ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

ただひたすら歩く四国お遍路を歩けば

2014-04-30 07:05:57 | 座禅

  ここのところ四国のお遍路を歩く方々のことを、おもてなしのことも含めて、テレビでよく放映されています。 ひたすら歩くことによって、何かが変わるということらしいのです。

  私が朝歩きをしていたときに出会った知人が、ひたすら朝歩きをしていると、ふと浮かぶ前日のトラブルのことを思い出し、そのことを考えてみると、こう考えれば良かったんだという謙虚な気持ちになって、考えつくというのです。

  私はひたすら歩くということに意識が集中し、ある種の無心状態になるのではないかと感じます。

  座禅も、深呼吸の要領で大きく吸って、出来るだけ長く吐く呼吸に、吐く息を体の中へ吐き、体の中へ入っていく息を追うようにして、そのことだけに意識を集中します。 

  単純な一つのことにだけ、意識を集中することが、とても大切なことなのかも知れません。

  四国のお遍路の歩きには、お遍路道では休憩所での「おもてなし」が、特別な接待になるようです。 おもてなしをする側も、される側も、その意味を強く感じるようです。

  その意味では、お遍路の旅をされた管元首相は、お遍路で何を感じ取ったのでしょうか、相変わらずの気の短い「かんしゃく」は、直ったのでしょうか。


東村山ヤクルトセンターの開所式に参加して

2014-04-29 07:53:14 | 社会・経済

  昨日は、私が設計して久米川に出来た、東村山ヤクルトセンターの開所式に参加してきました。 そこで働くヤクルトレディのお子さん達を預かる保育所も併設されています。

  ヤクルト400を飲んだ乾杯から始まり、28人のヤクルトレディの自己紹介があり、時々可愛いという呼び声も聴こえました。

  私が座ったテーブルには、ビルのオーナーとセンターのマネージャー(もちろん女性)、レディ暦40年のベテランの方や、4人のお子さんがいるレディが二人いました。 ベテランの方は結婚を機に、50年前に実家から持ってきた糠みそで作ったきゅうりを、出してくれていました。

  私の隣の方は、上が中学生、下が4歳の4人のお子さんがいながら、子供を持っていないような独身であるような雰囲気を持っている方でした。

  久米川の駅前にある不動産業を営む方(王監督と早実で中学高校でクラスメート)が、今回の計画のコーディネーターですが、最初の出会いのヤクルトの営業の方や、ビルオーナー、建設会社、設計者、ヤクルトの計画の当事者たちの話を、名刺を見ながら参加者に、改めて紹介しておりました。

  最後にレディたちが、AKB48の「恋のフォーチュンクッキー」の歌に合わせて、踊ってくれました。 センターで踊っているレディは、踊りが上手でなおかつスタイルもよく、帰り道で、彼女をもっと早く知っていれば、大人AKBに推薦していたのになあと、感じました。

  楽しいひと時でした。


訪ねて来られる人をいつでも迎え入れるように心がけています

2014-04-28 06:33:47 | 友人

  私は高校生のときに、我が家に訪ねてきた級友を、会うこともなく帰ってもらったことがあり、その時のことを思い出し、いつの日にか、訪ねて来られる人をいつでも迎え入れるように、心がけるようになりました。

   1ヶ月に1回、朝歩きで知り合ったご婦人が、茶菓子を持って話をしに来られます。 若い頃に出会った好きな方と、似ていると思われているからでしょうか。 元気になって帰っていかれます。

   近隣市に住む友人は、3ヶ月に1回ぐらいの割合で電話があり、事務所の前のジョナサンで、いつものハンバーグのビーフシチューを食べながら、話をします。

   仕事柄、材料メーカーの方が直接来られることがあります。 電話だけの営業の場合は、お断りしますが、直接来られる方々とは、余程のことがない限り、お会いして話を聞きます。 これもご縁だと感じているからですが。 おおよそ仕事がらみの話は、ほんのちょっとで普段考えていることを話します。

   かつて駅前の大手銀行の支店長さんが、よく息抜きに来られていました。 仕事の話は殆どせずに、現在どんなことを考えているかを話します。 そんなある日、支店長さんから私の考え方を、支店の考え方として本店の支店長会議で、発表させてもらったと聞きました。

   人と話をするのが好きなのでしょうか、いつも自分を裸にして話をします。 自分が真っ先に裸にならなければ、相手も裸にはなれないでしょうから。 ただし、ちょっと薄衣のものは纏っているかもしれません。 真っ裸だと恥ずかしいからでしょうか。


蓮の花を想い蓮の花の上で座禅を行っていることを想う

2014-04-25 06:48:11 | 座禅

  お釈迦さまや大仏さまが、蓮の花の上で胡坐を組んで座っている姿を、見ることがあります。 私も蓮の花の上で、胡坐を組んで座禅を行っていることを、長く吐く呼吸を行いながら、実践してみました。

