ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

胸式肺呼吸が逆腹式呼吸に変質するとき

2008-11-30 07:24:33 | 座禅
 座禅を始めて行うときに、一般的に行われている胸式肺呼吸を行います。 ただし普段行われているような意識しない呼吸ではなく、呼吸を意識することになります。

 大きく胸いっぱい吸って、ゆっくり吐きます。 口を閉じて鼻だけで息をします。 息を吐くときには、鼻で息を吐くことを忘れ、イメージで体の中へ吐いていきます。 体の中へ息が入っていくことを実感するために、自分でもはっきり聞こえるように、息音をたてるように吐いていきます。 息音をたてるのが、この呼吸のコツです。

 胸式肺呼吸がスムーズに1時間続けられるようになったならば、今度は息音をたてないように、できるだけ静かに、長く息を体の中へ吐いていきます。

 胸式肺呼吸は、始めは空気を吸っていましたが、慣れるに従い、次第に空気を数量が少なくなり、胸を膨らますというよりも、下腹が凹むようになってきます。 胸式肺呼吸が、だんだんと逆腹式呼吸に変質していきます。 逆腹式呼吸に慣れるに従い、吸う空気の量も次第に少なくなってきます。 そうです、逆腹式呼吸の究極の姿は、気の呼吸に変質していきます。

 吐く息音を殆ど息音が聞こえなくなるに従い、息を吐いているかどうか分からないくらいに、細く長い吐く息になっていきます。 息音をたてない呼吸が、普通にできるようになったとき、自分自身で、何かを感じるはずです。


 

逆腹式呼吸に慣れるために日常的に練習する

2008-11-29 12:58:58 | 座禅
 座禅では、吐く息に意識を集中する必要があります。 リズムよくスムーズに呼吸ができるように、日常的なあらゆる時間、場所で練習しておきます。 

 呼吸に意識を集中するために、目を瞑ります。 胡坐を組んでも椅子に座ってもよく、また立ちながらでもよいのです。 ちょっとした時間でも構いません。 呼吸に慣れることが大切なのです。 リズムよく呼吸ができさえすれば、比較的簡単に、座禅に集中することができます。

 いつも行っている胸式肺呼吸を行います。 普段は意識しなかった呼吸を、意識しながら行うだけです。 大きく吸ってゆっくり吐きます。 口を閉じ鼻だけで呼吸します。 吸った息をできるだけ、目いっぱい吐き出します。 吐くときには鼻から息を出すことを忘れ、イメージで体の中へ吐いていきます。

 息が体の中へ入っていくのを実感するために、はっきりと聞こえるように息音をたてながら吐くのが、この呼吸のコツです。 相当慣れるまでは、息音はいつも聞こえるように、呼吸します。 目いっぱい吐ききると、苦しくなりますので、苦しくなる前にそっと、また息を吸います。 

 大きく吸ってゆっくり吐く、その繰り返しの呼吸でよいのです。 5分でも10分でも、日常的なあらゆる時間を利用して、練習しておきます。 日常的な呼吸の練習の結果、座禅のときに意識を呼吸に集中できるのです。

 自分は雑念ばかり浮かんで意識を集中できないという人は、呼吸がまだスムーズにできないからです。 呼吸に慣れてしまえば、こっちのものです。 呼吸を、座禅を楽しんでください。
 

座禅の時には舌を上の歯の付け根にそっと付けます

2008-11-28 08:02:48 | 座禅
 座禅の時には、舌を上の歯の付け根に、そっと付けなさいとの記述があります。 何故、そうするのかの理由が書いてありません。 これは、体の中を流れる気の小周天(上半身の気の循環)を意識したものです。 

 下腹のちょっと下にある臍下丹田で発せられた気は、会陰(股下部分)から尾りょう関(下腹の裏側)に入り、背中の中心部にある夾脊関(きょうせきかん)に上がり、さらに後頭部の玉沈関を一気に駆け上がり、頭のてっぺんにある百会を通り、目の中心部にある上丹田に入り、体の前部に伝えられます。

