私の座禅の出だしは、気功の静かな功である静功でした。 普通の胡座を組み、真っ暗闇の中で1時間、無我夢中で深呼吸の要領で大きく息を吸ってから、出来るだけ長く息を吐いておりました。
当日の中国人の留学生の指導者は、意念派と呼ばれる方で、胸の中心が燃えるようなイメージでいて下さいとだけ話されましたが、私自身は事前に読んでいた気功入門の本に書いてあった、長く吐く呼吸を行なっていました。
極真空手の創始者の自伝映画「空手バカ一」で観た演武での息音が聴こえる呼吸法や、深海を潜る前にダイバーが行なっていた、はじめに大きく息を吸って下腹が大きく抉られる(えぐられる)姿や、ラジオ体操の時の深呼吸を思い出しながら、無我夢中で大きく息を吸ってから出来るだけ長く息を吐いておりました。
その呼吸法が結果的に私の経絡を刺激して、頭のてっぺんにある百会を活性化させて、電子の輪の帽子を被るような状態を作り出したのです。 何か変だなあとの思いから、その日以降、毎晩、半身浴で入浴後、自分の部屋を真っ暗にして、1時間胡座を組んで静かに長く吐く呼吸を伴いながら、座り続けたのです。
隣室で家族がテレビを観ていて、その音が漏れ聴こえる中での座禅でした。 私は幸いなことに、禅宗での座禅の作法というものを、一切知りませんでした。 10年近く経ってからネットで検索して、HPから曹洞宗や臨済宗・黄檗宗の座禅についての記述を読んだのです。
その座禅の作法についても、疑問に思う点があり、私はそれまで続けて来た呼吸法で、相変わらず座禅を行なっておりました。 但し胡座は結跏趺坐ではなく半跏趺坐で、朱印は両手を上に向けて行う姿から法界定印(ほっかいじょういん)に変わっておりました。
はじめに大きく息を吸ってから出来るだけ長く息を吐き、吐く息をイメージで下腹の臍下丹田(この時には臍下丹田がどこにあるかも知りませんでしたが)に向けて吐いておりました。 この呼吸法が体の生理的な動きに自然であったのか、私たち人間が本来持っている機能−気感を取り戻し、お母さんのお腹の中で行なっていた気の呼吸である胎息を感得することになったのです。
長く吐く呼吸だけに意識を集中しながら、ふと浮かぶ雑念を払うことなく考える過程で、何時のしか自分自身が真理の探究を行なっているのに、気がついたのです。
地球の創世記の姿や、宇宙の広がりや、この世の創始者の存在などについて、考えるようになったのです。