

 私たちは小学校の3年の1年間しか教えて頂かなかったのに、半年間しか習っていない生徒たちが、私たち以上に、先生に愛着を持っておられることです。

先生には何か子供心を打つものがあるのでしょう。 ピンタやげんこつが、よくあったような記憶があるのですが。

 

 先生のお宅に、時々マンゴのアイスキャンデーを持参しながら、奥さんも交えてお話をするのですが、いつも先生からは綿引クラスの方々の話題が出るのです。