 体の背面部から前面部に気が伝えられる箇所が、上の歯の付け根から舌を通して、体の前部に伝えられるのです。 上の歯と下の歯を付けなさいという記述が、ある場合がありますが、これは小周天を感得した人であれば分かっていることですが、舌だけでなく歯を通してでも気が通って行きます。 このとき、かなりの量が流れていきますので、顔が硬直化する恐れがありますので、むしろ両歯は付けないほうがよいのです。 曹洞宗のHPには、両歯を付けなさいとの記述がありますが、よく分かっている人が書いているとは思われません。

 上の歯の付け根から舌を通して、体の前部に気は通って行きます。 胸の中心部にある中丹田を通り、臍下丹田に戻っていきます。 気が上半身を1周することを、小周天といいます。

 座禅は、吐く息をゆっくり吐き、吐く息だけに意識を集中することによって、体の中で眠っていた気を動かし、私達に気を感じさせてくれるようになります。 

 よく口を開けて寝ている方を見かけることがありますが、いつも口を開けることによって、体に溜まっていた気が、体外に出て行くことを想像させます。 口をいつも開けていることは、決してよいことではありません。 気をつけてください。

なぜ1時間の座禅時間が必要なのか

2008-11-27 13:49:09 | 座禅
 座禅仲間の友人が、いつも30分の座禅しか行っていないのを見て、30分では肩慣らしをしているに過ぎませんよ、と話していました。 その友人は30分のお経の読経を行った後、30分の座禅を行っていました。

 肩慣らしをいくら何回やっても、進歩はありませんよ、最低でも45分から1時間は、座禅を行ってくださいよ、と話すばかりです。 その後、私の意見を取り入れた結果、頭のてっぺんの百会が鼓動し、その後後頭部にある玉沈関が、動くことも経験し、また、いわゆる至福感も感得することになりました。

 その後、小康状態が続いているようですが、いずれ充実した暁には、また何らかの変化をもたらしてくれるのではと、期待しております。

 胸式肺呼吸で、吐く息を体の中へゆっくり吐いていきますが、体の中を循環する気の動きが、座禅を始めたばかりの時には、動きも硬く、滑らかにはなりません。 その動きに滑らかさが生じるのは、45分から1時間経たないと無理なのです。

 息を体の中へゆっくり吐くことによって、気の動きを促進させます。 気の通り道は径絡といい、神経の線に沿って流れているといわれています。 神経が一番集中する脳にも径絡はあります。 吐く息をゆっくり吐くことによって、経絡を流れる気の動きも、少しずつですが、その流れを促進させるのでしょう。

 自分の感覚ですが、座禅に集中して5分から1時間経過しないと、その気の流れも緩やかにはならないのです。 ゆったり流れ、やさしく流れることによって、脳への刺激も滑らかになり、究極的には私達に至福感を、与えてくれるのです。

 座禅をしようと思ったならば、最初から1時間を目標に胡坐を組んでもらいたいと思っております。 お寺での座禅会は、30分ぐらいが一般的のようですが、たまには1時間の座禅も、悪くないものです。

禅宗の教義は分かりませんが座禅の素晴らしさは分かります

2008-11-26 14:18:23 | 座禅
 私はどちらかというと、理屈っぽいほうですが、体が先行して動いて、後から考える性質です。 座禅を始めたきっかけは、級友からの呼びかけで始めたのですが、座禅を始めた初日に、体の変化が表れ、あれよあれよという間もなく、下腹の臍下丹田が心臓のように鼓動を始めたのでした。

 したがって、体の中へ吐く息に意識を集中し、1時間以上の座禅時間を続けているうちに、体の中を流れる気が、脳を優しく刺激し、癒しいわゆる崇高な至福感を、もたらしてくれるのが分かりました。

 深夜や早朝に座禅を行ってきましたが、座禅に集中したときに私達に与えてくれる、その座禅の素晴らしさは、言葉では表しようがなく、自分達が座禅の過程で、感得するしか術はありません。

 また、静かな暗闇の中で、ひとり胡坐を組んで座禅に意識を集中したときには、ふと浮かぶ日常的な雑念も、宇宙の叡智がそっとサジェスチョンをくれることもあるのです。 

 私は、座禅の出発は気功の静功(太極拳のような動く功ではなく静かな功)からですが、いつも宇宙を意識しながらの座禅を行います。 意識は宇宙から自分の体の細胞まで、この世の誕生はどうなっているかなど、多岐にわたった事柄が、雑念の中で浮かんでくるのです。 

