座禅をはじめるまでは、神の存在についてはあまり考えなくことがなく、無心論者のような傾きがありました。 父は浄土真宗で母は天理教。 母の影響で子供のころに天理で、7日間同じ話を聞いたことがあります。
母は、若いころに番を張っていたような気が強いところがあり、また人のお世話をすることにはいとわぬところもあって、私も何となく人のお世話をするのが、普通のことのように出来るようになっていました。
吐く息をゆっくり吐き、吐く息をイメージで体の中へ吐き、吐く息だけに意識を集中する座禅を通して、自分自身が見えないものー気を感じるようになってからは、何となく創造主の存在はあるんではないかと、感じるように変化していきました。
母が亡くなったときも、死んだという感覚よりも天に還って行ったという感じがしました。 母の信じる舞子の天理教分教会に連絡したとき、お祝いをするようですと返ってきたときにも、改めて感慨深く感じたものでした。
ひとり静かに暗闇の中で座禅を行っているときでも、ふと浮かんでくる雑念に対しても、そっと宇宙の叡智が考えるヒントを、与えてくれるような感じがしたのです。
遺伝子工学の村上和雄さんも、あるものから変化させて何かを作ることが出来ても、まったく新しい生命を作ることは出来ないという話を聞くにつけ、ますますこの世の創造主の存在を無視するわけには、いかなくなっていました。
母は、若いころに番を張っていたような気が強いところがあり、また人のお世話をすることにはいとわぬところもあって、私も何となく人のお世話をするのが、普通のことのように出来るようになっていました。
吐く息をゆっくり吐き、吐く息をイメージで体の中へ吐き、吐く息だけに意識を集中する座禅を通して、自分自身が見えないものー気を感じるようになってからは、何となく創造主の存在はあるんではないかと、感じるように変化していきました。
母が亡くなったときも、死んだという感覚よりも天に還って行ったという感じがしました。 母の信じる舞子の天理教分教会に連絡したとき、お祝いをするようですと返ってきたときにも、改めて感慨深く感じたものでした。
ひとり静かに暗闇の中で座禅を行っているときでも、ふと浮かんでくる雑念に対しても、そっと宇宙の叡智が考えるヒントを、与えてくれるような感じがしたのです。
遺伝子工学の村上和雄さんも、あるものから変化させて何かを作ることが出来ても、まったく新しい生命を作ることは出来ないという話を聞くにつけ、ますますこの世の創造主の存在を無視するわけには、いかなくなっていました。