   すると、体は微妙な変化をもたらしました。 その時、改めて蓮の花には、特別な意味があるのだということを、感得しました。

   ドロドロとした水の中から生まれる、うすピンク色の花に、それなりの意味があるのではないかと、感じたのです。 


座禅を通して光を想い光に包まれ光と一体になる

2014-04-24 07:20:46 | 座禅

  私は座禅を始めてしばらく経ってから、長く吐く呼吸を行いながら、イメージをすることを実践してみました。 その中で、明るく輝く光をイメージし、先ずその光を浴びることを想いました。 快い感じがします。

   次に、その光の中に自分が包まれていることを、イメージします。 とても気持ちよく感じます。

   更に今度は、自分自身が光と一体になり、光り輝くようにイメージします。 このイメージを、1時間繰り返し長く吐く呼吸を行いながらします。

  そのようなイメージしていると、体は微妙な変化(心地よい感じ)をもたらしました。 私は改めて、光というものは、特別なものではないかと感じたのです。

  色々な本を読むと、宇宙の叡智(神)とは、光のことだと記してあるものも、見受けられました。

  大切なことは、静かに座る座禅を通して、自分自身が微妙な変化を、感得することだと思います。


座禅を通して宇宙を想い宇宙を感じ宇宙と一体になる

2014-04-23 06:13:17 | 座禅

  私が座禅を始めて、宇宙のことを色々と考え始めたのは、「無」のイメージを行ったときからです。 長く吐く呼吸を行いながら、宇宙ロケットから地球を眺めながら、次第に離れていくイメージを行ったときです。

   宇宙ロケットから地球を見る映像を思い出します。 大きく見える地球を眺めると、茶色い大地と青い海、そして白い雲が見えます。 地球から少しずつ離れていきます。 するとバスケットボールぐらいの大きさに見えます。

   更に離れていくとソフトボールぐらいの大きさに見えます。 更に離れていくとピンポン玉ぐらいの大きさに見えます。 更に離れていくと点にしか見えなくなります。 

   更に離れていくと、今度は何も見えなくなり、気がつくと真っ暗闇の広大な宇宙に、自分ひとりがポツンといます。 すると耳が子供の頃に水の中に潜ったときに感じる、「シーン」という状態になります。 

   私は広大な宇宙に、見えるか見えないか小さな自分がいるという、 殆ど「0」に近い状態をつくることによって、ちょっと特殊な状態がつくりだされることを感じました。

   それ以来、宇宙について考えるようになったのです。 そして座禅の時には、宇宙と一体になることも、イメージして見ました。 宇宙を想い、宇宙を感じ、宇宙と一体になると、体に微妙な変化をもたらします。 何かが、そこにあるのではないかと思うのです。


形式型に拘らず柔軟にひたすら座禅の中から感得する

2014-04-21 07:26:01 | 座禅

  私は、余り形式や型に拘ることは、好きではありません。 従がって私の座禅の時間は、自分の生活スタイルに合わせて、決まってはおらず、その時々にあわせます。

  基本的に守ることは、肩の力を抜いてリラックスすること、上半身は頭のてっぺんから引っ張られているように維持すること、深呼吸の要領で大きく吸ってから出来るだけ長く息を吐くこと、長く吐く息に、体の中へ吐く息にのみ意識を集中することだけです。

  胡坐については、結跏趺坐が理想ですが、半跏趺坐や普通の胡坐でも良いと思っております。 私自身は、かなり長い間、普通の胡坐でした。 現在は形の崩れた半跏趺坐です。 結跏趺坐で座禅を行う意味について、考えたときに自分の体にあった形をとるべきと感じています。

  禅宗の座禅会に参加される方が、多いように感じていますが、日常的に静かに座ることが大切なのです。 一般的に30分の座禅時間が多いのですが、最低でも1時間は行ってもらいたいところです。

  禅宗のお坊さんの修行は、45分座って小休憩の後にまた45分座るということを、修行中は毎日その繰り返しを、朝から夜まで行うようです。 

  我慢して座り続けるのではなく、静かに座るのが楽しくなることを、感得していただきたいものです。 そのためにも1時間、続けることが肝要なのです。

  1時間座り続けることによって、心身ともに深層部まで静かになり、私たちに座禅の素晴らしさを、感得させてくれるのです。


不安が病を生み不安が病を更に悪化させる

2014-04-20 07:50:02 | 

  私は、子供の頃に2回、天に還る機会がありました。 一度目は練炭入りの掘コタツに、布団にもぐって寝てしまい、一酸化炭素中毒になって救急車に連れられて行った時です。 二度目は明石の防岸用のコンクリート柱を、飛んで歩いていたときに、足元を踏み外し、海側に落ちたときです。 岩石が詰まっている側に落ちていれば、頭を打って天に還って行ったかも知れません。