 物事をどのように考えていくのがよいのかなど、自分で考えがまとまらなくても、どのように考えればよいかを、そっと教えてくれるのです。

 当然、この世の創造主のことも、想像します。 私は漢文を読むのが苦手ですし、ちょっと前の難しい文章も苦手で、勿論、お経の本を読むなどということは、皆目できません。 ですが、座禅を通して、ものごとを、どのように考えるのがよいかは、不思議と自然と分かってくるのです。

 マラソンランナーだった父の影響からか、子供のころから、短距離よりも長距離を走るのが好きでした。 みんなが苦しむであろう坂道などでは、このときこそ頑張ろうと、走ったものでした。 考えてみれば、大人になっての歩み方も、そのような進み方がされてきたようにも思います。

 

普門庵で泊りがけの座禅会がありますが

2008-11-25 15:24:00 | 座禅
 11月29日の午後2時から翌日の12時まで、泊りがけの座禅会が開かれますが、今回は私はパスすることにしました。 普門庵では、毎日、早朝に座禅会を行っておりますが、年2回、泊りがけの座禅会もあるようです。

 29日は45分の座禅を、途中休憩や読経を含めて7回あります。午後6時には夕食を食べ、午後10時には解枕(就寝)です。 30日は午前4時に起床し、早速、15分から座禅開始です。前日と同じように、45分の座禅が6回あり、途中午前6時から粥座(朝食)があり、掃除片付けの後、昼の12時に解散という日程です。 会費は布団の借用もあり、5000円です。

 私自身は、連続3時間の座禅しか経験しておりませんが、現在は1時間の座禅です。 そろそろ座禅時間をもう少し延ばしてみようかなと、思っておりましたので、少しずつ伸ばすときが来たようです。

 相変わらず自分の布団の上で、半そでのパジャマで深夜、1時間座禅を行っておりますが、やせ我慢せずちゃんちゃんこを着る季節になったのかもしれません。 楽しみながら、座禅をしましょう。

座禅は脳波をβ波からα波へ、更にα波からθ波へ変化させる

2008-11-24 19:02:57 | 座禅
 私自身は、自分の脳波が座禅中にどのような変化をしているか、測定したことはありませんが、ものの本によれば、通常の状態の時のβ波から、α波に変化することは知られています。

 α波は心身が落ち着いたときになるといわれておりますが、座禅で吐く息だけに意識を集中することによって、比較的に簡単にα波になることが可能です。 θ波は、1時間以上の座禅に集中できた時に到達でき、α波よりも更に安定した脳波です。 θ波になることによって、宇宙の叡智のサジェスチョンを受けたり、宇宙の叡智との接触もあるかも知れません。

 体の中へ吐く息をゆっくり吐き、吐く息だけに意識を集中してさえすれば、θ波になることも出来るのです。 体の中を流れる気の動きも、ゆったりと滑らかに流れ、脳細胞への刺激も優しさを増し、その動きも殆ど無くなる可能性もあります。

 一度、脳波がどのように変化するかを、自分自身でも知っておきたいとは、思っております。

座禅を通して精神的な余裕をつくる

2008-11-23 18:26:32 | 座禅
 よく人から、座禅を行う時間も余裕もありませんよ、と言われます。 又、精神的にも行えるような場合では、ありませんとも言われます。

 私が座禅を始めたのは、大学の級友からの呼びかけがあったのもありますが、心臓付近を押すと、なんとなく痛みを感じたこともあります。 当時、決して精神的な余裕などはなく、なおかつ経済的にも、非常に厳しい時期でもありました。

 また、どちらかというと、動いてから考える性質も手伝って、先ず実行することにしました。 座禅を始めた初日に、百会が活性化し、頭全体が電子の輪のようなものを感じたこともあり、なんとなく興味本位で、日常的な胸式肺呼吸の練習を、行っていました。 

口を閉じて鼻だけの呼吸。 大きく吸ってゆっくり体の中へ吐く呼吸。 体の中へは吐く息が入っていくのを実感するために、息音をたてながらの呼吸です。その呼吸が結果的に、逆腹式呼吸につながり、胎息にまでつながりました。

 座禅を通して、いつも肩の力を抜きリラックスするようになりました。 また、いつも自然の流れに逆らわず、自然の摂理に委ねるようになりました。 一番大きいことは、座禅を通して、体の中の気の動きを知り、その気が時間の経過とともに、脳をやさしく刺激し癒し、私にセクシャルな喜びをはるかに超える、至福感を感じさせてくれることでした。

 そのことによって、日常的なストレスからいつも開放され、いつも体を循環する気のおかげで、顔色も赤ら顔に変質していきました。 

 座禅の行い方について、様々な書籍や情報があふれておりますが、本格的に座禅を始めようとする人にとっては、決してわかりやすく書かれているとはいえません。 どちらかというと、形式的なものを重視するような記述のものが目立ちます。 体の変化が先行し、後から本を読んで、こういうことだったのかという、認識することが、多々ありました。

 何かに意識を集中するということには、私達はどちらかというと不得手です。 座禅は、単純に吐く息だけに、意識を集中することで、何らかの変化を与えてくれます。 その変化を楽しみながら行っていくと、意外と続けられるものです。 呼吸法を、座禅を楽しんでください。  

座禅ー蓮の花の上に座っているイメージを行う

2008-11-21 11:38:26 | 座禅
 大きな蓮の花の写真や実物をイメージし、息をゆっくり体の中へ吐きながら、蓮の花の上で胡坐を組んで、座っているイメージをします。

 何故か、蓮の花の上に座っているイメージを行いますと、体に微妙な変化を与えてくれます。 よく観音様が蓮の上に立っていたり、お釈迦様が蓮の上に座っている像を見ることがあります。

 泥んこの中に育つ蓮が、水面に葉っぱが出てきて、花を咲かすことに、何か独特のものがあるようです。

 胸式肺呼吸で、息をゆっくり体の中へ吐きながら、蓮の花のイメージを、何度も続けます。 座禅を、呼吸法を楽しんでください。

座禅ー光に包まれ、そして自らも輝くイメージを行う

2008-11-20 10:14:49 | 座禅
 体の中へ吐く息音が、自分自身でもよく聞こえるように、ゆっくり吐いていきます。 体の中へ吐く息を、具体的に肺から体の中心部を通って、下腹にある臍下丹田まで追っていきます。 臍下丹田が、どこにあるか分かりません。 私自身は、今では心臓のように鼓動していますので、どこにあるかはっきり分かりますが、座禅を始めた当初は、分かりませんでした。

 下腹にあるというけれども、どこにあるのかしらと、いつも探しながらの呼吸を行っていました。 自分からちょっと離れて、上のほうから下腹を眺めて見たりしました(擬似的ですが)。 また空間に浮かんでいるようなことも、呼吸法を行いながら、イメージしていました。

 体のなかへ吐く息をゆっくり吐いていくという行為は、気の通る道(経絡)を、刺激し、逆腹式呼吸を続ければ続けるだけ、その通り道が広がり、気の通りがよくなっていきます。 生来、私達全ての人間が、お母さんのお腹の中にいたときには感じていた気感を、取り戻すことになってきます。

 胸式肺呼吸がスムーズに深くできるようになったとき、光のイメージをしてみます。 ゆっくり体の中へ、息を吐きながら、何度も繰り返し行います。

 地平線から上がってくるような、穏やかな太陽の光をイメージします。 その光を浴びてとても気持ちがよいと感じます。 しばらくその光を浴びた後、今度はその光の中に、自分自身が中心になって入り、全身に光の放射を浴びます。 さらに気持ちよくなります。 最後に、その光とともに、自らも光り輝くようなイメージをします。 このようなイメージを、繰り返し呼吸法を伴いながら行います。

 私は、初めてこのイメージを行ったときに、自分の体に微妙な変化を与えてくれたことを、思い出します。 光というものは、何か分かりませんが、独特のものがあると感じたものです。

 歎異抄という本の勉強会で、無量寿光という言葉が出てきましたが、光のイメージは、私達に快い気持ちを起こさせてくれるようです。