   これまでも様々な形で、私に病(または事故)が発生しますが、私はその都度、何故その病が発生したのか反省し、反芻してきました。 子供が生まれ、一緒に寝ながらも、寝汗をかいた経験もあります。

   起きてしまったことを、どうしようどうしようと考えても、決してよくならないことを感じました。 何度か経験するうちに、起きてしまったことを素直に受け入れ、明るく前向きに建設的に考えることを覚えました。

   どうしようどうしよう、困った困ったと思っていると、体の中に変なものがジワーッと支配するようになるのを感じたのです。 それを前向きに明るく建設的に考えた途端に、その変なものがスーッと体から無くなっていくのです。

   私は、それ以来、あらゆる物事、事象に対して、マイナスに考えないように心がけております。 不安が病を生み、不安が更に病を悪化させるのです。

   座禅を始めてから、体の中を循環する気を感じるようになって、なお一層強く感じることです。


体の中へ長く吐く呼吸は慣れるまで日常的に行ってみる

2014-04-18 06:17:25 | 逆腹式呼吸

  吐く息を長く体の中へ吐くなどという呼吸は、生来、呼吸というものを意識して来なかった私たちにとっては、なかなか慣れるものではありません。 私は無我夢中で、何も分からないままに、静かに座る座禅のとき以外に、日常的にあらゆる時間を使って行っていました。

   電車を待つ間、電車に座っているとき、事務所で椅子に座ってちょっとした時間、時として葬儀のときに弔辞を聴きながら、あらゆる時間、時を選ばず、軽く目を瞑っては、大きく息を吸ってから出来るだけ長く、イメージで体の中へ息を吐いていました。

   そんな呼吸を日常的に行っていると、自然と息を体の中へ吐く呼吸が、当たり前の呼吸になってきてしまうのです。

   今でも家族から云われることがあります。 ウーンとか、スーンとか何故変な息をしているんですかと。

   今では深夜の1時間の座禅の時には、長く吐く呼吸は殆ど行ってはおらず、肺呼吸を伴わない気の呼吸である胎息で、静かに座っておりますが、家族からは、いつものように、変な息をしてうるさいと云われます。

   胎息をいつも行っているせいか、クラシックのコンサートを聴くときには、いつも胎息で胸を痛めながら聴いております。 情緒とか感情とかの感覚を、鋭敏に繊細にしてくれるような感じがいたします。 従がってクラシックのコンサートを、積極的に聴くように心がけております。


女性が長生きするのは胎児を身ごもることも一因です

2014-04-17 06:48:16 | 胎児

 私は深夜の1時間の座禅で、ふと浮かぶ雑念を払いのけることなしに、考えることにしております。 意識が体の中へ吐く息だけに集中して、座禅を行ってはいますが、それでも、ふと雑念は浮かぶものです。

   意識が集中している中で考えていますと、宇宙の叡智が、こう考えたらどうですかとサジェスチョンを、与えてくれるのです(私はそのように解釈していますが)。 そのような積み重ねの中で、次第に自分の考え方や価値観が、醸成されていくような気がいたします。

   そんな中で、一般的に女性は、男性に比べて長生きするといわれていますが、そのことを考えたことがあります。 結論的に云ってしまうと、女性は胎児を身ごもりますが、胎児がお母さんのお腹の中で、胎息という気の呼吸を行いながら、お母さんから臍の緒を通して栄養分を貰いながら、生長していきます。

   その分、女性は男性よりも、気を感じやすくなっています。 現に私の周りに女性に、下腹の臍下丹田が動く話をしますと、何人かの方が、「実は私は、何か分からないけれど動いているんです」と、話してくれます。 

   私の連れ合い、連れ合いのお姉さん、友人の奥さんなどです。 周りの多くの女性に話しかけたわけではありませんので、どのぐらいの割合で、そのような方が折られるかは分かりませんが、一定期間、胎児がお腹の中にいるわけですから、気を感じやすくなっても不思議ではありません。

   私の誰もが、お母さんのお腹から出た瞬間に、気の呼吸から空気を吸う肺呼吸に変化するのです。 おぎゃーという泣き声とともに。 赤ちゃんが下腹を動かす腹式呼吸を行っているのを、私たちの誰もが知っています。

   気の呼吸(胎息)は、私たちの誰でもが行っていた呼吸なのですが、成長とともに次第に、気の通り道である経絡での気の動きも、緩慢になっていくのです。

  私は、体の中の経絡の気の流れは、鍼や灸でも分かるように、良いほうがいいと思っていますが、女性が長生きをするというのは、気の流れが男性よりも良い人が多いというのも、原因のように感じています。